最近、車が運動不足だったもので、ちょっと動かしてあげないとなぁと思っていた。昨日は、5月にしては暖かく天気も良かったので、最高のドライブ日和。午前中は、いくつか事務的な仕事があったため、仕事場に顔を出したのだが、午後はオフ。引っ越してきてから、ほとんど車に乗っていなかったし、近隣の道も分からなかったので、少し散歩感覚で車を動かそうと思った。


しかし、そんな時、ラッキーなニュースが。忙しくてなかなか会えなかった大学時代の友人と予定が合ったのだ。以前から、古着屋とか中古家具屋を一緒に巡りたいねぇと話していたので、昨日ようやく予定が合い、行くことに決まった。大学を卒業したばかりの頃は、学生感覚が抜け切らず、暇があったら遊ぼうね、などと友人たちと話すものだけれども、実際仕事を始めると、それがいかに難しいことかを理解するようになる、自分が休みでも、相手が休みではないとか、その逆もしかり、悪戯でもされているかのよう、見事なまでに予定が合わない。よって、いつも、学生の頃の友人と会ったときの第一声が、「久しぶり!」となってしまう。そんな中、昨日、友人と予定が合ったことは、そうあることではないし、とても嬉しかった。


おれは一人暮らしを始めて以来、インテリアや家具に興味を持つようになった。始めたばかりの頃は、いわゆる、モダンと呼ばれるスタイルに固執していたけれども、いまは汚れや傷がちょっとあるようなUSED感のあるものが好き。まだ、始めたばかりの頃と比べて、それほど大きな変化はないけれど、そろそろ自分の部屋を変化させていこうかなぁと、考えていた。テーマは、「クラシック」。こういった種のものは、インテリア雑誌なんかでもよく見るけれども、流行っていたとしても、人とは違う自分だけの何かを感じることができるもの。自分の部屋の理想を考えたりすることって、すごく楽しい。家具などは、今使ってるものもあるし、急には変えられないと思うけど、いろいろ考えたりする過程は、全く苦にならないし、時間を忘れて没頭できる。


そこでおれが休みの日、ちょくちょく行くのが、中古家具屋およびリサイクルショップ。こういう種の店に行くと、すごくわくわくする。本当に様々な種類のものが置かれていて、今まで見たこともないものもたくさんある。見るだけでも目が和むし、趣味として楽しむことができる。おれは以前、休みの日は身体を休めるというだけでなく、目や耳、心も休ませてあげなければいけないと書いた。こういう場所に来ることは、いまのおれのあらゆる機能を静かに休ませてくれる。そして、そういう時間を持つことによって自分が向かい合う仕事へも、良い影響を与えてくれる。「充実」というのは、仕事の日も休みの日もどちらも良い状態にあって、はじめて言えるものだと、おれは思う。片一方だけの充実は、おれにとっては充実ではない。


おれは今まで、こういう店に一人で行くことが多かった。たとえば、良い商品、気に入った商品なんかを見ても、その場で意見交換できる相手がいなかった。「Eames」の椅子なんかを見ても、心の中でいいなぁと思っていたものだ。しかし昨日は、こういう店に行くことを、自分と同じように楽しめる友人と行くことができ、いつもとは違った感覚で商品を見ることができ、様々な新しい発見ができ、本当に良かった。何事もそうだけど、服を買いに行く時は買い物が好きな人と行くと、より楽しいし、スポーツ観戦にしてもそうだ。誰かと同じ視線で、その物を見ることができるということが楽しいことを、より楽しくできる要素だと思う。そういう意味で昨日は、今まで味わいたいと考えていた楽しさを感じることができた一日となった。これからもこういう日が、おれのところに多くやってきてほしいものだ。







おれは最初、アメリカのブッシュ大統領が横田めぐみさんの母、早紀江さんに面会するニュースを耳にしたとき、何らかの政治的な意図があるように思えて仕方がなかった。日本で拉致問題がクローズアップされたのは昨日今日の話ではないし、急にアメリカが解決に協力をしようとする姿勢は、疑問に思えたからだ。背景には、日本にある米軍基地の移転問題であろうか、そんなふうにおれは考えていた。


