「踏み切りの音は鳴り止まず最小限の誓いと

小鳥の声は鳴り止まず起きる時間は無視して鶏は鳴く

起きていきなり笑い始める突飛さで

新芽を激励し、春を呼び覚ましていく

青い嵐が通り過ぎる

おれはまだ語れるほど優しくはなく

激励できるほど強くはない

ただ目を覚ますために飛んでいくことはできる

ただ気を紛らわすために鼻歌くらいは唄うことはできる」


突然吹いた新しい風。様々な意味でおれにとっては、意味のある風となった。人は環境の変化を、期待することもあれば恐れを抱くこともある。おれにだって、両方同じくらいある。それでも今は憂鬱な気分ではないし、むしろ待ち望んでいる。心細いし不安だけれど、同じくらいわくわくしている。


ここ何日か本当に刺激的な毎日であった。様々なことを確認、または発見できたりして意味のある日々であったと思う。それまで感じていた不安やら憂鬱を、’話す’ということでクリアにできたことが大きい。こういうのずっと待っていた。変化に乏しい日常から、刺激のある日常へ。簡単なことではないと思っている。それでも、これを自分自身の力で得たステップアップと考えたい。


今回、おれがパン屋になり、特にお世話になった二人と話をする機会を持てたことが大きかった。右も左も分からなかったおれに、パン屋としての正しい道を示してくれた人たち。彼らが共通しておれに言うことは、パンの技術的な面よりも、人としてどうあるべきかのことの方が多い。良い人間関係を築くことが良い仕事に繋がるだとか、どんな人に対しても思いやりを持って接することが大事だとか、仕事をする上で重要なことをいつも言ってくれる。これはおれがアルバイトの時から彼らから言われていたことで、今回もまたそのような話をいただいた。けれども、忘れがちになっていたおれにとってはとても新鮮であり、意味のある話となった。この二人と話をすると、良い社会勉強をした気持ちになる。まだ若造とも言えるおれなんかにも、きちんと話をしてくれること、おれの話に耳を傾けてくれることがただ嬉しいし、そんな彼らを見て尊敬の念を抱く。同時にいつか自分も、そうありたいと思う。もし今、同業者に問わずおれが人として認められている部分があるのならば、この二人の影響はとても大きい。もちろん技術的な面でも、大きな影響を受けている。


春は「出会い」と「別れ」の季節であるが、おれはそれ以上に「感謝」の季節であると思う。だれかに「ありがとう」を言う季節。今年の春はそんな感情が、たくさんありそうだ。それもまた、喜ぶべきことである。そして今、新しい環境での挑戦、新しい世界への入り口は、その場所を探し出すのではなく、自分の中に作り出すものなのかもしれないと、感じている。



Swim across the night, heading straight for light

Picture all the sights, where the birds still fly

With all my might, wish in the end is right

On the other side of the empty pride

Journey of revival it's time to try

I made up my mind to find my way of life


 夜の闇を泳ぐ 真っ直ぐに光に向かって

 今も羽ばたく鳥たちを思い浮かべながら

 ただ力の限り・・・ 最後には正しいと信じて

 空虚な自尊心の向こう側に 再生の旅に出るんだ

 そろそろ行かなくちゃ

 自分の道を見つけるって決めたんだから


                 "Revive" (Dragon ash)





最近ヨーロッパのサッカーでは、ファンによる黒人への差別が問題となっている。黒人の選手に人種差別的な発言をしたり、バナナの皮を投げつけたり、サルの鳴きまねをしたりなど、本当にひどいこと。ある選手は、試合の途中に耐えられなくなり、試合を放棄してしまった。こういうニュースは本当に残念だし、絶対にあってはならないことだと思う。


スポーツに限ったことではないが、人種差別というのは戦争と同じくらい、悲しいことだ。特にスポーツにおいては、選手はすべて平等で、ただ純粋にそのスポーツにおける力量で、その選手を判断すべきものであるはず。国籍や皮膚の色で判断されるのであれば、それはもうスポーツとは呼べない。どうして白人は黒人をそういう目で見てしまうのであろう。彼らが何をしたというのであろうか。サッカーは世界一人口の多いスポーツであるし、どの国でもやっている人が必ずいる。そのサッカーでの問題だけに、残念で仕方がない。


