写真なども交え、笑い話なんかも入れながら、

その日に感じたことなどを伝えていくというのが、

ブログの主流となっているなら、

おれは完全にその主流を無視している。

少々乱暴な言い方をすれば、おれが勝手に書いていることを、

誰かが勝手に読んでいるに過ぎない。

そもそも、誰かのため、誰かに見てほしくてやっていることではないし、

ただ単に、自分の思ったこと、感じたことを書いている、

おれのブログは、それだけのことなのだ。


もっとユーモアに富んだ内容で、写真などを添付し見やすくすれば、

今よりも多くの人に見てもらえるかもしれない。

ただ、そうなると、おれのブログのコンセプトと違ったものになり、

おれは書いていることに満足感は得られないだろう。

ブログと言うのはコミュニケーションの一つとして考える人もいるが、

おれはそういうふうには思わない。

コミュニケーションと言うのは、相手の顔が見えて、

初めて成り立つものであると、考えるからだ。

それでは、なぜブログを書くのかと聞かれれば、

「自己満足」という答え以外、見当たらない。


「文章が長すぎて、内容も真面目なのが多いから、

 疲れて読むの途中で止めちゃうよ~」

こういうことを言われた事がある。でも、別に腹は立たない。

それは、自分の文章に、その人を最後まで読ませる力が、

なかったと、おれはそういうふうに受け止めている。

つまり、途中で飽きちゃうような文章であったからだ。

読んでいて、文章に力があれば、最期まで読んでくれたはず。

それができなかったのは、単純に、自分の文章に力がないからで、

それ以外に理由なんてない。

おれは、そういうことだと思っている。


冒頭で「おれが勝手に書いてることを、誰かが勝手に読んでいる」と、

書いたが、中には真剣に最後まで読んでくれ、

感想なんかを言ってくれる人がいる。

おれは、このブログには’つながり’を求めないということを

一貫してきたが、その姿勢を理解した上で、

最後まで読んでくれたことは、おれにとって最高に嬉しいこと。

誰かのために書いたのなら、その人は読んでくれるかもしれないが、

自分が勝手に書いたことを、文章に興味を持ってくれ、

最後まで読んでくれたのだ。

こんなに嬉しいことはないし、こういうことがなかったら、

いま、ブログを続けていられるか分からない。

「ありがとう」は、これからもブログを続けることで、伝わればいい。

そして、これからも自分の文章が最後まで読む力があったなら、

それは、おれに伝えてほしいと思う。

たとえ、最後まで読んで、「つまらなかった」としても、

おれは最後まで呼んでくれたことに感謝したい。


多くの人がやっていることを、多くの人と同じようにやることは、

自分の性格上、好きになれない。

人と違うことをすること、また同じことをやるにしても、

人とは違ったやり方ですること、そしてそれにこだわりを持つこと、

仕事であっても、そういう’遊び’の部分が大事。

ブログに限らず、おれはそういう生き方をしていきたいし、

それが、人生において、最高に面白い部分だと考えているから。


今日も、最後まで読んでくれたことに感謝します。





先日、久々に新宿、ルミネtheよしもとへ。

テレビとは全く違う、生の笑いの迫力。

日々の生活の中で、頭を悩ますもの、不安にさせるもの、

そういったものが、係員にチケットを渡した瞬間、

見事なまでに、消え去っていく。

あの始まるまでのわくわく感が、たまらない。

それは、ある種の開放感で、本当に心地よい。


(この日の出演者)

ネタ:レイザーラモン、トータルテンボス、麒麟、Wヤング

   ポテト少年団、ニブンノゴ!、フットボールアワー


バラエティ:村上ショージ、FUJIWARA、ブラザース、佐久間一行

       金成(ハローバイバイ)、タカダ・コーポレーション


会場は立ち見が出るほどの大入り。

爆発的な人気がある人たちは、出ていなかったが、

比較的、知名度のあるメンバーが揃っていたからだろうか。

この日は、平日の昼間とあって、女性のお客さんが多かった。

おれは、普段テレビに出ていない人たちの笑いを見れることが、

このルミネtheよしもとの魅力の一つだとも思う。


勝手ながら、この日の出演者のそれぞれの感想。


レイザーラモン:出番が一番最初で良かった。会場が温まった後、

          登場していたら、、一気に冷ましてしまうところ。

          けれど、RGが全く面白くないところが、

          ちょっと面白かった。


トータルテンボス:さすが、去年のM-1ファイナリスト!!

