手術から2日後。
さくらは鎮静から醒め、起きていた。


私の姿を見つめるさくら。
軽く開いた目は、大きな黒目が潤んでおり、

こちらの心も見透かされてしまうかのような
なんとも言えない透明感があった。


時折、泣きたそうな、苦しそうな表情を見せるが、

気管にカニューレが入っているので泣き声が出ない。
身体をほんの少し震わせながら、声にならない声で泣く。


痛いのか?おなかがすいたのか?

自分の境遇が悲しいのか、はたまた赤ちゃんだから
理由もなく泣いたのか、いずれもわからない。
泣きたいのに泣けない姿を見るのも可哀想だったが、

これでギャーギャー泣き叫ぶ声が実際に耳に入ったら、

私も居たたまれなかったのではないかと思う。


よくよく耳を澄ますと、ICUでは「泣いている子」がいなかった。
(子ども病院なので、病棟ではしばしば処置がイヤだとか

 寂しい等で泣き声があがる。)
というより、ICUでは皆泣ける状況にすらないことが分かった。

子どもがたくさんいるのに、機械の警告音だけが響いている空間は
つくづく気持ちが悪く、慣れないうちはICU滞在そのものだけで

精神的に消耗した。


それから日を追うごとに、さくらの身体は目に見えて回復していった。
薬品がひとつふたつとなくなり、管の数がどんどん減った。


人工呼吸器を外す段は、少し焦ったが…。
というのも、人工呼吸の方が患者にとっては楽らしく、赤ちゃんの場合
「呼吸すること」自体を忘れたり、怠けたりしてしまうらしい。
毎日我々が何の気なしに反復しているような動作でも、

一苦労なのである。

呼吸器を抜いた日は、しょっちゅう「無呼吸」の不吉な警告音が
鳴り響くので、気が気でなかった。
(呼吸が浅すぎたりすると、センサーが

 「無呼吸」と判断してしまうのだ。)
それでも血中酸素濃度は何とか保て、そのうちに呼吸のコツを

思い出してきたのか、周囲の酸素濃度を上げなくても

普通に呼吸できるようになった。


人工呼吸器がなくなった口は、翌日見るとおしゃぶりが

テープで固定されていた。
さくらは泣きたくなった時や空腹を感じた時は反射的に

チュパチュパ吸って、なんとか気を紛らわせる。
それでごまかされないほど泣いた時には、テープごと

外れてしまうこともあった。
(オペ室で、肌の保護のため頬にあらかじめ透明なシートが

 貼られている。
 術前後はテープで何かを固定することがとても多いので、

 子どもの弱い皮膚がダメージを受けるのを防いでくれる

 優れものだ。)


早く本物のミルクを与えてやりたいと願った。
さくらはずっと何も口から飲んでいないのだから。
どんなにお腹がすいたろう。


採血も、術直後はAST/ALTが1200くらい!あったらしいが…
(手術で肝臓をいじるので、細胞が壊れて肝逸脱酵素が

 大量に出てきてしまうため)
日を追うごとに800…600…400…とどんどん減っていった。
それでも正常値とは程遠かったが、まずは安心した。


たまたま個室だったのもあり、さくらに歌ってやるなどして、

次第に私も多少はリラックスして

ICUでの時間を過ごせるようになった。
ICUは日勤の時間帯、1看護師の担当患者数は2名ほど。
細やかなケアが可能な体制が目に見えてわかり、

病棟よりがぜん安心だな~くらいの気持ちになった。


担当ナースさんは、テキパキとバイタルサインを確認し、
投薬状況と点滴に漏れがないかなどを見回り、
次々身の回りのケアを行っていく。

紙おむつを頭の下に敷いて、

容器に入った水をたらしシャンプーをしてくれ、
体中を絞ったガーゼで拭いてくれる。おまけに保湿も。

人工呼吸期間中はスポンジブラシで口の中を清潔に保ち、
乾燥で厚く溜まってしまった唇の角質をワセリンで

やわらかくして取ってくれた。
寝てばかりで血流が滞らないよう、定期的に姿勢を変え
(とはいえ赤ちゃんはめったに褥瘡ができないそうだ)

胃管を留めるテープには、油性マジック等で子ども向けの

イラストを描いてくれ、
私もウサギさんの絵や「まさきちゃん みんながついてるよ!」と
メッセージを書き込んで頬に貼ってあげた。

総じて落ち着いていてサバサバした、頼もしい方が多かった。
(というか、線が細いメンタリティではやっていけない

 職場と推察される。)


かれこれICUには5日ばかりいただろうか。
(本当はもう一日短くても良いくらいだったのだが、

 次の病棟の受け入れ態勢が整わないということで長居した。
 ICUは申し分ないケア体制なので、

 少し延びる分には全く構わなかった。)


病棟へ移る直前には、ミルクを30㏄経口でペロリと飲み干せるほどに。
腸を切るオペをしているのに、その回復ぶりには驚かされる。
もっと欲しいもっと欲しい!と泣く元気な姿が嬉しかった。


本当に、子どもの身体の回復には目を見張るものがある。
一日一日、毎日様子が違って、

日を追うごとにダメージから回復している。

生命力
という言葉が自然と浮かんでくるほど、目覚ましかった。


オペで受けた身体のダメージそのものからの回復、

ということに集中していたので
しばらくは一歩一歩前に進んでいる実感があり、心持ちも明るかった。