日本という国は、歴史的な面から見ても黒人に対して目立った差別はしていない。もちろん、これからも変わらずそうあるべきだし、これからは差別を行っている国々に対して、それを止めさせる役割を担っていかなければならないと思う。スポーツ観戦のマナーは、日本は世界に誇れるものだと思う。どの選手にであろうと、インターナショナルな大会で自分の国の選手でなかろうと、良いプレー、素晴らしいものに対しては拍手を送る。そこには、人種差別、政治的なものは関係ない。それこそが、スポーツ観戦においての最低限ルールであるし、マナーだと思う。


今年6月にドイツで開かれる、サッカーのワールドカップ、素晴らしいプレーをたくさん見たいし、日本代表の活躍にも期待している。ただ、サッカーとは違った部分で、大会を盛り下げることはやめてほしい。どんなに、盛り上がった大会でも、そういう問題が一つでも起こってしまったら、その大会はスポーツの大会として成功とは言えないと思う。

「悩んでて、くたびれていて、ちょっとあきらめていて、自分と現実とのどうしようもなさにほとほと手を焼いていて、でも根がふんぎり悪いせいか、何もかも捨ててしまうことはやっぱりできなくて、

そんな疲れ果てた、あきらめの悪い、誠にすっきりしない希望みたいなものが、今はべっとりと背中に張り付いている」


二つの分かれ道、その先にはそれぞれ何がある?

「No」と言うことが精一杯だった時代から、おれは随分と自由を手にしたのかもしれない。辛いことは、当たり前のようにあるけど、それでもおれは好きなものを選べるようになった。選ばなくてはいけなくもなった。

そして、おれが正直になればなろうとするほど、正確な言葉は闇の奥深くへと沈みこんでいく。それに変わるように、何とも始末の悪い感情がきりきりとした痛みと共に、胸の奥から突き上げてきた。できることなら、誰かに聞いて欲しい、同じ道で歩いている誰かに話して、少しでも自分自身の考えていることを言葉にしたい。けど、今はそれがどうしてもできない。自分の問題であるはずなのに、何か得体の知れぬ圧力を感じてしまっている。それはもしかしたら、思い過ごしなのかもしれないけれど。


今まで自分が歩いてきた道を振り返ってみる。紆余曲折は多々あったにせよ、良い想い出ばかりが見える。後悔はない、それだけは自信を持って言える。でも今、もしかしたら何か自然な流れが流れ、季節の巡りで移り行く風のように、終点に行き着いたのかもしれない。何事にも潮の変わり目はある。けれど、その風に自分を同調させようとしても、残念ながらどうにもならないこともある。おれは今、そのせめぎあいに頭を悩ませている。そんなことを考えていると、怒りも笑いも喜びも何もかもが、自分から遠ざかっていて、自分が希薄な人間になっていくような気がして怖くなる。


「求めなさい、そうすれば与えられるであろう

探しなさい、そうすれば見出すであろう

門を叩きなさい、そうすれば開けてもらえるであろう」  (聖書より)


おれは、特定の宗教を持たない人間だが、この言葉は良く思い出す。高校の時、おれはアメリカにホームスティをしたのだけれど、最後の日の別れ際、おれはステイ先の家族から聖書をプレゼントしてもらった。この言葉はそこに書いてあった。それからというもの、自分が何かで悩んでる時、この言葉が救ってくれたこともある。多くの人の人生に、大きな影響を与えることのできる、強い言葉だと思う。これからも、いくつかのジャンクションに出くわすと思うけど、この言葉の上にある天秤が掲げた方へ、確かな意志を持って静かに向かいたい。今は、そう思うことだけで精一杯。自分がどういうふうな選択をするかさえ、恥ずかしながら見当もつかない。一日でいいから、玄関マットか何かになって、その日ずっと倒れたまま、死んだふりしてねむっていたいなぁ、なんて。








横浜の友人たちとディズニーランドに行ってきた。このメンバーは、横浜のパン屋にいたときのメンバーなのだけれど、その中に一緒に働いていたパートさんの子供たちもいた。普段仕事をしていると、全くといっていいほど小学生と話す機会はないおれにとっては、彼らと遊んだり話したりすることはとても新鮮で、いいリフレッシュにもなった。おれは、高校の時以来のディズニーであったのだけれど、彼らは何回も来ているらしく、おれは常に腕を引っ張られながら走り回っていた、いや走り回されたかな。