           レベルも高く、ネタも非常に分かりやすい。

           ちゃんとトーク術で、笑いを取っている。


麒麟:この日の出演者で、知名度は一番!

    川島の長い台詞を一度も噛まずに、早口で言うあたり、

    笑いと言うか、単純にスゴイと思う。

    ただ、田村の本が売れてしまったため、得意とする、

    貧乏ネタがあまり使えないのは、麒麟としてはきついところ。


Wヤング:コンビ名と真逆の66歳と53歳の大阪の漫才コンビ。

      芸歴が長いだけあり、重鎮格の漫才。

      非常にベーシックなネタで、テンポも良く、面白かった。


ポテト少年団:これぞ、トリオの醍醐味という漫才。

         2人ボケ、1人ツッコミのスタイルは、

         個人的に非常に好き!

         この日、個人的には一番面白かった。


ニブンノゴ!:この日、会場を一番沸かせたトリオ。

         出演者を見たとき、このトリオが一番、

         見たいと思っていた。

         残念なことは、一度見たことがあったネタであったこと。

         けれど、今年大注目の芸人。


フットボールアワー:始め岩尾はほとんど喋っていなかったが、

             会場から笑いが絶える事はなかった。

             顔で笑いが取れるなんて、すごいと思う。

             ネタは、例により岩尾がしつこいネタ。

             フットは、生で見るの初めてで、新鮮であった。


~ここで5分休憩が入り、後半はバラエティ~


基本的には、フジモンがツッコミ、後の出演者がボケるパターン。

時折、村上ショージや原西が一発ギャグを織り交ぜていく。

原西のギャグは、テレビで見るより、生のほうが断然面白い!!

個人的に好きなハローバイバイ金成も、絶妙のタイミングで絡んでいた。

村上ショージが、台詞を忘れ、他の出演者が素で笑っていたのが、

面白く、フジモンが、「兄さん、絡みにくいわ~」と言っていたのが、

このバラエティのすべてを物語っていた。


終了後、例により、オロナミンCを飲んだ。

大笑いした後の冷たい炭酸は、のどを心地よくさせる。

以前にも書いたが、笑うと言うことは非常に健康に良いと言うこと。

そして、人を笑わすことができる人はカッコイイ!

テレビでもそうだが、多くの人を笑わせ、

その人たちの生活の一部を心地よくさせている芸人さんたちは、

無駄な道路を作ろうとしている人たちよりも、

はるかに社会貢献を果たしていると思う。


この日も最高に楽しい時間であった。

ルミネ7Fは、最高のエンターテインメント!!!

おれの新たな職場は新宿。

今年は、あと何回行けるかなぁ。

それを考えるのも、また楽しみ!



      