一向に決定的な手がかりを得られぬこの拉致問題は、終わりの見えぬ闘いとなりつつあるが、これは日朝間の問題というだけは収まらず、テロと並び国際犯罪の問題である。もはや、日本と北朝鮮だけでは、解決できない問題なのかもしれない。両国の間には、拉致問題だけでなく、他にも多くの問題を抱えていて、わたしたち日本人は北朝鮮の態度やら行動に疑問を感じるとともに、大きな怒りを持っている。確かに日本は、歴史上、近隣の諸国を傷つけた過去がある。これは日本人として忘れてはいけないことであると思うが、何をされても許すということは、当然のことながら受け入れられない。


そんな中でのアメリカの登場は、背景にどんな理由があるにせよ、拉致問題一つを取ってみれば、大きな光であると思う。そして、面会時のブッシュ大統領の言葉には、感動すら覚えた。以下、ブッシュ大統領と早紀江さんのやりとりの一部。



早紀江さん:「大変お忙しい中、時間を割いていただき、ありがとうございます。」


大統領:「緊張しないで。リラックスを。人間の尊厳と自由について話せないほど、忙しくはない。」


早紀江さん:「一刻も早い解決を目指して私たちは頑張っている。協力をお願いしたい。」


大統領:「理解している。悪と戦うというのはものすごく忍耐が必要だけれども、勇気を持って心を一つにして頑張ろう。」



ブッシュ大統領がこのように言ってくれたことは、驚きもあるが、日本人として心強かった。何度も言うが、背景にはどんな理由があるのか分からない。しかし、拉致問題の関しては、新しい進展であると思う。大統領の’人間の尊厳と自由について話せないほど忙しくはない’という言葉がとても強く印象に残った。国家のリーダーとされる人たちには、裏の事情抜きで純粋にこういうふうに思っていて欲しいものである。世界の歴史、とくに20世紀は、国際間の憎悪によって引き起こされた’暴力’が数多く存在してきたし、いまでもそれらは後を絶たないが、21世紀はそれらの歴史を反省するとともに解決していくような、そんな時代になることを祈るばかりだ。





昨日、久しぶりに野球観戦をしてきた。巨人ー中日、東京ドーム。巨人が絶好調とあって、ドームには空席が見当たらなかった。スポーツは何でもそうだと思うけど、生で観るのは特別だと思う。それにしても、あれだけ大観衆の中で、一挙手一投足を注目される選手たちは、いったいどんな気分なのだろう、おれには想像もつかない。ただ、スタンドから見ると、ユニホームを着た選手たちはやっぱりかっこよかった。


このブログで、どんな試合であったかだとか、誰が打っただとかそういうことを書く気はない。おれが印象に残ったことは、一つのプレーで何万人という人から拍手をされる野球選手という’職業’。おれは仕事中、拍手をされることなどまず、ない。他の職業の多くの人もきっと同じであろう。もちろん、選手たちがそこに行き着く過程は、並大抵のことでないことくらい知っているが、あれだけ大きな拍手をもらえる選手たちは、本当に幸せだろうな、と思った。


話は変わって。おれは子供の頃よく、父親に野球場に連れて行ってもらった。おれは、その頃、本当に野球が好きでプロ野球を見に行けるということは、その時のおれの一番楽しいことだった。いつも、近所の友達と遊ぶことといえば野球であったし、実家にはプロ野球選手の投げ方や打ち方を真似したおれの写真がいくつもある。あの頃は、完全に野球を中心とした生活であった。


小学生の時、父親とじいちゃんと3人で東京ドームに野球を見に行った。3人で大好きな巨人が勝って、喜んだのを覚えている。こんなふうに3世代で楽しめるものなど、他にあるだろうか。これは、野球というスポーツが日本の文化として存在するということだと思う。確か、その時はじいちゃんがポップコーンを買ってくれたんだ。ポップコーンを見ると、じいちゃんの嬉しそうな顔を思い出す。それもすべて野球がもたらしてくれた、大切な想い出だ。


昨日は、本当に純粋に、子供の頃に戻ったかのように、野球に夢中になれた。’利益’やら’原価’やら’儲け’など、そういう仕事のことは一切考えずに、試合にのめりこめた。懐かしい気持ちと、子供の頃の自分に再会。これも野球がもたらしてくれたものなのかな。でも、あの頃の気持ちを忘れてないこと、おれにはそれがたまらなく嬉しかった。何年か経って、もし自分にも子供が生まれたなら、今度は自分の父親と自分の息子の3人で、野球観戦ができたらいいな。こんなふうに、ふと幸せな将来が思い浮かぶくらい、昨日は実に有意義な時間であった。

