赤ちゃんには「微笑反射」がある。
ニコッと微笑みが見えるだけで、
反射と心得ていても口元がゆるむ。
さくらもこの反射で、家族に幸せを届けてくれていた。
生後2ヶ月ほどもすると、
だんだん「あー、う~」と声を発するようになった。
さくらは、高くて澄んだ声をしている。
しきりに話しかけてくれる様子はとてもかわいらしく、
日々愛着が増した。
いつもの病室。
抱っこしていたさくらが笑った。
これまでは反射的に微笑していることが多かったさくら。
だけど、生後2ヶ月のある時
「あ、いま、意識的に笑ってくれているんだ!」
と感じられた。
さくらはいっしょうけんめい笑顔で私に
語りかけているかのようだった。
お母さん、お母さんと。
その瞬間…
自分でも驚くほどの凄まじいパワーが、身体の
奥底から湧き上がってくるのを感じた。
笑顔はいつでも人を力づけるが、
この笑顔はとりわけ私に勇気をくれた。
たとえ一目でも、この笑顔に会えてよかった。
今この場にいてくれることへの感謝。
たとえ深刻な病気でも、今ここで笑えることへの感謝。
どれだけつらい運命を背負って産まれてきたとしても、
この笑顔を全力で守ってやらねば。
この一時笑ってくれただけで、
もう一生ぶんの親孝行をしてくれたと感じられた。
難しい病気かもしれない…と予感した時、
それならばいっそ楽なうちに死なせてあげたい
と思ったこともある。
術後のあまりに痛々しい姿、それでも治まらなかった
黄疸を見て、先の見えない過酷な闘病に目の前が
真っ暗になったこともある。
私はすぐ弱気になり悲観し、涙していた。
遠い未来を見上げすぎて、肝心の、いま踏みしめるべき
足元がぐらついてしまっていた。
それにも関わらず、当のさくらは笑ってくれる。
さくらはまだ言葉を発することはできないけれど、
笑顔で私に語りかけていた。
「お母さん、会えてうれしいよ」
まるでそう伝えているかのように。
遠い空から、
はるばるお母さんへ会いに来てくれてありがとう。
こんなに大変な身体なのに。
お母さん、目が覚めたよ。
お前に会えて本当によかったよ。
どんな結末になっても決してお前が産まれてきて
くれたことを後悔しない。
運んできてくれたたくさんの幸せを忘れない。
お母さんができることは限られてるかもしれないけど、
力の限りお前を守るからね。
私は強そうに見えて脆い人間だ。
この闘病で、これまで知らないふりをしてきた自分の弱さと
真正面から向き合わざるを得なくなった。
そしてまだまだ真の強さは、手に入れられていない。
だが、この頼りない母が道を見失いそうになったとき
子どもたちがいつも助け、導いてくれる。
「子育て」という言葉があるが、むしろ私が子どもたちに
人間として育ててもらっているのだろう。
その後も落ち込むことは何度もあった。
しかしいつもそこには笑顔のさくらがいた。
さくらはとても穏やかな性格の赤ちゃんで、
理由もなく長泣きしない。
その代わりいつもニコニコ笑ってくれる。
その笑顔にどれほど力をもらったか。
どれほど助けられたか。
私も子どもたちの記憶の中では、
笑顔のお母さんでありたい。