もっと本を読まなければいけないと感じている。

今までの自分があまりにも知らないでいることが多かったからだ。

様々な本が発信する知識や情報を吸収しなければいけない。

これまでも読んできたつもりではあったけれど、

それでも、まだまだ全然足りない。

今回の転職活動では、特にそう思った。


活動中は、時間が空いたとき、電車での移動中など、

本を読むことが多かった。

パン屋時代は、あまりそういった時間を作れず、

たまに本屋に立ち寄って、買った本でも、

最後まで読みきるケースは、ほとんどなかった。

今回おれが読んでいたものは、

以前好んで読んでいた、小説のようなものでなく、

成功者の自伝や、成功までの歴史のような、

ノンフィクションのようなものが多かった。


成功者の歴史と言葉は、実に様々で、全く逆の見解を示すこともある。

しかし、彼らに共通していることは、たとえ成功したとしても、

何かを学ぶ、何かを吸収する姿勢を決して忘れていないと言うこと。

そして、本当に様々な分野にアンテナを張っているということ。

おれは、成功している人としていない人の決定的な違いは、

そういう部分なのではないかと感じた。


おれは、これまで自分の興味のある本しか読んでおらず、

興味のないものは、自分が苦手な分野であるからと錯覚し、

読む前から、すでに諦めの感情を持っていた。

しかし、今回の活動で感じたことであるが、

いつ、どんな時に、何かの知識が役に立つか分からないと言うこと、

今はそういう時代であることを、強く感じた。

あの時、あの本を読んでいたならと、思ったことは多々あり、

だからこそ、日々、あらゆることに関心を持つことの必要性が、

とても重要なことなのだと思った。


しかし、今回の多くの面接の中で、嬉しい言葉を言われた。

それは、課題レポートを提出した際の面接でのことだ。

「君、本読むの好きでしょ!? 君の文章はそういう文章だ」と。

このようなことを言われたのは、1回だけでなかった。

自分の自信にもなるし、何より認めてくれたのが嬉しかった。

これもすべて、いままで好んで本を読んできた結果だと思う。

それは、もしかしたら、高校時代に読んでいた、

何気ない本の中にあった言葉が、力を貸してくれたのかもしれない。

だからこそ、いつ、どんな時に、何かの知識が、

役に立つか分からないということ。

そういうことだと思う。


年月が過ぎ去っていくのは、あまりに早く、

おれはもう、無知でいることを笑い話にできる年齢ではない。

そして同時に、無知でいることを恥じる年齢でもあるということ。

「知りません」=「勉強をする努力をしていません」と、

大袈裟に言えば、そういうことにも繋がってしまうかもしれない。

パン屋時代、忙しかった時でさえ、

一日に15分なら、本を読む時間を作ることくらいできたはずだ。

それをしていれば、今、もっと違った自分になれたと思う。

これからは、様々な文章に触れ、自分自身を

成長させていければいいと思う。



もっと本を読まなければいけない。

いつ、どんな時に、何かの知識が役に立つか分からない。



「ただ単に、仕事をしていないということが恥ずかしかった。」


どこから書いていいか分からない。

書きたいことは山程ある。

しかし、どれも上手く言葉にできない。

ただ、おれは今回の活動をこのブログに、

書かなければならないと思っている。

誰かに知ってほしいわけでは決してない。

それは、今回感じた悔しさ、恥ずかしさを

何年経っても、決して忘れてはいけないと考えているからだ。


周りの人間は、「良い社会勉強になってるじゃん!」と

むしろ肯定的な意見を言ってくれた。

確かにそれは、その通りではあったが、

自分の中でそれ以上に強く縛り付けているものがあった。

それは、仕事をしていないということが、

これほどまで恥ずかしいことなのかと言うこと。

そんな自分が嫌で嫌で仕方がなかった。

しかし、それは年季の入った野良猫のように

追い払っても追い払っても、いつの間にか、

自分の頭の中に戻ってきては、居座り続けた。


働く人は皆、誰かに待たれている。

それは、共に働く従業員かもしれないし、

あるいはお客さんかもしれない。

少なくとも、朝、目覚めた時点で、誰かがその人のことを待っている。

しかし、仕事をしていない人には、そういった人はいない。

朝目覚めても、誰も待っていない。

それが、無性に寂しく、そして恥ずかしかった。

仕事をしている時、辛いと思うときは何度もあった。

しかし、仕事をしていないということは、

それ以上に辛く、はるかに苦しかった。

たとえそこに、退職をしたことを全く後悔していないとしても。


おれは、転職をするにあたり、あまりに無知であった。

これまでパン屋の世界しか知らず、

たとえそこで、こだわりを持って精一杯働いていたとしても、

転職活動には、不利になるケースは非常に多かった。

まず、おれが考えたことは、どこに入るかではなく、