フランスの将軍の突然の引退。彼は、その地位を他の誰かに譲ることを決めたようだ。しかし、彼の後継者を探すことは、簡単なことではない。もしかしたら永遠に見つからないのかもしれない。’ジネディーヌ・ジダン’、辞めるにはまだ早すぎる。


98年の地元開催のワールドカップ、そしてEURO2000、二つの大きな大会を、彼はステージの中心に立ち、あまりにも芸術的にスティックを振るった。この世界一のタクターが奏でた美しいハーモニーによって、シャンゼリゼにはかつてないほどの歓喜が舞い降りた。高らかに歌われる「ラ・マルセイエーズ(フランス国歌)」。彼は将軍プラティニの名にちなみ、’新将軍’と呼ばれることになった。そして2年後の日韓共催のワールドカップ、この大会が、ブルース(フランス代表)にとって、またジダンにとっても作品の完結編になるはずであった。


しかし、結果は誰にも予想できないものとなる。1点も取れずに、予選リーグ敗退!完結編がこれほどまで叙情的な作品になってしまうことに、世界中が目を疑った。その年のシャンゼリゼは、夏の終わりの海のように寂しいものとなってしまったのだ。


あれから、4年。雪辱を晴らすべく、将軍はワールドカップに帰ってくる。世界一のタクターのラストダンスとして。彼がステージに立てば、もう不調和なハーモニーを奏でることはないだろう。彼は自らの引退と引き換えに、シャンゼリゼにもう一度、歓喜を運んできてくれるに違いない。そして、そこで将軍と歌う「ラ・マルセイエーズ」は、生涯、語り継がれるものになるであろう。



※「ラ・マルセイエーズ」は、フランス革命の際、マルセイユからパリに向かった義勇兵たちが歌った軍隊の歌。今では国歌となっているが、詩の内容を見ると、革命の頃の歌とあって、血なまぐさいものとなっている。



何気なく部屋にあるCDラックを覗くと、ひとつひとつのアルバムに想い出があるってことを思い知らされる。その音楽を聴くと、「あ~、あの時あんなことがあったなぁ」だとか、過去のいろんな自分の感情を思い出し、懐かしさが押し寄せる。音楽と想い出は、おれの中で切っても切り離せぬ関係にあり、良い想い出もそうでないものも、感情の部屋にはいつだって何かしらの音楽が流れている。その時々で、好きな音楽は変化するけども、喜びを倍にしてくれ、悲しみを和らげてくれるような、音楽がもつ大きな力にただ、魅力を感じずにはいられない。今回は自分の節目にあった、大切な音楽をいくつか記そうと思う。


おれは最近、引っ越しをしたわけだが、今回の引っ越しで大学を卒業してからもう3度目。おれは、このように環境の変化があるときにはいつも、アルバムを1枚買うことを決めている。実家から本牧に引っ越したときはMr.Childrenの「シフクノオト」、本牧から東京に行ったときは、BankBandの「沿志奏逢」、そして今回がレミオロメンの「ether」である。過去の2枚は、引っ越した直後、一人で寂しかったことを思い出す。それでも、頑張っていかなければ、と聴きながら誓ったことも思い出す。いま聴くと、その時の様々な感情を鮮明に思い出すことができ、写真なんかよりも実に鮮やかに懐かしさが心に染みる。今回のレミオロメンは、時間が経って聴いた時、どんなことをおれは思い出すのであろう。でも、寂しいというよりはもっとポジティブな気分になりそうな、そんな気さえする。


大学2年の時に、友人たちとそれぞれの好きな曲を入れ、ひとつのMDを作ったことがある。これは先輩の卒業式のために作ったものだ。その中に入っている曲は、いま聴くとやはり’卒業’、’別れ’を連想してしまう。その中で印象深い曲は、GreenDayの「Good Riddance」、HI-STANDARDの「BRAND NEW SUNSET」、B’zの「さよならなんかは言わせない」、ドラゴンアッシュの「静かな日々の階段を」の4曲。3曲は友人が入れた曲であるが、卒業式の雰囲気にぴったりの曲であると同時に、とてもかっこいい曲であると思った。その時は持っていなかったが、今では、それらが入っているアルバムを、大切な名曲としてラックに置いている。一般的には、たとえば何かのアンケートで「卒業で思い出す曲は?」と聞けば、この4曲は多分、ランキングに入らないと思う。けれど、おれにはこの4曲以外、思い当たらない。


