ー7日目ー (Fussen)


本日は、ミュンヘンから電車で2時間、ロマンティック街道のフィナーレの街、フュッセンへ。この街に来たのは、ある城に行くためであった。その城とは、アメリカやパリのディズニーランドにある眠れる森の美女の城が建設の際、モデルにしたとされる城、ノイシュヴァンシュタイン城のこと。ちなみに、東京ディズニーランドのシンデレラ城もこの城をモデルにしたと言ううわさもあるが、事実ではない。(TDLのシンデレラ城がモデルにした城は、フランスのユッセ城)。ここに行くことは、おれたちの計画性のほとんどないこの旅の中で、唯一、日本で日程の計画をしていた時から、決めていたことである。しかし、この日の天候は大雪。しかも、とても寒く、観光日和と呼ぶには、程遠い状況にあった。まぁ、2月のドイツに来ているわけだから、それなりの覚悟はしていたけれども。


フュッセンの駅に到着。肌に突き刺さる冷たい空気と視界を遮る大雪。おれたちは、駅から城のあるホーエンシュヴァンガン村までバスで行き、そこから歩いて城を目指した。村には、ノイシュヴァンシュタイン城の近くにもう一つ大きな城、ホーエンシュヴァンガン城があり、チケットは同じ場所で二つの城のチケットを購入することができる(入場の時間指定有り)。おれたちは最初にホーエンシュヴァンガン城へ行くことにした。この城もまた、人気の城で、フュッセンの街に来たら、だいたいの人がノイシュヴァンシュタイン城とセットで見るらしい。真っ白で幻想的な雰囲気が漂うノイシュヴァンシュタイン城に対し、このホーエンシュヴァンガン城は黄色で覆われているため、ポップな印象を受けた。城の見学ツアーでは、入場時に説明イヤホンが手渡され、この城で起こった様々な出来事や、展示品に纏わるエピソードなど詳しく知ることができる。おれは、歴史がすごく好きだし、アンティークなものを見ることも大好きなので興味深く城の中を巡ることができた。


この城からわずかではあるが、ノイシュヴァンシュタイン城を見ることができた。山の中に浮かぶ白亜の夢の城。ガイドブックには、雪が降っていない日の写真が載っていたため、緑の中に美しく映えているが、この日は残念ながら大雪。しかし、雪に覆われた山の中に浮かぶ城は、また違った良さが出ていて、幻想的な城をより、美しくしているようにも見えた。


※ノイシュヴァンシュタイン城: かつてのバイエルン国王ルートヴィヒ2世が、17年の歳月と巨額の費用をつぎ込んで自己の夢を実現させようと、精魂込めて造った白亜の美しい城。中世風ではあるが、築城は19世紀のこと。見るアングルによって違った城のように見えるのも興味深いが、この美しさの裏にひそむルートヴィヒ2世の、姫をめとらず孤独で数奇な狂気に満ちた運命は、シュタルンベルク湖での謎の死に至るまで、今もって多くの人の関心を集め、映画や多数の書物に語り継がれている。(下の写真:晴れた日のノイシュヴァンシュタイン城)





おれたちは一度、昼食をとるためバス停付近まで戻った。食べる場所が、2~3つしかなく、ここは観光地なので値段が少々高かったけれども、ずっと寒い中を歩いていたせいで体が震えていて、何か温かいものを必要としていたおれたちは、財布が思ったより軽くなることに抵抗はなかった。こういう状況になると、暖炉のそばで飲むコーヒーは格別だ。何気ないスープだって、特別なものに感じる。おれたちは、午後に訪れるノイシュヴァンシュタイン城までの山道を耐えるため、小さなレストランで体を温めていった。


いよいよ憧れのノイシュヴァンシュタイン城へ。真っ直ぐではあるが、1時間近く坂道を登ることはやはり、簡単なことではなく、その上、雪が降っているため地面がぬかるんでいたので、とても歩きにくかった。城にはおれたちのように徒歩で行く手段のほかに、馬車で行く手段もある。しかし、おれたちは格安の旅。使わなくてもいいところは、基本的には使わないことがルールである。それでも、馬車に乗り楽そうな人を見れば、羨ましく思ったりもしたけれど。


