今日で、
阪神・淡路大震災から25年ですね。。。
まだ実家にいた頃の話をしたいと思います。
今でこそ、すっかりフェレット飼いのわたしですが、実家にいた頃はずっと猫さんたちと暮らしていました。
庭に迷いこんできた猫さん。
学校帰りに見つけて連れ帰った猫さん。
お友達のおうちで生まれた猫さん。
そして運命の猫さんと出会いました。
阪神・淡路大震災で被災したお宅の猫さんを、我が家に迎える事になりました。
きっかけは、猫さん通信みたいな本の里親募集の記事に、母が連絡をした事でした。
兵庫県西宮市で被災し、猫さんを育てる事が難しくなったとの事でした。
てんかんの発作を起こす持病のある、その猫さんは、通院とお薬が欠かせないため、その方は泣く泣く里親募集をしたのでした。
そこへ母が手紙を送り、我が家で引き取る事になり、その方は兵庫県からわたしの実家のあった宮城県まで飛行機で来てくれました。
ゴールデンハムスターのような、茶色と白の毛色の猫さんの名前はトンちゃん。
発作のたびにバタバタと音を立てて苦しむので、広いケージでは逆に怪我をするとの事で、多くの時間をキャリーの中で過ごしていました。
発作の時に爪が剥がれて血が出たり、自分の耳も引っ掻いて傷ができ、耳はすっかり縮れてしまっていました。
父と母は、トンの縮れた耳を見て、「スコティッシュフォールドみたいだね♪」と言って、トンのウイークポイントもポジティブに捉えて大切にしていました。
トンの体調の良い日には、キャリーの外でお散歩をしました。
脳に障害があり、トンは右回りにしか歩けませんでした。
目も見えていませんでしたが、名前を呼ぶとキョトン顔でこちらに顔を向けるので、それがとても可愛くて。。。
わたしや兄弟たちもトンと過ごす時間が幸せでした。
病院でトンの寿命の話になった時には、長く生きられないと言われましたが、7歳まで生きてくれました。
西宮の元親さんとは、その後も年賀状でやり取りがあり、東北で震災があった時にも連絡をいただきました。
トンは、西宮で家族の元でずっと暮らしていたかったかな。
手放しで喜べる出会いでは無かったけれど、わたしはトンに出会えて嬉しかったよ。
当時まだ小学生だったわたしには、トンにしてあげられる事が少なすぎて、それは今思い出しても悔しい気持ちになるけど。。。
「里親になる事」を初めて目の当たりにした。
理屈じゃなく、その子の「親」になる事。
トンのおかげで知る事が出来た気持ちがありました。
トンがくれた絆。
毎年1月17日になると思い出します。
色んな人の、色んな想いがある。
心を鎮めて祈ります。