おれは、高2の時に1ヶ月アメリカ・ソルトレークシティーにホームスティをしたのだが、その時を思い出す曲がBRYAN ADAMSの「I do it for you」。学校に行ってる時、日本人のクラスメイトと聴いた。英語の授業の一環としてこの曲を聴いたのだが、いま聴くと一ヶ月の様々な想い出を思い出す。あの時の経験は、自分を変えてくれたものであると同時に、自分を強くさせてくれたものである。初めての海外で、分かっていたことであるが、周りに知り合いがいない、言葉も通じない中での一ヶ月は、その時は辛かったけども、いまの自分のために必要な経験であったと思う。その時のステイ先のファミリーも本当に親切にしてくれ、曲を聴くと、そんな優しさも思い出す。これは、自分を変えてくれた1曲とも言えるかもしれない。


たぶん、回数的に最も聴いたアルバムは、ドラゴンアッシュの「Viva la Revolution」。アーティストで見ても、一番聴いているのはドラゴンアッシュだと思う。これは、車で聴いた想い出が強い。学校帰りに友人たちと、時にはひとりで良く聴いた。発売されてから、もう結構経っているけども、いまだに新鮮に感じる。とにかく、強くてかっこいい作品。フランス革命を連想させるアルバムのジャケットで、高らかに旗をなびかせる降谷建志は、おれの中で強さの象徴だ。このアルバムから、どれほど大きな力を与えられたことだろう。何かを始めるとき、どこかへ向かうとき、自分の中に不安に思うものを消してくれる。それは、今でも変わらないし、これrからも変わらないと思う。もし、いまどこかに行くとして、一つだけしかアルバムを持っていけないとしたら、おれは迷うことなくこれを選ぶと思う。ちなみに、ドラゴンアッシュの中で一番新しいアルバム、「Rio de Emotion」も同じくらい力強く、かっこいい作品だと思っている。


このようにおれには、音楽と想い出はいつも隣り合わせで、共に存在する。今回記せなかった名曲もまだまだある。でも、これはおれだけでなく、誰かにとっても同じなんだと思う。それぞれみんな、自分の名曲があって、その背景に忘れられない想い出があるのだろう。いま、あらためて音楽ってすごいなぁと思っている。これから先、おれの部屋のCDラックにはどんな名曲が並んでいくのかなぁ。その名曲と共にやってくる想い出は、どんなものなんだろう。いまおれは、これを書き終えて、書き始める前よりもわくわくした気持ちになっている。それもきっと、音楽が持っている大きな力に違いない。







「もう二度とあのような事故を起こしてはいけない。二度とこの世界に、放射能という雨を降らせてはいけない。主義だ、宗教だ、人種だではなく、もっと純粋に同じ星に生きる仲間たちのため、そのためにと。」


1986年、4月26日、ウクライナ(当時、ソ連)。その日起きた、世界を震撼させる20世紀最大の事故ー「チェルノブイリ原発事故」。あさって、4月26日、その事故からちょうど20年になる。これは、遠いヨーロッパで起きた一つの事故と言うだけでは語れない。実際、その日から一週間後の5月3日、アジアの極東であるわが国でも、放射能が確認されたようだ。その時、チェルノブイリではどんな音がして、どんな匂いがして、人々は瞳に何を映したのであろう。たくさんの人を死に追いやった放射能という悲しい雨は、いまもなお降り続いている。


事故が起きたチェルノブイリ原子力発電所4号炉では、新たな放射能漏れを防ぐため、石棺(せきかん)と言うコンクリートを詰めて、事故の被害を防ごうとした。その工事に必要とされた人々の数は85万人。しかし、その影響で5万5千人の人が命を落としている。今でも近隣の広いエリアで立ち入り禁止区域が定められ、25万人の人たちが自分の街、そして家から遠く離れて暮らしている。


ヒロシマの原爆もそうであるが、チェルノブイリの原発事故も、一瞬のものでは終わらなかった。何十年経っても、被害に苦しむ人たちが多くいる、それが最も怖いことだ。人間は一体、何のために原爆やら、原発を作ったのであろう。おれには、市民を苦しませたり、怯えさせたりするものにしか見えない。きっとそれは、多くの人が考えているはず。それなのにどうして、人間は歴史に悲しい出来事を残そうとするのか。ともかく、今後二度と、第二のチェルノブイリを存在させてはいけない。子供たちの笑い声を、消してはいけない。事故から20年という節目の年、もう一度強く確認しなければいけないことであると思う。