城の見学ツアーの基本的なことは、午前中に行ったホーエンシュヴァンガン城のそれと変わりはない。入場時に説明イヤホンが手渡され、それを聞きながら各部屋を回るというもの。ここでは、おれたちの他にも、何組か日本人のグループが来ていた。やはり、この城の美しさは、アジアの極東まで届いているという事であろうか。城の中にある各部屋の窓から眺めるフュッセンの街並みもまた、とてもきれいであったが、撮影禁止と言うのが残念で仕方がなかった。おれは、興味深く、イヤホンから流れる説明に耳を傾け、驚いたり感動したりを繰り返したのだが、この城は歴史に興味がない人でも充分楽しめる城であると思う。心動かされるものが多くあり、訪れる観光客の感情は激しく揺れ、忙しくなるに違いない。


おれたちは来た坂道を今度は下り、バス停を目指した。ぬかるんだ山道は、上りよりも下りのほうが危険だ。おれは、何回か転倒してしまい、着ていた服も履いていた靴も、ドロドロになってしまった。それでも、そんな嫌な思いを、それほど感じずにミュンヘンまで戻ることができたのは、この日見たもの聞いたものが、自分にとってあまりに素晴らしく、貴重な体験であったからに他ならない。


ミュンヘンに戻り、おれたちは夕食へ。この日は、ドイツ最後の夜であったが、そろそろ日本の味が恋しくなってきていたため、おれたちは宿から歩いて10分ほどの日本料理屋に行くことにした。お店の名前は、'庄屋’。しかし、ここは居酒屋ではなく、ご飯やうどん、そばなどが楽しめるジャパニーズ・レストランだ。おれは、きつねうどんとおにぎりを日本語で注文した。ニューヨークでもそうであったけど、外国で食べる日本の料理は特別に美味しい。多分、味は日本で普通に食べられる程度のレベルであるのに、なぜか特別なものに感じてしまう。料理と共に出された日本茶も、とても美味しかった。また、ドイツの人が美味しそうに、’UDON’や’SUSHI’を食べているのを見ることも興味深く、それはおれたち日本人を微笑ませてくれる光景だ。次にどこか海外に行く機会があるなら、またこのように日本料理屋に行き、現地の人がどのように日本のものを食べているか観察したいと思った。


宿に戻り、次の日の準備。明日はいよいよ、電車で国境を越える。7日間のドイツの旅が終わり、オーストリアへ。オーストリアはどんなふうにして、おれたちを喜ばしてくれるのであろう。おれは、ドイツでの感動がオーストリアでもあることを期待し、ドイツ最後の夜、眠りについた。









ー6日目ー (Munchen)


幸運は続くものだ。朝目覚め、カーテンを開けると、そこには昨日の大雪が嘘のような快晴が広がっていた。やっぱりサッカー観戦のときは、天気が良いほうがいい。天気が良いと言うことは、楽しみをもっと大きなものにしてくれる。昨日の夜、日記の最後に書いた、てるてる坊主に感謝だ。


サッカーは午後3時開始なので、午前中はミュンヘンの市内観光をすることにした。おれたちがまず向かった先は、ミュンヘンで最も古い教会、ペーター教会。ヨーロッパの教会というのは、信者であるなしを問わず、どこも荘厳なたたずまいに心打たれる。中へ入れば、頭上高くからステンドグラスの微妙な色彩に彩られた光が雨のように降り注ぎ、像などに向けられたロウソクのゆらめきや、細胞一つ一つに響くようなパイプオルガンの音色は、人間を超えた存在が与えてくれる特別なものを感じさせる。この日は日曜日であった。キリスト教では日曜日は安息日で宗教上、仕事はしてはいけないことになっている。そのため、多くの人が教会にやってきていた。日曜日に教会へ行き、祈りを捧げることはキリスト教徒にとって特別なこと。おれも、アメリカにホームスティをしたとき、日曜日は必ず、ホストファミリーと教会へ行った。目的は決して、クリスチャンになるためではない。おれにとっては、西洋人の中で信仰というものがどのようなものであるか知ることであり、生き方や考え方の幅を広げるためであった。教会では、クリスチャンではないおれにも、皆親切にしてくれ、心温まる時間であり、生きていくうえでとても貴重な体験であったと今でも思っている。彼らは決して、強引な勧誘活動をしてこないということを付け加えて。


今日の日本には、豊かさとあらゆる点での自由があり、望んでできないことは何もないかのように見えるときがある。多くの人が、海外に出かけるようになったのもその一例である。けれども、行く人のほとんどが、その土地の宗教や信仰に対して、無知または無関心であるようにも見える。これは、外国を理解するチャンスを逃しているということだ。ただ単に、有名な観光地へ行ったり、美味しい食べ物を食べることだけが、海外旅行の良さではない。もっと、その土地の空気を感じること、現地の人とコミュニケーションをとることが旅の醍醐味であると、おれは思う。日本人というのは、基本的に自分達の国だけで輪を作りたがる傾向があり、ナショナリズムだと言えば聞こえはいいが、だとすれば、その中で「国際化」だの「グローバリゼーション」だのが叫ばれるのはおかしなことだ。