様々な業界のことを知らなければならないということであった。

業界のことを知り尽くしている人事の方と話せる機会を

積極的に作り、面接や会社説明の中で、

自分自身の可能性を探り、そしてそれを知識とすること、

おれがしなければいけないことは、まずこれだと思った。

様々な営業、SE、不動産、インテリア関係、出版・広告など、

ジャンルは幅広く、一貫性はなかったが、

たくさんの話を聞くことで、勉強になることはたくさんあった。

自分がこれまでの人生の中で、いかに無知であったかと思う。

しかし、新しい世界を知ることは、新鮮であった。

おれは、これに約1ヶ月間、取り組み、

たくさんの面接、説明会を入れ、多いときには、

一日に3社の面接が入ることもあった。

前職では面接官のほうの立場だったことも手伝ってか、

この時点で何社か内定は出た。

それは、どんな会社であっても、自分のことを認めてくれたということで、

そのことは本当に嬉しかった。


次の1ヶ月、おれは入りたい企業だけに絞り、面接を受けた。

しかし実際、面接を受け、話を聞くと、

求人内容と違うと言うケースは多々あった。

会社の実態を巧妙に隠蔽しているのではないかと、

疑ってしまうような、そんな会社も多くあった。

苛立ちが生まれ、諦めが育ち、ただおれは焦っていた。

心に、重く冷たいものがどんどん広がっていくような、そんな感覚。

時代の流れを感じ、自分と時代を同調させようと努力しても、

どうにもならない個人としての精神、

おれは、そんな現実社会との鬩ぎ合いに、頭を悩ませていた。

そして、仕事をしていないと言う自分自身の現実を、

以前にも増して、恥ずかしいと思っていた。


それでも、最終的に、一日の最後に、

「また明日も頑張ろう」と拳に力を込められたのは、

心有る人たちの支えがあったからだと思う。

絶望の底からおれを引き上げてくれ、

おれの人生に掛かっていた暗い雲を吹き払ってくれ、

忘れかけていた微笑み方を思い出させてくれ、

自分に与えられている数多くの恵みに気付かせてくれた。

その「やさしさ」が、すごく温かかった。

自分ひとりでは、焦りが先行し、安易な決断をしていたかもしれない。

その場しのぎの方法で、楽な道を選択していたかもしれない。

おれは、いまこう思う。

「世界で一番美しい言葉は、’ありがとう’であり、

 いちばん幸福なことは、誰かに’ありがとう’と言えることだ。」


そして、もう一つ大きかったものは、

素晴らしい本や音楽の言葉である。

特にドラゴンアッシュには、’救い'となる言葉が多くあった。

初期の頃の曲である「Fever」は、一日の最後に必ず聴いた。

生きていると、楽しいことばかりではなく、辛いこともたくさんあるけど、

そんな時こそ、強い心を持って、立ち向かわなければいけない、

おれは、そういうメッセージとして捉えている。

この音楽の話は、書くと少々長くなるし、また別の機会に書こうと思う。

ただ、この曲は、今後の自分の人生において、

心の中で特別な場所を占めることは、間違いない。


結果として、おれはまた働く場所を得ることができた。

働く場所があると言うこと、自分と言う存在を

誰かが待っていてくれるということ、本当に幸せなことだと感じている。

責任感があり、社会意義の高い仕事だ。

けれど、今の自分には、それがすごく心地よい。

それは、責任感のない生活があまりに恥ずかしいということを

おれは、今回の活動で知ってしまったからだ。

内定が出たときは、本当に嬉しかった。

高校や大学に受験で受かった時よりも、

はるかに達成感があったと思う。

そして、この時点で初めて、今回の転職活動が、

良い社会勉強であったと、感じることができた。

ただ、現時点でのおれのレベルでは、

新しい職場で通用はしないと思っている。

というか、全然足りない。

おそらく、どれだけ頑張っても、自分の力のなさを感じてしまうような、

そんな職場であると思う。

けれど、そういう場所であることは、分かっているし、

それを望んだのも自分自身だ。

どんな時も自分に満足せず、「日々努力」、「生涯勉強」を、

今後の大きなテーマとし、前に進んでいかなければならない。

ただ、大きな目標を持てたこと、それが今の自分には、ただ気持ちいい。


絶対に忘れてはいけない、今回の活動中感じた、

仕事をしていないと言う恥ずかしさを。




-With all my might, wish in the end is right

  On the other side of the empty pride

   Journey of revival it's time to try

    I made up my mind to find my way of life.-


(ただ力の限り、、、最後には正しいと信じて

 空虚な自尊心の向こう側へ再生の旅に出るんだ

  そろそろ行かなくちゃ 自分の道を見つけるって決めたんだから。)