※おれたちの世代は、この事故に対しての認知度が低いと思う。実際おれも、事故の内容は大雑把には把握していたが、被害状況や起きた日など詳しいことは知らなかった。今回新聞などで様々なことを知り、正直ビックリしたという方が強い。でも、それではいけないと思う。決して関係ないことと思わず、何かできるというわけではないけれども、最低限’知識’として頭に入れていかなければいけない事柄であると感じた。

東京にいた頃は、休みの日は何か用事でもない限り、お昼くらいまで寝ていた。テレビをつけるとサングラスの人が出ているというのが、おれにとっての休日であった。でも、今は違う。それは、休日の午前中も大切にしてみようと思ったからだ。以前は休みの前の日となると、ついつい夜更かしをしてしまって、寝るのがいつもよりも遅くなり、結果起きるのも遅くなると言う具合であった。


今は、休みの前の日でもいつもと同じ時間に寝るよう心がけている。そうすれば、次の日昼くらいまで寝ているようなことはなくなる。そのためにおれは、休みの午前中にひとつ’楽しみ’を作ることにした。それは、近くのカフェに朝食を食べに行くという時間。テーブルに陽が差し込む窓際の席に座り、新聞でも読みながら、焼きたてのパンとコーヒーでその時間を楽しむというもの。そしてそこには、いくら近くだからといっても、決してラフな格好では行かない。その時点で自分の一番気に入っている格好で行った方が、その時間をより楽しむことができるからだ。以前にも書いたが、服というのは、自分のテンションを大いに上げてくれる。気に入っている服を着ていると、楽しいことがもっと楽しくなる。だから、この部分は疎かにできない。


天気がいい日、その光で何か書物を読みながら、美味しいものが一番美味しく楽しめる中で、ゆっくりとした時間を過ごすというのが、今考えられる休日の最高のシチュエーション。パンもコーヒーも朝が一番良く似合うし、太陽だって、朝が一番気持ちが良い。ヨーロッパに行って、カフェの文化が羨ましいと思ってから、いつか自分も日本で実現できたらなぁと思っていた。まだまだ完ぺきとは言わないけど、今が一番理想に近づいている。残念なことに、ここ何回か自分の休日に傘マークが並んでしまっているが、次の休日は気持ちの良い空を期待したい。


さらに大きな理想は、こういう場所を自分の仲間に提供すること。年齢がいくつになっても、みんな思い思いの服装を楽しみ、休日を共有できたらすごくいいな。ん、それだったらおれはコーヒーの勉強もしなくては。


少し前の話になるが、WBCで日本が優勝をした。キューバとの決勝、おれは引っ越しの準備をしながら、家でテレビ観戦していた。やはり、サッカーでもオリンピックでもそうだけれど、インターナショナルな大会は見ていて熱くなる。引っ越し前日であったが、野球に夢中になってしまい、準備がなかなか進まなかったのを思い出す。ものが散乱していて、ダンボールだらけの部屋でおれは一人、優勝に浸っていた。


特に印象深いのが、大会を通じてのイチローのコメント。彼が放つ言葉は、おれの中に強烈にぶつかる何かがあった。イチローは「こんな素晴らしい仲間とめぐり合えて、マジでやばいです。」と言っていた。自分の仕事の中に、そういうものを見出せるというのは、本当に羨ましい限りである。イチローほどの実力者が、そういうのだから、仕事というのはやはり、一人では何もできないし、限界があるのだなぁと感じた。’仲間’がいる、その存在を確認できるというのは、とても強いことだと思う。それは、一人ではどれだけ努力をしても到達できない’強さ’だ。


結局、どんな仕事も誰かがいて初めて成り立つものだと思う。自分ひとりだけ頑張っていると思ってやることなど、虚しさを膨らましているようなものだ。それは絶対に良い仕事を意味しない。