この日は天気もよく、学生たちも休み期間中とあって多くの人で賑わっていて、どのアトラクションもかなりの時間、待つことが必要な状態であった。おれの友人の子供たちは、他の子供たちと同じよう、待つことが嫌いで、時間を見つけてはお土産やさんに走ってしまっていて、おれは長蛇の列に一人で待っている時間もあった。本当に残念なことなのだけれど、おれは実はジェットコースターが大の苦手で、速いだけならまだしも、スプラッシュマウンテンのような急降下するものは、考えただけでも顔が歪んでしまう。あーいう類のものは、ブレーキの壊れた車で急な坂道を降りることと同じくらい怖い。多分、スプラッシュマウンテンに乗ってたなら、その夜、車の夢で何度も目を覚ましてしまうであろう。


おれは結局、スプラッシュマウンテンにも乗らなかったし、ライフルのようなもので的に当てるゲームなどでも、子供たちに負けてしまったので、おれは子供たちにずっと馬鹿にされ続けた。彼らと知り合ったのは、おととしの夏くらいで、それ以来、彼らはおれをニックネームで呼ぶ。この日ももちろんそれは、変わらなかったし、彼らがやがて大人になるにつれて、いろいろなことを知ると思うけど、変わらずにニックネームで気軽に呼んで欲しい。おれは年下からも、そういうふうに呼ばれるような大人でありたい。


9歳の子は女の子で、とても元気がいい。おれが横浜を離れ東京に出て行くことが決まった時、お店まで来てくれて、手紙をくれた。その手紙には、おれのことを忘れないと書いてあった。彼女がそのことを今でも覚えているかは分からないけれど、本当にうれしかったし、おれの宝物。もちろん今でも大切に持っている。12歳の子は、4月から中学生になる、こちらも元気な男の子。彼とは、この日2人で多くの時間を過ごした。常に乗り物は隣であったし、ディズニーランドのことをこと細かく教えてくれもした。本当に楽しそうで、目が輝いているのを見て、おれもこんな時があったのかなぁと、昔を懐かしんでしまった。この2人は兄弟なのだけれど、2人とも本当にかわいいし、おれの良き友人たちである。


それにしてもディズニーランドは、相変わらずすごいな。ミッキーと写真を撮るだけで、1時間半も待つ子連れのお父さんは、仕事より大変だろうな。グッズも本当にたくさん出ていて、特に帽子等のかぶりものは、ディズニーランドに遊びに来ていた子供たちのほとんどがかぶっていた。おれたちは、最後にお土産やにいったけれど、みんなが大量のお菓子やクッキーを買っている光景にはビックリした。友人によれば、ディズニーランドに行ったなら、これは礼儀なんだという。行ったことだけでも自慢になるし、お土産を配ればみんなが喜んでくれる。みんなを幸せな気持ちにするディズニーのブランド力は、不況知らずだ。ルイ・ヴィトンのように、ある一部の人たちだけが買うものでもなく、誰もが手軽に買える。手軽に買えるから、たくさん買ってしまう。けれど、誰もがハッピーな気分になる。これは日本経済を元気にしてくれる、または元気にしてくれているものなのかもしれない。

正直、恐いと思う。毎日、びくびくしている。けれど、仕事を続けていく上では、それから逃れることはできない。それは、「制度」でもなければ、「組織」でもない。職業病といってしまえばそれまでだけれど、仕事をする上で大きなハンデとなっていることには間違いない。


夜、眠れないことがある。息苦しくて、呼吸ができない。暗闇の中で、ただ苦しいというのは、とても孤独だ。同時に、自分がイライラした気持ちになっていることに気付く。怒りの矛先は、矛盾の中で蹲っていて、様々な方向へと彷徨った結果、最終的には唯一の行き先となった自分自身の中へ飛び込んでくる。おれは、どう対応していいか分からなくなる。


仕事中、くしゃみが止まらない、鼻水が止まらない、目が痛い。一年中、花粉症になっているような感じだ。それでも、時間は止まることなく進んでいくし、誰も待ってはくれない。けれど、おれは不幸だなんて思ってはいない。不幸というものは、自分が不幸だと思わない限り、この世には不幸なことなど何一つない。そういうふうに信じないと、立ち向かえない。