-Dragon Ash 'Revive' -



















食の安全・安心を確保することは、簡単ではない。連日メディアを賑わせるニュースは、より一層、消費者達を不安にさせ、不信感を募らせる。ひとつひとつ何から何まで、調べ上げたらきりがない。しかし、食べ物と言うのは、私たちが口の中に入れるものなのだ。私たちは、何かを食べていかなければ生きてはいけない。これだけ毎日のようにニュースになると、あらゆるものが、信じられなくなってしまう。それでも、どれだけ不信が蔓延んでいても、私たちは、何かを食べていかなければ生きてはいけない。


以前、おれが勤めていた店では、本当に細部まで、衛生面では徹底していた。すべての食材に、賞味期限シールを貼っていたが、その食材の数は300~400もあった。シールには入荷日、開封日、解凍日(すべての食材ではない)、消費期限、賞味期限を手書きですべて記入しなければならず、数も多かっただけに、その作業は簡単な作業ではなかった。一つでも記入漏れがあれば、それこそ営業停止になる可能性さえあり、おれは店長として、最後帰る前、すべての食材にシールが張られ、記入されているか確認したものだ。営業停止になるということは、店長として責任を果たせなかった、従業員を守ってあげれなかったということでもある。社員はもちろん、生活をかけて働いているパートさんだっている。バイト代で、大学の授業料の一部にしている学生だっていた。おれは、仕事が終わり、従業員がすべて帰ってしまった時間、シールを貼り忘れたかもしれないと不安になり、もう一度職場に戻り、確認をしに行った夜さえあった。


おれの経験上の感想になるが、どれだけ細かく徹底したとしても、完全に100パーセント安心・安全になることは、残念ながら不可能なのではないかと感じている。もちろん、それに向けて全力で責任を持って、努力することは前提にあるが、それでも人間がやることなのだ。人間ならばミスを犯して当然であるし、実際、お客様の口に入るまでは、本当にたくさんの人が関与するわけだから、ありえない、信じられないミスだって起こるかもしれない。たとえば、おれの店が徹底してシールを張り、すべての食材に賞味期限を記入したとしても、おれの店に届ける業者の記入が間違っていれば、おれたちは嘘のシールを貼っていることになる。袋に入った状態で届けられたスーパーは、中のギョウザに毒物が入っているかなど分かるはずがない。どこで何が起こっているか分からない。そういう世の中になっていることを本当に残念に思う。


しかし、これまで起こったニュースの中で、確実に防げるものはたくさんあった。賞味期限、消費期限関連のニュースは特にそうだ。あれは、きちんとした決まりがなく、法律が曖昧なラインを引いていたため、会社・店が独自で、期限を決めてしまっていたことに問題がある。今の制度では、おそらく、またどこかで賞味期限切れが発覚し、どこかの社長が記者会見を行い、国民に謝罪することになるだろう。そもそも、賞味期限、消費期限と、二つあることがおかしい。しかも、それはその店独自の基準なのだから、消費者は混乱するし、信じられなくなってしまう。人が口の中に入れるもの、何かがあってからでは遅いのだ。そして、この問題に関しては、責任のなすりつけなど、もってのほかだ。


おれが考える解決策は、国が第三者に当たる衛生機関や保健所を強化すること、これしかないと思う。もちろん、飲食業に携わるすべての人が緊張感を持つことは前提にあるが。それで初めて、この問題に向かい合えたと言うことだと、おれは思う。そして、それを今後もずっと変わらずに続けること、これが最も大事だ。よく考えれば、これまでが人の口に入る物と言う緊張感がなく、曖昧な部分が多かったのだと思う。ニュースになっていない会社でも、もしかしたら、平気で期限切れ商品を、笑顔で売っていたのかもしれない。


今後、しばらくは続くのであろう。謝罪記者会見が、珍しいものでなくなるのかもしれない。通例化しすぎて、社長が誤る内容よりも、社長のネクタイのセンスに目が入ってしまうようになるかもしれない。そうなったら、本当にすべての食べ物が信じられないであろう。飲食業に携わっていたものとして、心が痛むし、多くの人が現在辛い思いをしているのを考えれば、同情すべき点も少なからずあるが、それでも、何度も書いている通り、人の口の中に入るものに関わっていると言うことを忘れてはいけないと思う。そして、この想い、気持ちだけが、連日の問題に対し、’救い’になる、おれは、そのように感じている。