もちろんこれは、仕事以外にも当てはまるものだと思う。学生時代の楽しかった記憶や、いくつかの成功を思い出すと、いつも誰かとともに笑っている。協力をして何かを得るというのは、社会に出て知るものではなく、もっと以前に培われてきたものだ。あの頃は、一人では心細いことでも仲間と一緒なら、何でもできそうな気がした。これは、社会人になっても重要で、実は仕事において最も大切な精神なのではないかと、最近は感じている。幸運なことに、おれは社会に出る前からそういう経験を多くできた。これからも、仲間とのコミュニケーションを大事にし、仕事に限らず、自分もより多くの人の中で’仲間’でありたいと思う。

おれはずっと、それを他人事のように感じていた。ニュースなどの報道でも自分とは関係のない、遠い世界の出来事にしか見えていなかった。今、そう思っていた自分を恥ずかしく思っている。あらゆる事柄において「無関心」というのは、実は大きな罪なのかもしれない。


非常に大きな音。耳を塞ぎたくなるような、そんな音。おれの住む街の上を、一日に数十機もの飛行機が飛ぶ。すべてアメリカの飛行機だ。米軍基地からそれほど遠くないことは、ここに引っ越す前から分かってはいたが、これほど大きな音だとは想像もしていなかった。聞こえる度、空を見上げてしまう。驚くほど低い高度で、彼らは演習を繰り返す、何度も何度も。部屋にいるとき、上空からだけでなく、フローリングの下からも大きな’音’を感じる。地響きのような恐怖感。家選びで下見に来た時、不動産屋が言っていたことを思い出した。「この場所は、仕方がないんだよ、慣れるしかないんだ。とても残念なことだけどね。」 そして、仕事場のパートさんも言う。「もう随分と長いこと住んできたから慣れてしまったよ」と。おれは、果たしてこの大きな音に慣れることができるのであろうか。音がする度、耳を塞ぎ上空を見上げてしまうことに、戸惑わずにやり過ごせていくのであろうか。とてもじゃないけど、無理だ。いまは、空を見上げずに、何でもないことのようにふるまう、この街の住人たちを不思議に思う。


現在の日米関係上、これは仕方がないことなのかもしれない。どこかの街が’我慢’をしなければいけないし、そうすることで何かが守られるのなら、受け入れていくしかない。もちろん、そんな我慢をせずに平和に暮らしている街は日本にたくさんある。別にそういうのを妬んだりはしない。今までおれがそうであったからだ。でも、何となく物悲しく思うのは、やはり日本はアメリカに支配、または守ってもらっている立場だということだ。いまは、それを身をもって実感している。


このようにアメリカの音がする街は、おれが今住んでいる街以外にも日本にはたくさんある。すぐ近くでは、横須賀、さらには全国的に有名な沖縄など、アメリカの色が強い街は他にもいくつかある。米軍兵士との間で、悲しい事件も多くあったし、決して許すことのできない事件もあった。それでも日本はアメリカを許してしまっている。日米安保条約には、日本が他国から攻撃を受けた場合、アメリカが報復行為を行うと書いてあるようだが、果たしてそれは本当なのだろうか。もし、相手が中国ならどうだろうか。アメリカだって中国との関係も重要なはずだ。その’もし’のために、おれたち日本人はこれからも何らかの形で我慢を重ねていくのであろうか。いまは、仕方がないとしても、この状況を変えていくよう、政府には努力してほしい。少なくとも改善の兆しくらいは、見せてもらいたいものだ。騒音の引き換えとして、NHKの受信料が他の街の半分の料金ということぐらいでは、腑に落ちない。


夜の10時。この時間になっても、遅番の兵士の演習が続けられ、静かな夜の空に、大きな音が繰り返される。





このブログは誰かに向けて発信しているものではないけれど、1ヶ月更新していなくても、楽しみに待っていてくれている人がいるということは、素直に嬉しいと思った。ようやく再開できる今、また新たな気持ちで更新できることに自分自身、とてもわくわくしている。以前は、このブログが自分の1日の時間軸の重要な部分を担っていて、この1ヶ月の間、そのポジションがぽっかり空いてしまっていたおれの生活は、どこか虚しいものとなっていた。それでも、季節が変わり、自分の環境も変わり、新鮮に映るものが多くあり、今は新しい気持ちでいっぱいだ。かつて抱えていた居心地の悪さはもうない。このブログにもこれからは、ポジティブな言葉が数多く並んでいくかもしれない。一つ言える事は、今は本当に気持ちよく生活できているということ。今までにないくらいの「充実感」。こういう環境をおれに与えてくれたすべての人に、ただただ感謝。


