フルタイムワーママでしたが、過剰業務から適応障害になり休職→退職。

半年間の事務バイトを経て現在は農業バイトにどっぷりと浸かっています^ ^

アリエスです。いつもご訪問ありがとうございます😊



適応障害と診断された日に即日で休職になり...2年間の休職期間を経て退職しました。



それまでの道のりと退職したときのことについて綴ってみたいと思いますウインク





単なる過剰労務からの休職ですぐに復職つもりだったんです。



でも...ブラック環境に染まっていると分からなかった異常さが徐々に分かるようになって、本当の意味で適応障害になりました。



エリート組と社畜組に分かれているような新体制にも適応できなかった。



ちなみに

復職するならエリート組で出迎えます。

的なVIP対応に謝罪が含まれていたんだと今ならわかる。

わかるけど...あんな酷い事実があること自体がもうダメだった。。




エリート組に呼んであげるって言ってるのに何が不満なの?なんで戻ってこないの?


という感じでガーン





元の体制はみな平民ってかんじだったから、再発防止のために何が起こっていたのか理解してもらわなくちゃなんて思ってしまっていた。



会社側と話が噛み合わなくて、話すと闇に落ちるようになり...話をすることさえ出来なくなってしまったのでした。










退職するときも対応は家族にしてもらい、書類だけ自分で書いて提出。


即日で休職になった日から一度も会社には行けなかったガーン


30年以上も席があった会社。


お世話になった人もたくさんいた。


挨拶をしようかかなり迷ったけど、辞めた。




辞める会社だから、関係なくなる。

後に続かないから挨拶は必要ない。




私には安心して働く権利があった。

その権利を一方的に奪われた私は被害者。

まわりに迷惑がかかったこともそもそも会社が悪い。へりくだって気を使う必要はない。




辞めたくて辞めるわけではない。

被害者として堂々としていればいい。




そもそも病気。

体調が悪くなる可能性があるのにわざわざ挨拶をするのは、熱があるのに雪山に行くのと同じ。

行けば大したことないと思われる。

挨拶ができるほど大したことないのに、休職手当もらいきって辞めるんだと思われるのも違う。





そう。休職からの退職なんて、どうやったって丸くは収まらない。




家族、友達、公共の相談機関、病院の先生。

休職中にいろいろな人と話してこんな考え方になって行った。

てか...あの頃はここまで考えはまとまっていなかったけど、こんな方向性だったのだと思う。



自分のこれからのことだけを考えて辞めようと最後は決意。




私物は宅配便で送ってもらえるように家族に伝えてもらった。

送られてきた荷物を見ても落ち込んだから捨ててもらってもよかったのかもしれない。



悪いことはしてないんだから堂々としていようと自分に言い聞かせていた。




無理に挨拶して、また落ちてる時間さえ勿体無い。

自分と家族が困らないように稼げるように、まずは自己中に生きようと決めたのでした。





あれから3年。


あのとき無理に挨拶する必要は無かったと今は思える。



退職したらどんどん回復うさぎのぬいぐるみ




あの頃から自分の全てを肯定する習慣がついた。

肯定しないと潰れそうだったから...。



前より強い自分になりました爆笑