素晴らしいサッカーの試合を見た。

非常にフェアで、スリリングで、観る者を飽きさせることのない好ゲーム。

フットボールの醍醐味を存分に味わうことができ、

しかしそれは、選手だけでなく

審判もサポーターも、その試合に関わるすべての人たちが、

この試合を素晴らしいものとしたのだと思う。

試合後、多くのサポーターが両チームの選手達を称え、

選手達もサポーター達に応援の感謝の拍手を繰り返す。

その光景を見て、おれは、

一本の感動的な映画を見た後のような、そんな気分になった。


2月23日 UEFAチャンピオンズ・リーグ 決勝トーナメント1st Leg

現在ヨーロッパで最も美しいフットボールを魅せるアーセナルと、

前回王者であり世界王者でもあるACミラン。

前評判だけでも屈指の好カードであった。

場所はロンドン、エミレーツ・スタジアム(別名:アーセナルスタジアム)

このスタジアムは、最近できたばっかりの素晴らしいスタジアムで、

それもまた、この試合を素晴らしいものとした一つの要因であるかもしれない。


試合は攻めるアーセナルと受けて立つミランと言う構図。

アーセナルのサッカーは、決してスーパースターはいないのだが、

非常に面白いサッカーで、まさに人もボールも動くサッカーであった。

基本に忠実で攻守の切り替えが早く、パススピードが、本当に速い。

まさにこれが、日本代表の目指すスタイルであり、

個人技ではなく、組織で戦う理想のスタイルであると思った。

(やっぱ、ベンゲルだな、次の日本代表監督は!)


