仕事終わり、今年初めて横浜へ。今の家から横浜までは、首都高を使えば1時間で行ける。今の俺にとって故郷・横浜に帰るいうことは、最高にテンションの高いことだ。首都高に入って、5分もかからないうちに、池袋のサンシャインを通り過ぎる。今夜は道が空いていて、なおかつ車のエンジンも調子がいい。カーステのボリュームを上げてみる。最高にいい気分だ。首都高は、道幅が狭い上、曲がりくねった道が多く、大型のトラックも猛スピードで走る。慣れてない人は、きっと怖いだろう。首都高初心者は、渋滞にはまれば、ラッキーだと思ったほうがいいのかもしれない。


おれは、ジェットコースターとかは怖くて乗れたもんじゃないが、こういった種の速さは意外と好きだ。カッコつけていえば、F1のレーサーになった気分。昔、F1をテレビで見ていて、そのときマシーンに取り付けられたカメラからの映像と、首都高に乗った時、自分の視界に入る映像が、とても良く似ているからだ。


20分ほどで、銀座のネオンが見えてくる。そこは、ネオンとネオンの間に道が伸びていて、その一本道を走る時、なんだかスターになった気分になる。華やかな道には、俺のようなおんぼろ車ではなく高級車が似合うが、おれは車に乗っている時は、当然のことながら、自分の車の外観は見えていない。


30分も走れば、お台場が右手に見えてくる。特徴的な建物のフジテレビは、テレビで見る姿そのままだ。そして、レインボーブリッジへ。夜は特にきれいだが、おれは橋の上を走るよりも、橋に入る直前が好き。その入る瞬間が、最高にテンションが上がる。


羽田までは、しばらく何もない道が続く。羽田も、夜は飛んでいる飛行機は見えにくい。昼間であれば、近くに飛行機が見えたりして、いい気分になる時もあるが。しかし、羽田を通り過ぎると、もう少しだという気になる。


そして、いよいよこの1時間のドライブの一番好きな瞬間が訪れる。それは、ベイブリッジから見る桜木町の夜の街並み。誰が見てもそれはきれいなのだけれど、俺にとっては特別だ。観覧車が見える、ランドマークタワーが見える、ワールドポーターズやパシフィコも見える、それら全部含めて、俺にとって横浜。それを見た瞬間、自分が横浜出身であることを確認する。「あ~、帰ってきたんだ」という感覚がたまらなく好き。もしかしたら、おれはそのことを確認するために横浜に帰るのかもしれない。これはきっと、横浜を出なければ分からないことであった。東京に来たからこそ、横浜の良さを再確認できたのだ。横浜は、今のおれの中で、過去の街ではない。いつか自分が住むであろう、未来の街だ。それが今仕事をする上で、ひとつモチベーションになっている。


そして、本牧ふ頭の降り口。片道1300円の交通費は決して安いとは言えないが、言いようのない充実感がそこにはある。

モットーってやつを書こうと思う。


「焦らない、急がない、無理に走らない。でも、そこには確かな意志を持って」


こんな感じ。英語にすると、タイトルのようになる。


そもそも、何かに急かされて生きるのは嫌いだし、自分のペースとも違う気がする。複雑に絡み合った糸は、無理に解こうとしても絶対に解けない。大切なのは、ひとつひとつ時間をかけてでも、ゆっくりと確実に解くこと。車に乗っている時、スピードを出しすぎると、周りの景色がどんなものか分からない。けれど、ゆっくりと安定して走っていれば、いろいろなものが見える。焦ったり、急いだりすることは、損な生き方だ。


実はこれは、高校生の時に思っていたこと。


しばらくの間、忘れていた。


だから、再確認の意味で、ここに記すことにした。

この国には100歳以上の老人が2万人もいるらしい。その新聞の記事に、正直驚いた。2万人というと、かなりの数だ。だいたい、ひとつの県に400人くらいいる計算になる。彼らは、1905年以前に生まれているのだから、2回の世界大戦も、小さかったとはいえ日露戦争さえも経験している。人間の生命力はたいしたもんだ。


おれはまだ、24年しか生きていない。親たちだって、彼らの半分くらいしか生きていない。おれは、もしかしたらあと80年くらい生きるかもしれないのだ。今までだって、結構長い気がしているのに。