おれたちは、教会を出て、教会に隣接している塔を登った。この塔は高さ92mで、ものすごく狭い294段の階段を、時には譲り合いながら、登らなくてはならない。しかし、一番上まで辿り着いたとき、辛さは一瞬にして忘れることができる。そこからは、ミュンヘンの素晴らしい街並みが一望できるからだ。目の前には、ミュンヘンにやってくる人のほとんどが訪れる新市庁舎の仕掛け時計がはっきりと見え、目を凝らせば、美しい雪化粧のバイエルンの山並みが見える。この日は、最高に天気がよく、素晴らしい景色を、より素晴らしく見ることができた。もう一度、ミュンヘンを訪れる機会があるなら、おれはその時もこのペーター教会の塔に登り、素晴らしい景色を心ゆくまで楽しみたいと思った。


教会を出て、おれたちは地下鉄に乗り、サッカーのスタジアムがあるオリンピック公園を目指した。地下鉄とは思えないほどのモダンな車内は、乗車時間を短く感じさせてくれ、駅もまたとてもきれいで気持ちが良かった。駅に到着後、おれたちはすぐにチケット売り場を目指した。この日の試合は、それほど注目度の高い試合ではなかったので、すぐに購入することができた。チケットを手に入れたおれたちは、スタジアム近くのレストランで昼食。おれが注文したものは、大きな皿にそこからはみ出してしまうほどの長いソーセージに、ケチャップが乗せられ、その脇にポテトがあるというとてもシンプルなもの。けれども、それはおれが求めていたドイツの料理であった。味もまた格別で、レストランの雰囲気も良く、最高の昼食となった。


昼食後、試合までまだ時間があったので、おれ達はオリンピック公園の近くにあるBMW本社ビル(BMW博物館)に行くことにした。遠くから見ても分かるような、変わった建築となっていて、午前中に訪れたペーター教会からも見え、友人と時間あったら行きたいね、と話していた。博物館はBMWの歴史や、年代ごとの車の展示などがされていて、車好きにはたまらない博物館である。おれは、車は好きで乗っているけれども、特別なこだわりはないし、これからもそうであろう。もし、大金を手に入れたとしても、おれは絶対に高級車は望まない。おれにとって車は、安全に走ってくれればそれでいい、それぐらいにしか思っていない。どれだけ高級車や珍しい車を見せられても、これから先、この考えは変わることはないと思う。


そしていよいよ、本日のメインであるサッカー観戦。おれたちは、良さそうな席を選び、試合に集中した。友人は、カーンくらいしか知らなかったため、おれはバイエルンの選手をひとりひとり説明しながら、試合を見た。それにしても、応援がすごかった。日本とドイツのサッカーの違いの一つとして、サポーターが挙げられると思う。彼らは、一つのプレーに対して、みんな同じ反応をする。みんなサッカーというものを知っているのだ。喜ぶべきところ、ため息をつくところ、怒るべきところがみんな同じ。様々なプレーにスタジアムにいる人すべてが同じ気持ちになっているような一体感がある。日本では、これはゴール裏の熱狂的なサポーターくらいではないだろうか。そういうものがテレビで見ていても伝わるから、海外のサッカーは日本のJリーグよりも面白いのかもしれない。


試合は、ホームのバイエルン・ミュンヘンが2-0の完勝。点差以上に実力差があった。みんな勝利したことに喜んでいる。彼らの手には、皆一様にビールがあった。これもまたドイツ流なのだ。おれたちも応援していたバイエルンが勝ってうれしい気持ちになっていた。気温は低く、とても寒かったけど、今日はきっと特別な日になる。何年経っても、昨日のことのように思い起こせる特別な日。おれは、宿に戻るまでその余韻に浸っていた。


おれたちは、宿の近くで簡単に夕食をとり、宿に戻りその中にあるバーのようなところで今日という日を振り返った。(友人はビール、おれはものすごく薄いオレンジジュース)。おれは、興奮を誰かに話さずにはいられなかったのだ。中学生の時に憧れたヨーロッパのサッカー、それが想像通り素晴らしいものであったことが、ただ嬉しかった。そして、こんなに素晴らしいものが日常となっているヨーロッパの人が羨ましかった。それでも、おれにとってこの日が特別な日になったということに、変わりはない。



ー5日目ー (Frankfurt-Munchen)


