いい音楽と出会えた瞬間は、いつだって気持ちいい。

慌ただしい日々、イライラした自分への葛藤のある時、ベンチに座りコーヒーを飲んだ時のような落ち着き。

BUMP OF CHICKENの新曲「supernova」は、おれにとってそういう歌となった。


何だろう、この気持ちは。恐ろしく、心地良い。

むかしの懐かしい記憶を、思い出したかのような気分だ。

当たり前のことを当たり前に歌った曲かもしれない。でもそれが逆に新鮮に感じる。

忘れてはいけないものを確認させられているような、でもそれを高圧的に言っているわけではなく、飴玉を舐めるようにゆっくりと語りかけている。そして、今のおれの要求に静かに応えてくれているのだ。


BUMP OF CHICKENは大好きなバンドではあったけど、一つだけとびぬけて好きな曲というのはなかった。

今回、この「suparnova」が超新星としておれのバンプのランキング1位に躍り出たことを嬉しく思う。





おれの故郷、横浜。

自分の街は横浜だということを実感したのは、東京に来てからだ。

連日、長時間の仕事の中、たまの休み実家に帰る。

首都高を通り、ベイブリッチの上から横浜の街が見えてくる。

「あ~、帰ってきたんだ。」と思う。


休日というのは、身体のあらゆる機能を休ませる日でなければならない。

身体だけじゃなく、視覚、聴覚、臭覚も。

仕事をしているとそういった機能が弱ってくる。

横浜は、そのあらゆる機能を見事なまでに回復させてくれる、癒してくれる。

当たり前のように見てきたものだからこそ、見てないと辛くなるのだ。


東京に来た当初は、外国に来ているような気分になった。

知らない建物に囲まれ、知らない人たちとすれ違い、知らないところで食事をとる。

これを外国ではないと証明するものがどこにあるんだろうと、いつも考えていた。


今では随分と慣れ、’余裕’も出てきたけれど、横浜に帰りたいという思いは変わらない。

きっとそれが’自分の街’という意味なんだと思う。

たとえば、仕事をしている時の状態を「ON」とすれば、そうでない時は「OFF」となる。仕事を100%頑張るには、「OFF」の時間がすごく重要。「OFF」の時間をどのように過ごすか、それによって仕事への意欲も変わってくる。一日の中で、最低何時間かは、「OFF」の状態が必要だと思う。

好きな音楽を聴いたり、本を読んだり、誰かと会ったり話したり、こうしてパソコンの前に座ったり。

その時間が「ON」の時の自分へ、エネルギーやパワーを与えてくれる。


大切なのは’バランス’。「ON」も「OFF」も長すぎず短すぎず。

おれは、「ON」の時は仕事を全力で、と心がけている。けれど、「OFF」の時は仕事のことは一切考えない。

そうすることで、仕事に対し全力で向き合える。

だから「OFF]の時、人と会う時間は極力、同業者とは会わない。

どうしても仕事の話になってしまうし、何より人間として幅が広がらないと思うから。

自分で選んだ仕事ではあるけれど、それしか知らない人間になりたくない。

一つのことに集中しきらず、違う職業をしている人の話を聞いたりすることによって、自分が持っているいろいろな可能性を探りたい。それが今のおれにとって、’良く生きる’ということ。

12月8日が日米関係にとって大きな意味を持つ飛騨ということをおれは最近知った。


「真珠湾攻撃。」


昭和16年、今から64年前の12月8日、それは行われた。

世界が戦時下に置かれていたとはいえ、この国はハワイにとって一生消えぬ傷跡を残し、多くの人を殺してしまった。今でも、被害を受けたアリゾナ艦の下には、多くの死体が眠っているという。

