ICUから外科病棟に移ってきた後は通称「観察室」
スタッフステーションに近くてすぐ様子を見れる…
要するに重症な子が入る部屋だった。


他のお子さんの病気の話題は多少なりとも
神経を使うトピックだが、
ついぞ退院まで同室のメンバーに直接
「なんの病気ですか?」とは聞けなかった。

向こうもさくらのことには必要以上突っ込んで
こなかったし、それは暗黙の「触れてほしくない」
サインだった。


4人部屋。
ほか3人は全員気管切開を受けており、声が出せなかった。
対するさくらは術後の飲食制限がまだかかっており、
空腹で泣きまくり。
否が応でも目立つ。

かといって、カテーテルが繋がったままの首が据わらない
赤ちゃんを私一人で廊下に連れ出すのは無理。
身の置き所がなく、息詰まる。


さくらは、生命にかかわる病気ではあるが、一見元気。
残りのメンバーは、今すぐ命の危険が…
ということはないかもしれないが
いわゆる「普通」の状態になることは無理だろうな、
と思われる疾患の子ばかりだった。

人工呼吸であったり、発達に大きな問題があったり。
さくらは移植が成功すればまだ、
元気に日常生活を送る可能性を持っている。
肝移植が必要な子ですら、いちばん軽症。
そのへんの町医者ではまずお目にかかれないタイプの患者が
ごろごろしている空間なのだ。



部屋いちばんの大御所は、
正月からずっと入院しているつわものだった。
ずっと通っていると、ある違和感に気付く。

この子…
一度も目を開けた姿を見たことがないし、
手足を自分で動かしているのも見たことがないな。


聞いた話では、その男の子はごく普通に成長していたらしい。
ところが小学1年の冬、ウイルス感染が劇症化。
心停止してこの病院にに運び込まれる。
(ちなみにそれはこれを読む貴方も一度は罹患したことがある…
 というほどありふれたウイルスだ。)


懸命の処置によって心臓は拍動を取り戻したが、
長時間血流のない状態に置かれた脳の機能は
戻ることがないまま……
脳死に近い状態になったのだという。

そのまま2年半が経つ。

その間毎日、
お母さんは胃ろうに栄養を入れ、呼吸器のメンテナンスをし、
痰を吸引し、床ずれができないよう姿勢を変えてやり、
手足を丹念にマッサージしてやり、
24時間間隔で水分のin/outバランスを計算して補正し、
細く虚ろに開いた目の前でポケモンのプレイ画面を見せてやり、
きっと…待っている。

息子の目がもう一度開いて、「お母さん」という日を。


私はその子の医学的情報は何一つ知らない。
だけど素人目に、その子が再び走り回れるようになる日が
来るとは…思えなかった。
それでも髪は伸び、少しずつ成長しているという。


生きるってなんだろう…。


生きるってなんだろう…。


生きるって…なんだろう?


病室の中で何百回も考えた。考えずにはいられなかった。
でも何百回考えても、納得のいく答えは出ていない。
今もなおだ。


「この人は治療して生きるべき」
「この人にこれ以上やってもしょうがないから、
 運命を受け入れるべき」
のボーダーって、どこにあるんだ?
そもそもその境界線はあるのか?


例えば…
貴方が虫垂炎(いわゆる盲腸)になったとする。
盲腸とはいえ放置すれば腸の壊死を起こしたり、
腹膜炎になったり、医学の力を借りなければ
死に至ることもある。
それでも手術や投薬などで、普通は大過なく元気になる。


貴方の配偶者が重篤な肝疾患で、肝臓移植を
必要としているとする。
移植しなければ死ぬ。
移植そのもので命を落とす危険もある。
たが手術が無事成功し、術後の急性期を乗り切れば、
元気になれる。


貴方の子どもが脳死に近い状態にあり、
人工的な処置をたくさん施さなければ
そもそも生命を維持できない。
現代の医学では目が覚めるかわからないが、
覚めないとも限らない。
その場合、どうするのが正解なのか?


これまでこの手の問題を考えるとき、私は非常に冷淡だった。
当事者意識が全くなかったからこそだろう。
病院でただ「生かされている」状態の老人…という事柄にも、
強い拒否感があった。
ちなみに私が自力で生きられなくなったら、
有終の美を飾る選択をしたい。

だけど自分の子どもだとしたら割り切れるだろうか?
「栄養を止めてください」
その一言が言えるだろうか?


静かに眠るその男の子の周りには、医師、看護師、
検査技師、院内学級の先生など
いろいろな人が入れ代わり立ち代わり訪れた。

お母さんはスタッフと、今日のナトリウムの注入は
どうしよう等、いつも朗らかに何か相談していた。
みんな、何を目指しているんだろう?
今の状態を穏やかにキープすることが目的なのか、
はたまた「治す」ことが目的なのか…。


脳死肝移植を希望するさくら。
脳死に近い状態で眠り続ける男の子。
その2人が隣のベッドで寝ていることは非常に皮肉だった。
皮肉としか言いようがない組み合わせだった。


病室にはなんとなく居心地の悪さを感じ、
葛西術後、点滴の類が全て外れた時点で私は滞在時間の
ほとんどを廊下で過ごすようになった。


生きるってなんだろう。
心の中で何度も呟きながら廊下の端から端を往復し続けた。

生きるってなんだろう。
その問いに確信をもって答えられる日は来るのだろうか。


死ぬことについて、いつも頭のどこかにある。
死ぬこととは生きること。
誰にでも等しく訪れる死。
逃げずに時間をかけて少しずつ、考えていきたい。