この病気は、人間関係の悩みのように、誰かに話したら少しは楽になったとか、そういうことは絶対にない。自分の精神状態とは全く別のところで、身体が反応をしてしまう。初期の頃は、時期的にも花粉症なのかなと思っていた。けれど、春を越えて、夏が過ぎ秋になっても治るどころか、ひどくなっていく一方であった。医者が言うには、どうやらこの病気は治らない病気のようだ。おれが仕事を続けていくということは、この病気と付き合っていくということも意味する。


けれど、付き合い始めて約3年、少しは慣れてきたような気もする。前みたいに、眠れないということも少なくなってきたし、きちんとした’扱い方’も、少しは理解できるようになった。少なくとも今は、先が見えない戦いではないような気がする。まだまだ恐さや不安は常にあるけれど、それでも前を向けるようになった。その変化は、自分でもすごく嬉しい。


今日のブログは、おれの弱音になるのかもしれない。読んでくれた人はどう思うか分からないけど、そういうのは気にしない。元々、このおれのブログのコンセプトとして、誰かに何かを知って欲しくて書いているものではないし、自分が好きで、書くことで充たされるものがあるから、書いているだけだから、真っ直ぐ本音で書けるし、普段恥ずかしかったりして言えない様な事も、ここでは言える。もちろん、逆もあって、ここでは恥ずかしいけれど、人と会ったりしたときには言えることもたくさんあるけれど。




何キロも遠くで朝の鳥が鳴き、何キロも遠くで人々は窓を開け、何キロも遠くで太陽が街に挨拶をした。けれど、そんなこと今朝のおれは知らない。


今日は久しぶりの休日。朝の紅茶は、この上ない笑顔で、新しい一日へとおれを招き入れてくれる。何となく全身を伸ばしてみたくなる。天気が良ければ、あてもなく、どこかへ行きたくなる。


人間は、ヒマな時には忙しさに憧れを、忙しい時にはヒマな時間に思いを馳せるものだ。忙しい時には、ヒマになったら「あ~しよう、こうしよう」と数多くのアイディアが思い浮かぶのに、いざヒマになると、その多くを忘れてしまって、何がしたいのか分からず、ただその時間をやり過ごす。大切なのはバランスだ。多忙と退屈の均等性。それをいかに安定した状態で維持できるかということ。


今のおれは、残念ながらそれが上手くできていない。どの日も、どちらか片一方が重過ぎる。比重のコントロールの難しさ、いつもどちらかに傾いているシーソーのようだ。何をするにも自由な時間というのが、今のおれには眩しすぎる。ヒマな時には、それがあまりに眩しすぎて、おれは目を開けることができない。忙しい時には、その光が嘘のように暗闇のようだ。


理想は、多忙の中にも自由な要素、退屈の中にもすべきことがあるということ。子供の頃は完璧にできていたことが、今じゃ断片すら思い出せないなんて。とても不思議なことだ。とりあえず今日は、何かか買いたいわけじゃないけど、買い物に行くとしよう。こんな時、意外と良いものに出会えるかもしれないと、期待しながら。

少しずつではあるが、会社に行く時の空が明るくなってきた気がする。相変わらず、温度計に元気はないけれど、それでも春がもうすぐやって来るのを感じる。春になれば、何か良いことが起きそうな気がするのは、おれだけだろうか。冬の間、心に宿った不完全な感情を、春の暖かい風に乗せて、どこか遠くへ吹き飛ばしたい。そして、新鮮な風と光を感じるんだ。春は、いつだってこの上ない笑顔でおれたちを待っていてくれている。


’春’という季節で思い出す光景、それは本牧通りの桜並木。どこまでも続く一本道に、サクラが覆うようにのびている。春にその通りを歩くと、本当に新鮮な気持ちになる。思えば、高校生なった最初の日、大学生なった最初の日、車を買った最初の日、社会人になった最初の日、いつだっておれは、その道を通り、何か新しい気持ちを決意したものだった。考えただけで懐かしさが押し寄せ、目を細めてしまう。その良き想い出は、今でも色褪せることなく、心に残っている。