100年というのは、想像もつかないくらい長い。長すぎて、それが長いということがうまく理解できない。さぁ、あと80年何をしようかな。でも今はなんとなく、何もしなくてもいい気がしてきた。ゆっくり、焦らずに、そんな気分になった記事であった。

何が必要で、何が不必要なのか。

何が十字架で、何を救いとすべきなのか。

何が希望で何が絶望なのか。

そしてどういうことが、「良く生きる」ということなのか。


風がまた強くなる。


その風は、僕たちの様々な営みを、立ち上らせた僅かな温もりを、何処か遠くの世界へ運び去っていく。そして、後に残された何もない一日の中で、ぼくたちは、ただただうずくまる。身を震わす。頭を狂わす。


ぼくたちは、磁石も地図も無くしてしまった探険家だ。この時代、讃えられるのは、いくつも武勇伝を持った人ではなく、現時点でどんな武器を持っている人か、ということだ。その武器が、誰も持ってない武器であればあるほど、この時代を生き抜く術を知ることができる。過去の栄光は、酒のつまみぐらいにしかならない。


そしてぼくたちは、’いつもの’一日を繰り返す。その一日が幾日も続き、’毎日’となる。どこかに折り返しでもつけておかなけれな、間違ってしまいそうな’毎日’だ。そんな一日を、ぼくたちは必死に生きている。

大晦日のテレビが、ここ最近つまらない。歌か格闘技、歌番組は好きだけれど、紅白に魅力は感じない。格闘技は、見るのも好きじゃないし、何で大晦日にやるのか疑問を感じる。


おれが今年、見た番組はテレビ埼玉の浦和レッズの一年を振り返ると言う番組。うちは東京なのになぜか、テレビ埼玉がビックリするくらいきれいに映る。


すごく面白い番組であった。レッズはJリーグでは一番好きなチームで、去年は残念ながら一試合も生で観ることができなかったが、いつも結果だけは気にしていた。仕事の勤務地も埼玉だから、ラジオなどでレッズの情報をよく耳にする。昔は小野伸二、今は田中達也が好きだ。


今年2006年は、さいたまスタジアムに行こうと思わせてくれた、良い番組であった。天皇杯も勝ったみたいだし、今年はぜひレッズイヤーになることを期待して。

今年もあとちょっとで終わる。何かが終わると言うのは、いつだって寂しい。明日には新鮮な気持ちが訪れてくれるのかもしれないが、それでも今夜は難しい夜だ。


今までは家族で一年を振り返り、年越しそばなんかを食べながら紅白を見るという、ありきたりな大晦日であった。しかし、去年、今年と振り返る暇もなく、急かされるように新年を迎える。家族でゆっくり、ありきたりな大晦日というのは、何と恵まれていたのだろうと、今切実にそう思う。


今年、2005年は、様々な意味で、自分自身について深く考えた1年であった。嫌なこともたくさん経験した。けれど、人の優しさもたくさん知った。今、思い返しても涙なしには語れない出来事もある。本当に多くのことを考えた、考えさせられた1年であった。自分で決めた道とはいえ、険しい道だと思うことは多々あり、その度に悩んで迷ってくたびれて、それの繰り返し。何度も何度も思い返し、最終的には、「君、目標は君が選んだんだよ」と言っている自分がいた。


良い年もあれば、そうでない年もある。いつも良い年であったら、どういうのが良い年であるか分かりにくくなってしまうだろう。辛い時期を過ごすと、人は何が大事で何がそうでないか、理解するようになる。2006年、良いこともそうでないこともたくさんあると思うが、全てを糧にして進んでいきたいと思う。

~最終日~ (MILANO-MOSCOW-TOKYO)


早朝、ホテルからタクシーと電車を使い、マルペンサ空港へ。この電車の中で、近くに座っていた日本人が置き引きにあった。すごく残念な光景であると同時に、帰国ということで油断していたおれたちにはシビアな出来事なってしまった。あの日本人はどうなるのであろう、カードもパスポートもなくなってしまって。とりあえず、おれたちは気を引き締めなければと、改めて思った。