ミランは、マルディーニを中心とした伝統の守備力が健在で、

まず守ってカウンターっていうイタリアのチームらしいサッカーであった。

しかし、前線にカカやパトのような速い選手がいて、

セードルフのようなキープ力がある選手がいて、

ピルロのようなパサーがいるから、見ていて面白い。

以前から感じていたが、ミランと言うチームは非常にフェアなチームである。

悪質なタックルはしないし、執拗な審判の講義で警告を受けたりもしない。

セリエAのチームはそういうチームが多いから、尚更そう感じるのであろう。


試合はアーセナルが何度か決定的なシーンがあったが、

結局スコアレスドローであった。

サッカーは、もちろん得点シーンが最高の瞬間であるし、

点がたくさん入った試合のほうが、見ていて面白いが、

両チームの知将の選手交代のタイミング、駆け引き、

アーセナルの美しいパスサッカー、ミランの芸術的なディフェンスなど、

得点シーンとはまた違った、面白さがこの試合には詰まっていた。


そして、この試合を素晴らしいものとした要因に、

審判の完ぺきなレフリングがあったということを忘れてはいけない。

素晴らしい試合には、ほとんどといっていいほど、

素晴らしい審判がいるものだ。

どちらかに偏るジャッジであったり、悪質なファールを見逃したり、

試合の流れを読まず、笛を吹いたりすることは一度もなかった。

審判が下手だと、選手達が納得がいかず抗議をしたりして、

試合が止まったりする。

それは見ているものにとっては、非常に退屈な時間だ。

そういうシーンが多くあると、どうしても試合自体も、

つまらない、退屈で平凡な試合になってしまう。

そういう意味で、この試合は、選手もボールも、

ほとんど止まることなく、動いていた。

素晴らしい審判がいて、初めて良い試合となることを、

再確認した一戦でもあった。

海外のサッカーとJリーグの差は、審判のレベルの差もあると思う。

今後、Jリーグがより発展していくために、審判のプロ化というのは、

急務であると、おれは思う。

理由は簡単。サポーターは、面白い試合を見るために、

スタジアムに足を運ぶのだから。


このエミレーツのゲームを見る、数日前、

東アジア選手権の日本ー中国戦を見たものだから、

余計にいろんな感想を持ったのかもしれない。

あの試合は酷かった、サッカーではなく格闘技のようにも見えた。

どんなに中国の選手が悪質なプレーをしても、

早い段階で審判がきちんとしたジャッジをしていれば、

おそらく、相手を見ずに飛び蹴りをするなんてこともなかったはずだ。

そして観客もまたしかり。

彼らは、自国の選手を応援するために来ているはず。

しかし、それ以上に日本が負けることを期待しているように見えた。

オリンピック開催国として、非常に恥ずかしい行為であると思う。

スポーツに政治や過去の歴史を持ち込んでほしくない。

そんなことをしているようでは、どんなに素晴らしい中国人の

スポーツ選手が出てきたとしても、世界からは、

見向きもされないであろう。


話を戻して、エミレーツに。

1st Legのスコアレスドローは、両チームにどう映るのであろう。

負けなかったミラン、アウェーゴールを与えなかったアーセナル。

サンシーロでは、どんな結末が待っているのであろう。

3月5日の2nd Leg、サッカーの神様が、

どんなシナリオを用意しているのか、本当に楽しみである。

しかし、どんな試合であっても、最後には選手達同士が、

健闘を称えあい、握手をするような、そんな試合であってほしいものだ。




野良猫はいつも、どこかに食べ物はないか、

そんなことばかり考えている。

けれど、必死に探しているわけではない。

いや、もしかしたら必死なのかもしれないが、

絶対にその姿を見られまいと、野良猫は心に決めている。


野良猫は決して集団で群れたりはしない。

野良猫は、野良猫である間は、単独行動を取ると心に決めている。

しかし、それは望んでいることではない。

安定した食事が出るところや、暖かい場所で眠ることが本望だ。

野良猫は、いつかその日が来ることを夢見て、

今日も明日も仕方なく、野良猫であり続ける。


野良猫は自分が野良猫とであることを良く思っていない。

どの野良猫も、できるだけ早く野良猫を辞めたいと思っている。

それにしても、同じ猫でも随分と差があるものだ。

一方は、暖房のある部屋で、絨毯の上でまどろみ、

もう一方は、明日を生きるため、寒空の下、食べ物は探し回る。

野良猫は野良猫を辞めるため、朝から晩まで歩き続ける。


おれは、今のおれを良く思っていない。

おれは、できるだけ早く、今のおれを辞めたいと思っている。

いまのおれは、決して集団で群れたりはしない。

今のおれである間は、単独行動を取ると心に決めている。

おれはいつも、どこかに仕事はないか、

そんなことばかり考えている。


おれも野良猫も、どこかに希望はないか、

そんなことばかり考えている。


おれも野良猫も、今日より明日を素敵な一日にするために、

そのために、’いま’を歩き続ける。

ただ一点を見つめる、それがこれほどまでに眩しいとは。

海の向こうよりも遠く、山頂よりもはるか高く、

とにかくずっとずっと、自分よりも離れた場所の、

微かに見える小さな光を。


そんな自分は笑われるかもしれない。

しかし、笑った奴におれは何も言わないであろう。