去年は、今までにないくらい辛い春との面会であった。去年のこの季節、インフルエンザにかかり、さらに仕事でのストレスによる過労で、人生初の入院も経験してしまった。いつも何かに怯えていたし、心がくたびれていて、もうダメかなと思った夜も、何度もあったけれど、自分の下手なプライドが邪魔をして、それを誰にも言えなかった。それがただ、どうしようもなく辛かった。もちろん、そういう嫌な経験があって今現在の自分があるわけだけれども、もう二度とあんなに寂しい記憶を残したくない。去年は一度も笑うことのなかった、そんな春の初めであった。


今年はどんな春になるであろう。おれは、暖かく優しい風に何を乗せよう。とりあえず、あの頃みたいに本牧通りを歩いてみようかな。そうしたら、何かを確認できるかもしれない。でもおれは一体、何を確認したいのであろう。それさえも良く分からないけれど、あの道のサクラには、心が躍るような事が起きそうな、そんな期待をさせてくる何かがある。




日本の労働者の働く時間は、他の先進国よりも長いようだ。これは頑張り屋さんが多いという反面、’自分の時間’の使い方が下手だとも言える。休みを大事にしなければいけない。仕事上手と休み上手は、共存するものだと、おれは思う。


企業も個人も生き残りの大競争を展開しているのは、ニュース・新聞を通して痛いほど感じている。自分が休んでいる間に、と社会の重圧を感じてしまうのはある程度仕方がない考えであるようにも思える。誰がどういう基準で評価しているか分からない時代で、ただ結果だけが求められる毎日で、ゆっくり休んでなんかいられないのかもしれない。でも結果、心身共に疲れ果ててしまう、いわゆる「電池切れ症候群」。これはまさに現代病。うつ病患者が増加していることは、絶対に無視できない社会問題だ。おれは今、何か得体の知れないものが、日本という殻を突き破って進入しているような、そんな気がする。それはきっと、150年前の黒船と違って、自分の目で確かめることができない。


会社の先輩でこんなことを言ってた人がいた。「仕事は8割くらいの力でやらなきゃだめだよ、もし仕事が100パーセントになっちゃったら、終わった後の遊びの力がなくなっちゃうじゃん!」


時々、頑張りすぎている自分に気づいたとき、この言葉を自分自身にかけている。深呼吸した時のように、僅かではあるが救われた気持ちになる。たとえば、一日の中では2時間くらい、一週間の中では2日くらい、一年の中では2週間くらい、自分の張り詰めた線を切る瞬間・時間が必要なんだと思う。そうすることによってまた新たな’頑張ろうとする気持ち’が生まれるのだ。自分で選んだ仕事とはいえ、いつもがんばることなんか、おれには絶対にできない。仕事をしていても、自分の自由な、楽しみな時間のために余力を残すということは、仕事をおろそかに考えていることとイコールではない。


今のおれにとって線を切る時間というのは、こうしてパソコンの前に向かったり、自分の部屋やファッションのイメージを考えたり、または買いに行ったり、横浜に帰り人と会って、笑い話でもしながら楽しい時間をすごすこと。趣味だったりしたものが、もしかしたら思わぬところで、自分を窮地から救ってくれるかもしれない。もちろん仕事は一生懸命やるのは当然のことだけど、だからこそ、仕事以外の部分にも’余力’を残しておきたい。この前、手相を見てもらった時に言われた「あなたは2つの異なった仕事を同時にできる知能線が伸びている」という言葉。いまはそれを少しだけ信じている。









オリンピックで日本勢は今のところ、メダルを取れていない。メダルはやっぱり、目に見える結果であると思う。けれど、4年にたった一回しかない大舞台で結果を出すことは、おれたちには分からない難しさであると思う。ダメだったからといって、おれたちは、責める言葉を言ってはいけない。


メダルを取れなかった選手は、こう言う。「応援してくれた人たちに申し訳ない」と。でも、おれはそれは違うと思う。謝る必要なんかない。少なくともおれは、応援した代償にメダルを求めていたわけではない。でも、選手がそんなふうに言ってしまうのは、過剰すぎるメディアのせいだ。言ってみれば、「情報の暴力」。