ミラノからモスクワまで4時間、そしてモスクワから東京まで10時間、おれは結構眠ることができた。飛行機における睡眠の重要性を知ったのだった。


成田空港へ到着。帰国と言うのはいつも、嬉しい気分になる。何で分からないけど、安心する。日本にいるときは、テレビなんかで海外の映像を目にするたび、行ってみたいなぁと思うのだけれど、実際海外に行くと、日本の良さ、便利さに多く気付く。それは、これまでの旅では、あまり感じなかったことで、今回それを感じたことは自分でも少々驚きであった。普段、当たり前のようにやっていることができないということは、あまりに不自由なことだ。でもそれが海外に行くということなのかもしれない。様々な貴重な体験をした旅、本当に楽しかった旅、けれどおれは、家に帰り、まずあったかい日本茶が飲みたいと思った。



                                                        -END-

~8日目~ (MILANO)


ミラノで2日目の朝。昨日同様、本当に美味しく、良い気分になった。そんな時何気なく見ていた新聞にすごい情報が!どうやら、今夜サン・シーロでACミランの試合があるようなのだ。早速みんなに相談。快くOKしてくれた。夜は寒いし、サッカーなんて見たくなかった人もいたと思う。そんなに安くないチケットを買うのは、嫌だったかもしれない。それでも嫌な顔一つせず、気持ちよくOKしてくれたことに感謝せずにはいられなかった。


よって、本日最初の目的地は、チケット購入場所である、「MILAN POINT」へ。所狭しと並ぶ往年のスター選手の写真は、サッカーファンなら落ち着いて見ていられるはずがない。ロッソ・ネロ(ACミランの愛称)の栄光に満ちた歴史を存分に味わえる場所であった。チケットは22ユーロ、即購入。


続いて、昨日同様、ブランド街へ。この日は母親へのお土産探し。いつも思うことだけれど、女性へのお土産はとても難しい。それがたとえ母親であっても。そんなわけで、いろいろと悩んでしまった。結局、買ったものはミュウミュウの小銭入れ。喜ぶか分からなかったけど、こういうのは気持ちが大事ということで。付け加えて書くと、ミュウミュウで自分へのお土産も買ってしまった。前から欲しいと思っていたキーケース。別にブランドのものでなくとも良かったが、デザインと機能性がとても気に入ったので、買ってしまった。


その後、自由行動。買い物の続きをする人もいれば、行きたい場所に行く人もいた。おれは、一人でミラノの街を歩いた。みんなで歩くことも楽しいけれど、一人で知らない街を歩くこともまた、違った楽しみがある。知らない街の知らない部分を、自分のペースで自分のリズムで、あらゆるものに視線を寄せる。それもまた、おれには心地よい。海外は決して高圧的にモノを言わない。そういえば、この一人での行動の時、日本の両親に電話をした。電話したのが、イタリア時間で午後4時であったから、日本は深夜0時ということになる。そんな時間に、いきなり電話がかかってきてビックリしたことであろう。


ホテルに戻り、みんなと合流。そしてサッカー観戦の準備。夜は、ドゥオーモ近くのファーストフードで簡単に済ませ、地下鉄でサン・シーロへ。せっかく来たんだからということで、スタジアム周辺で、みんなでACミランのユニホームを買った。スタジアムの周りは、たくさんの警察官、機動隊がいて不気味な雰囲気であった。でも、これがカルチョなんだなぁと思った。きっとこの国の人にとって、カルチョは人生の全てなんだ。だからこそ、危険にはなるのだけれど、文化にもなるのだ。そんなことを考えながら、いざスタジアムの中へ。



『小学校の時、初めてセリエAを見てから約10年。テレビで見る海外のサッカーは、非現実的な世界であった。ブラウン管に映る物は、何か別の惑星で行われている気さえしていた。でも今、自分が見ているものは紛れもなく現実だ。サン・シーロの芝を目にしたとき、嬉しいと言うよりも、自分がここにいることが信じられないという方が強かった。怒号、発炎筒、巨大なスタジアム、そのどれもが日本で見ていた映像と変わらない。空想の世界の映画を見ているような、そんな感覚。手に入れたいと強く願っていたものを手に入れたときの、叫びたくなるような嬉しさ。’生きていて良かった’と本気で言ってしまうくらい、おれにとっては至福の瞬間であった。』