本日もまた、移動日。フランクフルトからミュンヘンへ。前日同様、ミュンヘンで新しい宿を探さなければならなかったおれたちは、朝早くの電車に乗り、フランクフルトに別れを告げた。乗車時間は、3時間20分。本日もまた、長旅である。おれは、コーヒーをすすりながら、知らない国の知らない街並みを見ながら、その時間を過ごした。この日はとても寒く、どこの駅のホームも白い絨毯がひかれていたのだが、しかしそれは、何でもない普通の駅を、どこか幻想的な雰囲気に変えていた。


ミュンヘンに到着。おれたちは、駅を出るとすぐに、大雪が降る中、良さそうな宿を必死で探した。ミュンヘンには、この旅で最も長く滞在するため、この宿探しはとても重要である。歩き回った結果、結局、駅から徒歩3分くらいの安い宿に決めた。そこは、主に海外からやってくる学生向けの宿。トイレもシャワーも共同であったが、おれたちは観光しやすいと言う理由でこの宿に決めた。それよりも、様々な国からやってきている世代の同じ学生たちと触れ合う機会がありそうなので、それは楽しいかもしれないと思った。


荷物を置き、早速、市内観光。ミュンヘンはさすがに’ビールの街’というだけあって、ビアホールがいたるところにある。おれは、ビールだけでなくアルコールが大の苦手なのだが、友人の強い希望により、ガイドブックにも乗っている有名なビアホールに行くことにした。中は、とても賑やかであったし、人々は一様に楽しそうな顔を浮かべていて、外の大雪が嘘のように見えた。また、片手に3本、両手で6本の大ジョッキを運び続けるウェイター達が館内にはたくさん歩き回っており、さながら大道芸のようで、おれはそれを見るだけでも楽しい気持ちになった。ドイツのビールは、友人によると味が薄いと言うことだが、おれにはビールそのものの良さが分からないので、どうでもいいことである。結局、ビアホールの雰囲気を味わっただけで、おれはずっとジュースを飲んでいた。


途中、アジア系の学生が、一緒に飲んでもいいかと、おれたちに話しかけてきた。話を聞くと、彼は韓国人で、一人でドイツを回っているようだった。おれたちが通じ合う言葉は、ほとんどが単語ではなく、人の名前であったり地名だったりしたのだけど、わずかに理解しあうほんの少しのコミュニケーションは、おれにとって心が和むとても楽しいものであった。おれたちは、サッカーや、有名人の話、そして将来のことなど、時間を忘れて語り合った。彼は、半年後に兵役があると言っていた。おれたち日本人の学生には、別世界の話である。国を守るためで名誉なことなのかもしれないが、おれは軍隊の制度は、良い未来を築く正しい方向だとは思えなかった。


おれたちの国籍は、日本と韓国。ある世代においては、互いに許せぬ関係なのかもしれない。しかし、こうして席を共にし話し合えば、分かり合うことはできると思う。過去の歴史を、忘れないことも大切だと思うが、それらを反省し、繰り返さないことはもっと大切なことだ。そして、両国が互いに助け合っていくべきである。彼と別れた後、おれは、「国境線なんておれが消してやるよ!!」と、映画「GO]で、在日韓国人の役であった窪塚洋介が言ったシーンを思い出した。


あたりはすっかり暗くなっていた。ビアホールを出て、おれたちは街を見ながら歩いていたのだけど、ミュンヘンの街には、サッカー関連のものが多く目に付いた。おれにとっては、ミュンヘンと言えばやはり、バイエルン・ミュンヘン。バイエルンには、世界最高のGK、オリバー・カーンをはじめ、ドイツ代表のキャプテン、ミヒャエル・バラックなど多くのスター選手が在籍する、ドイツ最強のチームで、国内ではスター選手が多いことに例えて、’FCハリウッド’などと呼ばれている。何としても、バイエルンの試合が生で観たいと思った。おれは、マフラーやフラッグが売られているバイエルンのグッズショップに入り、試合の日程を調べると、ラッキーなことに明日、ホームゲームがあるとのことであった。あまりサッカー好きではない友人を強引に説得し、おれたちの明日の予定は、サッカー観戦となった。


大雪が降り続くミュンヘンの夜。想像もできなかった幸運が、今この手の中に。1ヶ月前には、イタリアでACミランの試合を見た。あの時おれは、こんな素晴らしいことは、しばらくないだろうと思った。けれども、明日、同じ興奮がおれのところにやってくる。ヨーロッパの中でも、5本の指に数えられるようなビッククラブの試合を2回も見れるなんて、おれは何て幸運なのだろうと思った。宿のベッドで眠る前、おれは今まで日本で見てきたバイエルンの試合を、だいたいサッカーの1試合分くらいの時間をかけて、思い出した。思い出すことすべてが、明日への興奮に繋がっていく。おれは、この夜、しばらく眠ることができずにいた。