これは日本だけではなく、どこの国でも同じことなのかもしれない。でも、それは素晴らしいスポーツのワンシーンを削っていく行為であると、おれは思う。メディアは、仕事とはいえ、ビッグニュースよりも選手を尊重することを第一に考えなければいけない。そして、メディアが選手を尊重した場合のみ、選手はメディアを尊重すべきだ。これがプロとプロの付き合い方であると思う。スポーツ選手は、真のプロフェッショナルの人が本当に多いと思う。自分の仕事にこだわりを持ち、その道での成功のために、おれたちには想像もつかないような地道な努力を重ねていることだろう。それに対し、メディアは楽な道ばかり選んでいるような気がする。それでは、プロとプロの関係とはいえない。スポーツのさらなる発展には、メディアは不可欠なものということに間違いはないが、現状はまだ、プロとアマチュアの関係である。


けれど、もし近い将来、メディアが真のプロフェッショナルになった場合、スポーツは現在のスポーツの域を越えるものになるかもしれない。スポーツによって、対立していた国々が仲直りするかもしれないし、新たな国交が築かれるかもしれない。スポーツの感動によって、自殺を考えていた人が考え直すかもしれないし、働く意思がなかった人が、頑張ってみようと決意するかもしれない。本当にいろいろな可能性が、スポーツにはある。だからこそ、メディアの成長が不可欠であると思う。メディアはスポーツの感動を何倍にもできるのだから。


まだトリノオリンピックは終わっていない。メダル期待のニュースばかりではなく、もっとスポーツの感動シーン、または技術的な素晴らしいシーンを報道してほしい。そして、日本人選手に対する冷静な報道も。メダルに程遠い選手に、メダルの期待をする報道は、’嘘の報道’であり、騙されたと思った国民は選手に責任を押し付ける。メディアには過剰な期待ではなく、’真実’を伝えるものであってほしいものだ。これはスポーツに限ったことではないけれど。


〔オリンピック関連の豆知識〕

アメリカにボルダーという街がある。ここは、マラソンの高地練習地として知られ、有森裕子や高橋尚子らが、トレーニングのために訪れる。ロッキー山脈の近隣で、とても自然がきれいな街。1974年、この街は冬季オリンピックの開催地に決まりながら、住民の反対で返上した。環境破壊を恐れたスーパー自然都市。こういう街があったというニュースなんかも、せっかくオリンピックに目を向けているのだから、多くの人が耳にする機会があればと思うのだが。






1994年7月、灼熱の太陽の下、彼は確かにそこにいた。フェスティバルのフィナーレを告げる彼の最後のキック。残念そうな表情を見せる、ポニーテール。これが、おれがロベルト・バッジオを初めて見た瞬間だ。


スポーツというノンフィクションのドラマで、彼はいつだってメインキャストであった。彼が出場しているというだけで、そのドラマは名作となる。彼はフィールドというキャンパスに見たこともない色で描いていく。優雅に、繊細に、その芸術性はピカソやゴッホと並ぶと称されていた。サッカーを知らない人が見ても、彼が’特別’な選手ということにすぐに気付くであろう。彼は、明らかに他の選手とは違う’何か’を持っていた。


2004年6月、彼は引退したのだが、おれの中で彼が残してくれた余韻は未だ消えることがない。彼は、その才能ゆえに監督との不仲・対立が幾度とあり、怪我も少なくなく、不運は途切れることなくやってきたが、ピッチに立てば、いつだっておれの琴線を刺激してくれた。彼を見ると、何かすごいことが起こるのではないか、という気持ちになる。敵チームから見れば、港に浮かぶ機雷のように予測不可能で危険な存在であったことは間違いない。


ドラマには様々なジャンルがある。恋愛、バイオレンス、復習、青春、アドベンチャー。そしてスポーツもまた立派なドラマの一つである。彼はおれにそういうふうに思わせてくれた。おれが今まで見たサッカー選手の中で、一番を決めるとするなら、彼がチャンピオンだ。そして、最も美しかった選手。彼ほど魅せてくれた選手は他にいない。今は、残念ながら彼のプレーはリアルタイムでは見れないけれども、おれの記憶の中では永遠に色褪せることなく、残っていくだろう。


※ 「il divin codina」(聖なるポニーテール)。ファンはバッジオを愛し、こう呼んだ。