試合は1.5軍にのミランと本気のラツィオ。ラツィオも一時期は、おれの中で憧れのチームであった。欲を言えば、マルディーニやシェフチェンコなどが出ているベストメンバーのミランが見たかった。結局試合は、アウェーのラツィオが2-1で勝った。ミランにとっては、開始早々のGKのミスが敗因の全てだったかもしれない。ホームのミランが負けてしまい、残念であったがサン・シーロでカルチョを見たと言う事実が、すぐにおれの中に収まりきらなかったせいか、ショックと言うものはあまり感じなかった。次の日の朝早いということで、おれたちは試合が終わって何枚か写真を撮り、足早にスタジアムを後にした。



『今夜は特別な夜だ。だって、10年も思い焦がれた人とようやく出会えたのだから。これほど何かに興奮し、喜びを感じる夜は、この先何度もないだろう。きっと何年経ったって、おれは今夜起きたことを、目を細め、昨日のことように懐かしむだろう。』



~7日目~ (MILANO)


ミラノで初の朝食。朝食は、今回4都市全てホテルのバイキングであったけれど、このミラノでの朝食が一番良かった。種類も多く、味も良く、ウェイターの対応も親切で、なおかつユーモアに富んでいて気持ちの良い朝となった。前にも書いたが、おれにとって朝食というものはすごく重要なもので、どんな一日になるかの目安となる。日本にいても、朝食は大事なものでありたいと改めて思った朝であった。


本日最初の目的地は、サンタマリア・デッレ・グラッツェ教会。レオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」が置かれている場所。この絵は壁画となっていて、キリストが同じ食卓につく弟子たちに向かい、’汝らの中の一人、我を売らん’と言った瞬間の12人の弟子たちの驚愕と動揺が生き生きと描かれた有名な作品。それにしても、この絵は何なのだろう、今まで見てきたどんな絵よりも特別な気持ちになった。この絵がもつ大きな力のせいであろうか。制限時間の15分が、とにかく短く感じた。何か不思議な気持ちで、多分ずっとそこにいても飽きることなく見続けることができたと思う。1枚の絵を見てこんな気持ちになったのは初めてであった。


続いておれたちは、ミラノのシンボル、ドゥオーモへ。ミラノの街は、このドゥオーモよりも高い建物を創ってはいけないという法律があるようで、そのせいかすごく目立つ。完成までに約500年もの歳月が費やされただけあって、圧倒的な存在感を誇っていた。2245体の聖者像、全て見ることは不可能に近いけれど、そのひとつひとつが芸術作品のようで、思わず上を見上げたまま、口を開けっ放しにしてしまった。それだけに今回一部改修中であったっことが残念でならなかった。


次におれたちは、ドゥオーモ近くの公衆電話で、帰りの飛行機のリコンファームをした。ここは、おれが担当したのだけれど、最低だったと思う。自分の英語力のなさに泣きたくなった。とりあえず、「予約確認」という最低限の目的は果たせたが、もっと勉強しなければいけないと強く思った。


この日は昼食抜きで、続いて買い物。様々なブランドが建ち並ぶモンテ・ナポレオーネ通りへ。おれは父親のお土産として、アルマーニでネクタイを買った。今回初の買い物。そして人生初のカード払い。やっぱり、イタリアに来ることができたのは、両親のおかげ。バイトをたくさんしてお金を貯めることができたのもまた、両親のおかげ。ということで、今回は少々高いお土産を買おうと決めていた。でもこれは、何よりも当然のことで、おれは特別なこととは思っていない。


午後は、ローマに引き続き、男性陣、女性陣に分かれての自由行動。女性陣はもちろん買い物の続き。おれたちは、ルネッサンス期の建築物であるスフォルツェスコ城へ。これは、ミラノで最大の歴史的建築物であった。ここに行くまでもまた、ローマの時と同様、かなりの歩く時間を要した。この城は、何というか城という感じが全くなく、博物館に近いなぁと思った。古いせいか、歴史的な重みは充分感じることができたが、今回4都市の建築物に比べると、それほど心が躍るものではなかった気がする。残念なことに、猫がたくさんいて、その糞が至る所にあったことが、大きなマイナス要素であった。しかし、行くまでの景色なんかは、落ち着いた街中を通ったせいか、穏やかな気分にさせてくれるものであり、とても良い経験になったと思う。