環境が変わったと書いたが、これは会社で異動になったためだ。初めてのことではないし、嫌な気持ちもしなかった。基本的な仕事内容は変わらないし、自分にとってポジティブな要素を多く含んだ異動であったため、前向きに考えることができた。そして、今感じている充実感に大きな影響を与えているのが心の余裕。前の職場は、行くまでに1時間以上かかった。めざましテレビが始まる前にはもう家を出ていて、始発かその次の電車に乗るために、毎朝全力で走った。いつも、どこかで運動会の徒競走の音楽が聴こえていた。おれは何かに急かされていた。でも今は、朝目覚めるとゆったりとしたクラシックが聴こえる。時計はおれに何かを訴えたりしない。この朝の時間の変化は、自分でもビックリするくらい、仕事にいい影響を与えてくれた。朝の心の余裕は、その一日を気持ちよくしてくれる。当然、仕事も気持ちよくできる。結果、がんばれる。これは、横浜にいた頃と変わらない生活リズムであるわけだが、東京・埼玉と自分にとって望んだものと違う生活を経験したせいか、今の生活を嬉しく思ってしまう。けれど、もしかしたら、東京・埼玉の経験がなければ、今の生活を嬉しく思わず、当然のこととして受け入れてしまうかもしれない。やっぱり、人生ってのは虹が見たければ、その前に降る雨を我慢しなければいけないのかな。しみじみと、そんなことを思ったりも。


おれは、大学を卒業して3度目の引っ越しをしたわけだけど、毎回思うことは、家選びは本当に楽しいということ。自分の部屋をどんな風にアレンジしていくかを考えることってすごく楽しい。もちろん、契約の問題など簡単なことではないけれど、自分の想像を現実化していく作業は、時間を忘れて没頭できる。今回、家選びにあたって、一人の不動産屋さんとずっと一緒に行動をしたのだが、その人から不動産業の様々な話をたくさん聞かせてもらった。知らない世界の話を聞くと、自分がいかに無知であるかということを思い知らされるけども、その感覚は嫌なものではない。興味があるものであるなら、心地良く感じたりもする。おれは、今はパン製造という職業にいるわけだが、人生は1度きり、一つの職業で終わりたくないとも考えている。常に、自分の新しい可能性を探すことは、おれにとってはとても重要なこと。いろいろな職業を経験し、いろいろな人と出会い、いろいろな自分を発見していくような、’幅’のある人生にも憧れる。もちろん今は、パン屋である以上、この道で成功したいという思いは強いけれども。


そういえば、先日本牧通りの桜並木を見に行った。本当にきれいだった。あの通りの桜はいつだって期待を裏切らないし、この上ない笑顔で春を優しく告げてくれる。環境が変わるたび、おれはいつだってそこを通り、何か新たな決意をしてきた。そしてその後いつも、良い結果が暖かい風と共におれのところにやってきた。今回はどうなるのだろう、けれど本牧通りの桜は何か良いことを期待させてくれる。今年は自分では勝負の年と考えていて、この1年、ストイックに結果を求めていこうと思っている。もし、今年1年で自分自身、満足いく結果を残せなければ、力不足だったと、新しい道を考えることにする。その変わり、自分の力、持っているものをすべて出し切る、その決意で一日一日を頑張ってみようと思う。今は、気持ちよく頑張れる環境がおれにはある。仕事を頑張ることに何の弊害もない。言い訳もできない。ただ目に見える結果を。


とりあえず、ブログを再開できた。仕事で良い結果を出すためには、仕事以外のことを充実していなければいけないし、逆もまた同じ。どちらかに片寄っている状態は、充実とは呼べない。そんなの楽しいわけがない。仕事も大事、遊びも大事。おれは仕事がすべてだと考えてしまえば、絶対に仕事の成功はないと考えている。大切なのは両者のバランス。今年は、仕事以外の時間、何か習い事をしてみようと考えているし、趣味の中古家具屋巡りや、買い物も今までよりももっと楽しみたい。もちろん、このブログの更新だって。時間は誰かによって決められるものではなく、自分で創り出すものだ。ようやく、そう思える環境を手に入れることができた。いろいろなことを諦めるのではなく、チャレンジしていく年、今年はそれをモットーに、その日その日を楽しみ、大切にしていきたいと思う。