2017年3月9日

 

初めての羊水穿刺。

 

朝から採血や点滴で腕にたくさん針を刺されたけど、その数が多ければ多いほど安心できた。

「これは、今後良くなる為に必要なことなんだ。これで良くなるんだ、一歩ずつゴールに近づいてるんだ。」

そう思えた。

でも、おなかに針を刺すのは怖かった。

 

妊娠が分かった時に旦那と染色体検査について話し合いをした。

33歳を目前にしていた私は一般的に言われる高齢出産の35歳にはまだ数年あるものの不安があった。

だってたかが2歳しか変わらない。

正直、障害のある子を育てていく自信はなかった。

旦那の仕事は収入も不安定。

でも、日々おなかの中で成長していく我が子に”流産のリスク”がある染色体検査を受けることは結果的に怖くてできなかった。

その”怖くてできなかった”行為、おなかに針を刺すことをこれからするわけだ。

不安感と、入院をしたことで今日から始まる処置への信頼感と安心感。

心は常に不安定だった。

 

心配していた事態(早産や破水)にはならず、

この日は2ℓ羊水を抜いて、パンパンだった私のおなかは5.5㎝小さくなった。

体はとても楽になった。

でも、もっと嬉しいことがあった。

処置中、エコーでおなかに刺さる針を見ていた時、赤ちゃんが針をつかんだ。

先生は「よくあるんだよね。遊んじゃうんだよねー。」と。

そっか、この子遊んでるんだ…

そのうち、針をぎゅっと握り締めて、羊水が一時的に抜けなくなってしまった。

先生たちは「あーーー」と困っていたけど、私は思わず笑ってしまった。

 

「あれ、いつもないものが私のお部屋に入ってきたー、なんだろー。」

なんて思ってたのかな。

針を追って、触っている姿が可愛くて可愛くて…愛しくて、私はあの姿を一生忘れない。

今でも思い出して愛しくて泣けてくる。

 

この日から、結果として私は6回羊水穿刺をした。

抜いた羊水は10ℓを越えた。

苦しい思いをたくさんしたけど、毎回見られる針で遊ぶ我が子を見れるのは嬉しかった。

 

 

☆話を一回脱線します☆


死産後、1回目の生理がきました。
先生からは3回生理を見送ったら、次の妊娠に向けて動いて良いと言われています。

今回、初産で死産の原因は胎児水腫。
そして、胎児水腫の原因は不明です。

先生からも親からも友達からも…
「次の子」の話をされます。

私も子供は欲しい。
…と言うより、あの子の妹や弟が欲しいのです。
目を開けてるところも、泣き声も聞けなかった。
きょうだいなら似てるかもしれない。
見たい。会いたい。
「あの子の分まで」なんて絶対言わない。
あの子はあの子で愛し続ける。
そして、次の子を授かれれば、その子も精一杯愛します。
自信がある。
2人とも心から愛せる。
絶対幸せにする。

でも、その気持ちと同じだけ怖い。
もう妊娠するのが怖い。
もし、次も死産だったら?
胎児水腫になったら?
違う病気もいくらでもある。
「健康で元気な子」
…そんな保証どこにもない。
怖い。
今度こそ立ち直れない。
…今も立ち直れてなんかないのに。

ゆっくり考えようとも思ったけど
私は今33歳で、あと2年で高齢出産になる。
年齢なんて関係ないのかもしれない。
実際義理姉は38歳で何の問題もなく第一子の姪を出産した。
それでも、少しでも…ほんの少しでもリスクの少ない状況で次を…と思ってしまう。

…でも怖い。

そして、旦那は
「もうあんな思いは嫌だ。怖くてたまらない。もう子供はいらない。」と。

夫婦で共通する「怖い」気持ち。
夫婦で交差する「妊娠を望む、拒む」気持ち。

…同じような気持ちの天使ママさん、たくさんいると思います。
また、同じような気持ちの天使パパさんもいると思います。

みなさん…どうやって乗り越えたんだろう。
私が弱虫なのかな…


胸の内を吐き出した内容で…気分を悪くされた方がいたらごめんなさい。
入院生活スタート

主治医から
「嫌な言い方ですが、赤ちゃんが頑張れば頑張った分だけ長い入院生活になります。」
と言われた。
正直複雑だったけど、どうにか母子ともに元気に退院出来ますように…と、それだけだった。

仕事で付き添えなかった旦那の代わりに実母と義母が一緒に来てくれていた。
とても心配してくれていた、親って有難い。

不安しかなかった入院生活1日目はバタバタあっという間に過ぎていった。
看護師さんが全員優しいこと。
ごはんが美味しかったこと。
ベッドが窓側だったこと。
不安の中に、ちゃんと良いこともあった。 
安心した。

頑張ろう。
頑張れる。

この時3月8日。
予定日は6月21日。

今の段階で出来る治療はゼロだと言われていた。
私はいつミラー症候群になってもおかしくなかった。
お腹が重い。
早速明日は羊水穿刺だ。