戦争中だったとしても、それがひどいことというのは変わらないし、今あの戦争が終わり友好を築いたとしても、64年前の今日を「なかったこと」には絶対にできない。

ハワイは日本を憎んで当然だと思う。けれど今、ハワイという土地は、日本人を快く受け入れてくれている。

果たして、ハワイの人々はどのような気持ちなのだろうか。

もしそれが本当に善意なのなら、日本人は彼らに感謝しなければならない。

もしかしたら、あの楽園も素晴らしい海も、見ることさえ許されなかったのだから。

「日本とハワイ」 今、お互いの国の人々が自由に行き来できる現実を素直に嬉しく思う。

死から25年経った今、平和や反戦を訴えていたあの人には、現在の世界情勢はどのように見えていることだろう。

「War is over if you want it.」 きっとそう言っているに違いない。


新しい世紀を迎えた今、世の中のいろいろなものが便利になっていく中で、目を覆いたくなるような悲しい現実も残念ながら消えてはいない。

意味のない爆弾や地雷や核兵器。銃声におびえる人々、食糧のない子供たち。

世界のどこかでは今もなお、こういった困難が存在する。

さまざまな意見があると思うが、一つ言えることは、彼のLove&Peaceの活動は、このような困難を少しでもなくしていこうとした活動であったということ。

今でも多くの人を動かす力を持っていることは、彼の考えが世界を良い方向へと導くものであったということを証明している。


国があれば国境がある、国境があれば守ろうとする、守るには軍隊が必要となる。

そして兵士は銃を持つこととなる。結果、世界はまた一つ、悲しい出来事を創る。

国境なんてない、宗教や思想の違いで誰かが死んでしまうことなどない、

国境を越えて、あらゆる人種が一緒に生活できる世界。彼が目指した世界はそういう世界だ。

アルバム「イマジン」は彼の理想世界の結晶である。。


1980年12月8日、世界は偉大な人物を失った。



おれは、食べ物に対して’欲’というものがない。

「何が食べたい?」などと聞かれると、決まって「何でもいい」と答えてしまう。

どうしてもこれが食べたいというものは、残念ながらおれにはない。

好き嫌いは多いけど、一言で言えば安上がりな人間なのである。


だけど、「好きな食べ物は?」と聞かれれば、「メロンパン」だと言うだろう。

いつも食べたいわけではないけど、聞かれたときはそう答える。

スーパーとかコンビ二で売っている袋に入った冷たいメロンパンは嫌いだ。

おれが好きなのは、パン屋さんで売っている焼き立てのメロンパンのこと。

釜から出た直後のホカホカのメロンパンを初めて食べたとき、涙が出るほど感動した。

すごく幸せな気分になったのを覚えている。

一つ違いを言えば、食感はもちろんのこと、後味が大きく違うのだ。

食べた後の口の中の違い。

焼きたてのメロンパンは変な風に口の中で残らず、すべて気持ちよく体内へ入っていく。

たぶんその感動は、一生忘れられない。

Truth is always in the narrow valley quietly.

The flow never ceases, but it's difficult for us to find it.

Just man, who have clearly the purpose can meet the flow with helping of the chance.

If a man can catch it once, he never loses the way.

We're living to find the way everyday.

Almost people finish the life not to meet the flow.

So, in the false society, we may have the false hope.

It's realof the world now.

In the truth society is filled with many hopes.

We think who want to go there.

Heaven is surely such a place.

朝食の時間はとても重要、というか重要でありたい時間。

朝食がおいしいと感じることは、その日一日が良い一日になるということを暗示してくれる。

これは、ヨーロッパに行ったときに思ったことだ。


周りで食べていたヨーロッパ人は皆、一様にリラックスしていて、焦っている感じが全くしなかった。

彼らを見て思ったことは、その時間を楽しむ’余裕’を持っているということ。

仕事に行く前のビジネスマンも多く見かけたが、誰も急いでいる素振りはなく、

長い時間かけて新聞を読んだり、知人たちとゆっくりと会話を楽しんでいた。

すごく羨ましいと思った。

きっと、やるときはやる、やらないときはやらないという、「ON」と「Off」の使い分けが巧いのだろう。


おれは旅行中こそ、楽しむことができたけど、普通に生活している現在の朝食の時間は、時計との睨み合いが続いている。その時間を楽しむという余裕は完全にない。毎朝、時計の針が早く次の針へと進みたがるもんだから、何かに追われるように焦っている。これでは良い一日とは出会えないのかもしれない。


