闘病記録を公開する意味。


それは
「病気や移植のリアルをもっともっと知ってほしい」
ということだ。

時系列としてはもう少し後(移植後)に
芽生えてきた想いだが、ここに書いておく。


世間一般の人は、移植と聞いてどんなことが思い浮かぶか。
募金を集めて海外渡航するイメージ?
無菌室に隔離されているイメージ?


…いずれもあながち間違いではないが、
さくらには全く当てはまらない。
一口に移植といっても、臓器や状況によって
非常に多様なのである。


さくらがこれから大きくなっていく中で、何度も
「病気や移植を知らない人がほとんどの空間に入り込む」
という経験を繰り返さなくてはいけない。


見た目は普通の人と(手術の傷以外)全く変わらない。
まったく配慮が行き届かず、鉄棒など禁止されていることを
やってしまうことだってあるだろう。
逆に必要以上心配され、不本意ながら腫物のように
扱われることもあるだろう。


胆道閉鎖の子というのは、移植の有無を問わず
説明のバランスが難しいとかねがね思う。


移植っ子は、免疫抑制剤という劇薬を毎日飲んで
いる以上「まったく普通の子」ではない。
しかしほとんどのことは普通の子と変わらずに
何でもできる。
世間一般の固定観念より、かなり元気だと思う。


…そんなこと、私だってつい数ヶ月前は
まったく知らなかった。

圧倒的少数派の胆道閉鎖症児であり移植っ子。
説明なしに実態をわかってもらえるなんてことは、
絶対にない。


だからと言って隠し通すのも、
妙に虚弱さをアピールするのも不自然だと私は思う。
関わりを持つことになる人には、言葉を尽くして説明する。


例えそれが相当な精神力と手間数を要するもので
あったとしても…。
誤解されたり穿った見方をされたりする危険性が
あったとしても…。
その面倒を惜しまないことで、他の移植っ子も含めた
彼らへの理解が少しでも深まれば良い。


広く一般に移植を告白する必要など、本来ない。
しかし、これから人生の中でいくつも「移植を絶対に
カミングアウトしなければいけない場面」は出てくる。


進学しかり、就職しかり、結婚しかり。
その時越えなくてはいけない「世間の無理解」
というハードルを1mmでも下げてあげたい。


移植を受けた人たちが等身大で理解され、
暮らしやすくなるように…。



※どのようにカミングアウトするかは親御さんの
間でもかなり見解の分かれるところ。
その家なりの事情や信念もおありになることだろうし、
個々人の選択を否定するつもりは毛頭ない。


ただ私見としては、「移植」になんの関係もなかった方々に
娘のケースを知ってもらうことで、広く理解の底上げをし、
子どもたちが未来により良く生きられる土壌を
整えたいと考えている。


今本人はまだ赤ちゃんなので、情報のコントロールは親である
私が行っているが、本人が社会とどのように折り合いを
つけていくのかは本人に任せるつもりだ。


どんな事柄でもしっかりと自己の考えをまとめる術を、
時間をかけて身に付けてやりたいと思う。