一度、ホテルに戻り、近くのスーパーへ。パスタやクッキーをお土産にしようと思った。イタリアは物価が高いと感じていたけれど、このスーパーは日本のそれよりも安かった。お土産に適しているものも多くあり、観光客のお土産には良い場所である。今後、海外に行く機会があれば、スーパーも選択のひとつとして考えようと思った。袋いっぱいに2袋となったにもかかわらず、2000円以内で済んでしまったことは驚きである。


夕食は’ROSSO・POMODORO’という賑やかなレストランで。店員が英語を話せなかったので、注文をするにも大変であった。とりあえず、いくつか頼んでみたけれど、何が出てくるか分からないというのは、非常にスリルがある。。出てきたもので名前と料理が一致しないものもあったが、美味しいものも多くあり、楽しい夜となった。



店員が日本の相撲レスラーにそっくりであったことも付け加えさせていただく。

~6日目~ (VENEZIA-MILANO)


朝食後すぐにベネチア市内観光。まず、サンマルコ広場内の大鐘楼の展望台へ。フィレンツェと違い、エレベーターがあったことが有り難かった。ベネチアという街は、建築物と水が絶妙なコントラストを描きながらも、それぞれが互いのよさを消すのではなく、互いのよさをより引き出している感がある。この日は天気があまりよくなかったため、遠くのほうまで見えなかったが、もっと遠くまで見れたなら、もっときれいであるということは容易に想像できた。


その後、おれたちはベネチアといえばこれ!というふうにゴンドラに乗った。すごく寒かったけど、水と共に生きる人々の日常なんかも見れてとても良かったと思う。おれは、ラスベガスに行ったときも、このベネチアという街をイメージした「ベネチアン」というホテルでゴンドラに乗った。その時は、船員さんがカンツォーネを歌ってくれたが、今回の本場では残念ながら、それは聴けなかった。けれど、とても良い思いでになったと思う。ゴンドラに乗っている時に思ったのだが、このベネチアという街は、どこかイタリアらしくない気がした。歴史的にアジアの国々との貿易が盛んだったせいもあるだろうが、ともかく、ベネチアはローマとフィレンツェとは違い、イタリアではない新しい国にやってきたような気分にさせてくれた。


ゴンドラを降りた後,サンマルコ広場内にあるカフェへ。カフェといっても、普通のカフェではない。文人、芸術家に愛された1790年創業の歴史ある、「カフェ・フローリアン」。ここは、ヨーロッパ最古のカフェといわれ、おれが日本を発つ前から行ってみたかった場所のひとつであった。値段は高かったけど、雰囲気や店員の配慮がとても良かった。おれは、注文する時に緊張をしてしまい、ローマの時と同様、またもや量の少ないエスプレッソのようなものを頼んでしまった。一緒に運ばれてきたミルクのほうが量のほうが多かったことを、カフェを出た後、みんなで笑った。


おれたちは店を出た後、そのまま街をぐるぐる見て回り、溜め息の橋で溜め息なんかしてみたりした後、ホテルに戻った。そして、今回の旅の最終目的地であるミラノへ。駅へ向かう水上バスの中で街の景色を見ながら、おれはここを後にすることを少し寂しく思った。


電車で約3時間、そしてミラノへ。ミラノ中央駅は、ヨーロッパ最大というだけあってとても大きく、イタリアらしい芸術性に長けた駅であった。おれたちはとりあえず、ホテルを目指し地下鉄へ。海外の地下鉄というのは、どこか危険な匂いがする。つまり、静かで暗くて、すごく不気味ということだ。


ホテル近くの駅に到着。もう、夜の8時になろうとしていた。しかし、ここからが大変であった。ホテルが見つからない!道行く人に尋ねても、ローマと違い英語が全く通じない。本当に困った。結局、やっとの思いで発見できたが、チェックインしたのは9時30分になろうかという時間であった。疲れたけども、今回の旅の4都市のホテルの中で、最も良いホテルということが、そんな気持ちを和らげてくれた。おれは、ベッドに入ってから、次の日から始まるファッションの都での時間にわくわくしてしまって、眠るまでに少々時間がかかってしまった。