おれはきっと、自信を持って何も言わないであろう。

不確かな道で、不確かな自信が、

確かな道を創り、確かな自信を築く。

おそらく、それが自分を救ってくれるはずだから。

だから、おれは、ただ一点を見つめる。

しかし、それがこれほどまでに眩しいとは。


同じ幅の道で、見た目も何もかも同じような道が、

自分の前に2つ広がっていたなら、

おれは迷わず、人通りの少ない道を選ぶであろう。

とにかく大多数ってやつが嫌いなんだ。

昔からそうしてきたし、今だってそれは変わらない。

少ない道の方が、可能性がいたるところに落ちていて、

きっと、拾い易いに違いない。


大切なことは急がず、じっくり見極めること

たぶん、それだけだ。

けれど、それはあまりに難しい。

落ち着け、落ち着け、とにかく落ち着け

何度自分に言い聞かすであろう。

転んで、転んで、また転んで、

あと何度転げば、転ばずに歩いていけるのであろう。


まだ頑張れる。そう言い聞かす。

まだ大丈夫。そう信じ続ける。


そのために、おれはただ一点を見つめる。

それがこれほどまで、眩しいことは知りつつも。


ただ一点を見つめる、小さな小さな光、ただ一点を、、、。

『みんなで畑に行くじゃないですか、

 そんでね、みんなで一緒に耕すんですよ。

 そりゃーね、指示する人、される人っていうのは、

 当然のことながら存在するんだけど、

 それが偉いとかそういうのじゃなくて、

 ただ単に、そういう役割って言うか、ポジションなんすよ。

 サッカーだって、点を取る人が目立つけど、

 一番偉いわけじゃないのと同じで。

 それがチームの中で、一番機能するから、

 そうしているわけで。

 でね、みんなで一緒に種を植えるんですよ。

 水をまいたりするのもみんなで。

 みんなで泥だらけになって。

 朝、芽が出てるのを見たら、みんなで喜ぶんです。

 みんなでガッツポーズ、みんなでハイタッチ。

 花を咲かせるという目標に対して、

 みんなの温度差なんか無くて、

 みんな同じ想い、みたいな。

 誰かと誰かが仲悪くなったり、口論になったり、

 作業している時は、そんな事だってあるよ。

 でもね、それはね、同じ目標に向かっていることに対しての

 互いの確認なんすよ。

 誰かが情熱を失った時に励ます奴がいて、

 それで初めてチームなんです。

 花が咲いたのを見たら、みんなで手を取り合って、

 自分達を褒め合う、互いの検討を認め合う。

 おれは、そういう組織の一人でありたいんですよ。

 同じ想い、心、そういう人と一緒に仕事がしたいんですよ。

 けどね、難しいことは分かってますよ、組織である以上は。

 でも、目指すことを諦めてしまったら、もうそこで終わりですよ。』


      ~いつかの心の声より~



 

 

 

何かを目指す時、いつも彼が自分の前を走っている。

ずっと遠く、ぼんやりにしか見えないくらい遠くを。

どれだけ懸命に追いかけても追いつくことはできない。

それは、今の自分に達成するだけの何かが足りないからだ。

少し、沈んだ気持ちになる。

そんな時、遠くのほうで先を走っている彼が、

後ろを振り返り、こう言う。

「キミ、目標はキミが選んだのだよ。」と。


人間は、誰かのせいにする生き物なのかもしれない。

自分の過ちを認めたがらない負けず嫌いな生き物なのかもしれない。

それでも、人間はそんなことをしても、

何にもならないことは知っている。

上手くいかないとき、自分の思うようにいかないとき、

自分が自分でなくなってしまいそうなとき、

目標は、時に重く、苦しいものと感じることもある。

おれは、先を走っている誰かに言い訳を叫んだりする。

そんなことをしても、何も変わらないと知りながら。

すると、彼はゆっくりと後ろを振り返り、

少し諦めの表情で、こう言う。

「キミ、目標はキミが選んだのだよ。」と。


目標達成のために、必死に走ってみる。

少しでも彼に近づくために。

そして、彼の前を走ってゆくために。

これまでも、そんなことは何度もあった。

彼が、おれに向かって何か言っている。

しかし、おれはあまりに必死になりすぎて、

彼の言葉が耳に入ってこない。

いつだったけな。

いつか、彼を追い抜いたことがある。

去年の4月、店長になった時だっけな。

おれは、後ろを振り返り、彼に向けて、

ガッツポーズをしてやった。

しかし、彼の姿はどこにもなかった。

おれは、少し諦めの気持ちで再び前を見ると、

驚いたことに、同じ顔をした彼が、

またもや自分の前にいた。

彼は後ろを振り返り、こう言う。

「キミ、次の目標はなんだい?」と。


おれは、何かに必死になっているとき、彼の声は聞こえない。

それは、目標が正確に見えてるからなのかもしれない。

少し、気持ちが沈んだ時にだけ聞こえる彼の声。

理想が遠ざかっていくと、

怒りも笑いも喜びも何もかもが自分から遠ざかっていくような

そんな気持ちになり、自分が希薄な人間になっている気がする。

しかし、そんな時、いつだって彼が、

自分に向けて、言い聞かせてくれる。

「キミ、目標はキミが選んだのだよ」と。


新しい世界への入り口は、その場所を探し出すのではなく、

自分の中に作り出すものなのかもしれない。

そして、彼はおれを勇気付けるように、こう言う。



「キミ、僕はいつだってキミ自身なんだよ。」と。