そのときのヨーロッパ旅行は本当に楽しくて、今でもかなり上位にランクする良い思い出となっている。

それは、もしかしたら、朝食がおいしく、その時間を楽しめたからなのかもしれない。

今、教育の現場としてある学校が歪んでいるのは、誰の目から見ても明らかだ。

おれが、卒業してからまだそんなに多くの時間が経っていないのに、当時の教育のあり方と、今の学校のあり方では随分と違う。学校の現状を聞くたび、驚くことは少なくない。そしていつも残念な気持ちになる。


これは意識の問題だ。今の世代とおれたちの世代では明らかに意識というか、’モノ’の価値観が違う。

この問題を解決するためには、やはり先生だ。でも今の先生ときたら、、、。


おれは、小学校のときや中学校のとき怒られることが多かった。引っ叩かれたことも何度もある。

周りの友達もそうだった。みんなそうやって、何が正しくて、何がそうでないか学んでいった。

でも、今の先生がおれたちにしたようなことをしたら、先生の死活問題になってしまうらしい。

もちろん暴力は良くないが、教育現場ではそうでない場合だって絶対にある。

きちんとしたものを伝えるための手段として、許せる範囲のものもあると思う。それは、暴力とは言わない。


もう一つびっくりした(非常に残念だった)経験がある。

数年前、塾の講師のアルバイトをしていたころ、ある生徒が私に対して言ったことだ。

その生徒は分からない問題があり、学校の先生に聞きに行ったところ、その先生は、「塾の先生に聞きなさい」と言ったそうだ。その生徒は笑い話にしていたが私は笑えなかった。むしろ腹が立った。

なんという教育の現状だろう。結局、今歪んでいるのは先生に問題があるのだ、と思った。


先生たちは子供たちを見るということが仕事なはず。でも今の先生は、校長の顔であったり、PTAの会長の顔であったり、教育委員会の顔を見たり、果ては子供たちの親の顔を見たりで、肝心の子供たちに目が向いていない。結局は給料の出所に顔が向いてしまっている。これでは、良い教育などできるはずがない。これは、教育のみならず、社会全体の問題である。先生にすべて責任があるとまでは言わないが、このままでは確実に危険な状態になる。今、もう一度先生のあり方を見直す必要がある時期に来てるのではないか、そういう気がしてならない。



おれにとってのRedemption Song (救いの歌)は、ドラゴンアッシュの音楽。

挫けそうになった時、もうだめだと思ったとき、何度も救われた。

けれど、ドラゴンアッシュは癒し系でもなんでもない。むしろ逆である。

降谷建志の言葉は、誰かを慰めるようなそういう言葉ではない。共感してくれるとも違う。

簡単な希望でもないし、絶望や嘆きに、はまり込む言葉でもない。

その間にある、決して居心地が良くなくとも、ここに居続けなければならない現実をじっと見据える言葉、

そして無言で背中を押される感覚、ドラゴンアッシュのメッセージはそういうことだ。


ドラゴンアッシュがロックだろうがパンクだろうがヒップホップだろうが、おれにとってはどうでもいいこと。

良い音楽は、良い音楽だ。

彼らの音楽を聴いて強く生きようと思った。生きなければいけないと思った。

おれにとってのドラゴンアッシュの音楽は、これから先もずっと、キリスト教徒にとっての賛美歌のように、特別な音楽であり続けるであろう。そして、ドラゴンアッシュの音楽に対するベクトルが、どんな方向に向かっても、おれはきっと支持し続けるのだと思う。何年経ってもそこに救いを求めてしまうのかもしれないけども。

でもきっとその先にはきっと、良い何かが待ってるような気がするから。