半年間の事務バイトを経て現在は農業バイトにどっぷ'
りと浸かっています^ ^
アリエスです。いつもご訪問ありがとうございます😊
さてさて...
最近、
イチゴ農園でバイトしてるんですよー
と知り合いに話す機会が増えました。
みんな笑顔になって聞いてくれる。
どんなことしてるのーって興味津々
そんな話が出来ることが、ちょっと嬉しい飾らない私
適応障害になって退職した会社は地元では名のある上場企業。
そこに勤めていることが誇りだったけど、そんな誇りの価値観より今の方が幸せ度が高いんですよね。
自分の在り方で幸せ度は変わるんじゃないかと思う気持ちを整理してみたいと思います
ずっと少しでも上を求めてた。
学校の勉強も、会社に入ってからの昇進も、子供たちの成績やマラソン大会も。。
それを苦しまなくても出来る
とか
ちょっとの努力で出来る
ならそれは在り。特典を受け取ればいいと思う。
でも...凄く頑張らなくちゃいけないとか、目標が明確になくて上を目指すことが目標になってしまっているならそれはNGだったのかもしれない。
今、次男は大学の勉強を楽しんで頑張っているけどその先には給付型の奨学金をゲットするという彼なりの目標がある。
バイトするも奨学金を貰うもお金はお金という考え方
会社での昇進も、給与が増えることが目的で、増えた給与を使って手に入れたいものがあるなら健全な目標。
でも、あの頃の私は周りから取り残されるのが嫌とか...そんな漠然とした人からの評価のために頑張っていた。そんな目標では自分の幸せを手に入れるのは難しい。
手に入れたところで自己満足出来ないような目標設定をしていたことが違っていたなぁ...と思う。
無理な人事異動で私の仕事量は2.5人分になった。
周りからは無理だと言われたけど、やってやるわーと闘志に燃えた。
工夫して工夫して定時に帰れるようになったけど、常にフル稼働だから疲れ方は半端無かった。
育児も家事も疎かになって生活が荒れて行った。。
評価してくれると期待していた会社は
なーんだ、人減らしても出来るんじゃん
くらいの反応だった。
さらに...
定時で帰れるならもっと人を減らせるんじゃなーい
ってさ
そして、限界を迎えて適応障害になって潰れた。
私には休職になったという昇進にはマイナスにしかならない経歴が残った。
あんなに頑張ったのに...と
そのことが最初は許せなかったけど、その気持ちから逃げることでしか解決出来なかった。
そしてそのことをきっかけに違う生き方になったような気がします。
今はね、ソファーでゴロンとする私のお腹の上で寝るワンコの体温を感じるだけで幸せ
穏やかな気持ちで映画を見れるだけで幸せ
子供が元気でいてくれて、帰省して笑顔で話してくれるだけで幸せ
そこに他人の評価は関係ない。
気持ちが穏やかでいられたら小さな幸せを感じることが出来るからお金の使い方もエコ
適応障害になったことで別世界で生きられるようになりました。
幸せの在り方は自分次第。
人に認められなくても自慢できなくても、私が、家族が幸せと思えるならそれで充分
お金がたくさんあれば必ず幸せになれるわけではやはりなかったみたいです