どれだけ辛い夜を過ごしても、陽はまた昇る。夜は明けていく。無神経な空は、そのことがなんでもなかったかのように、気持ちの良い青で、微笑んでいる。おれはまだ信じられずにいる。肩に重くのしかかるものがあっても、「嘘だろ!」と言って、振り払う。だけど、それは年季の入った野良猫のように、振り払っても振り払っても、いつの間にか自分の心に戻ってくる。それでもおれは、何度も何度も、同じことをくり返す。


おれの中には、いくつもの部屋がある。いま、その中にある一つの部屋だけ、とても散らかっている。怒りや悲しみ、悔しさなどでごちゃごちゃしていて、簡単に整理できるものではない。けれど、おれは目を閉じると、どういうわけか、その部屋をノックしてしまう。それは、おれにとって、その部屋に自分がポジティブになれるようなものが落ちたりしていないか、確認することだ。でも、そんなものどこにも落ちていない。


「無力感」、多分そういうことなんだと思う。それは、出口が入り口であり、入り口が出口である。おれは、そこから出て行くことができない。そこは、冷ややかな薄暗闇に包まれていて、おれはまっとうな方向と時間を見失ってしまう。そして、おれは分からなくなってしまう。果たして、何が正しくて何が間違っているかを。それでもおれは、何とか言葉にし、口に出してみる。けれど、絞り出した声は、自分でも情けないほど、掠れていた。暴力的な悲しさは、おれのあらゆる機能を麻痺させる。


「せめておれたちは、あなたのために泣こう。悲しむことで、あなたの魂が少しでも癒えるのなら、いくらでも涙を流そう。涙だけでは足りないことくらい、分かっている。それでもおれたちは、あなたのために涙とともに祈ろう。だから、許してほしい。あなたに、あんなにひどいことをしたこの世界を。何もできなかった無力なおれたちを。」


強くなりたい。けれど、おれが求めているのは、おれが求めている強さとは、勝ったり負けたりする強さではない。外からの力をはねつけるための壁が欲しいわけでもない。おれが求めている強さとは、外からやってくる力を受けて、それに耐えるための強さだ。不公平さや不運や悲しみ、そういう物事に、静かに耐えるための強さ、おれは今、そういう強さがほしい。


人間とは、深く、そして時には愚かしい存在である。また、ちっぽけな存在でありながら、その体には何億もの細胞があり、体中には恐ろしい数の血管が絶え間なく流れている。生きるために。その中に、人それぞれ精神があり、痛みや悲しみ、喜びを体の中で生み出し、外に発散させていく。それもまた、生きるために。



生きる。誰かのためではなく自分のために。周りに気を使い、いつでも笑っていたあなたが、いま本当に望んでいることは、きっとそういうことだと思うから。でも、こうも考える。誰かのために生きることが自分のために生きるということ、これもまた、あなたが望んでいることだと思うから。


生きる。おれたちの中で、あなたは変わらずに生きている。


生きる。おれたちもまた、あなたのように強くなるために。















ー4日目ー (Berlin-Frankfurt)


この日は移動日。電車で約3時間半、ベルリンからフランクフルトへ。おれたちは、フランクフルトでの宿も決まっていなかったため、朝早くの電車で向かうこととなった。よって、朝食は車内で。駅の売店でサンドイッチを買い、コーヒーは車内で売られているものを買った。この日の電車は、ユーロシティーと呼ばれる国際特急で、ドイツの大都市だけでなく、国境を越えてヨーロッパ各国を走っている電車である。おれたちは、外国人旅行者向けの、滞在中電車が乗り放題のチケットを日本で購入していたので、切符を買うということはなく、車内を回っている駅員にそれを見せるだけでよかった。


車内はほとんど乗客がおらず空いていたし、席に灰皿が設置されていたため、おれたちは気分良く、電車の時間を楽しむことができた。6人席に2人で座っていたので、足も伸ばすことができるし、横になることもできる。風景は今まで見たことのない新鮮なものが続き、目が飽きることはない。たまに回ってくる車内のコーヒー売りの売店の人は、旅行者のおれたちに気持ちよく微笑んでくれたし、おれたちもまた最高の気分でこの時間を過ごすことができた。


お昼前、フランクフルトの到着。おれたちはまず、昼食よりも先に、宿を見つけなければならなかった。市内観光も兼ねて、おれたちはフランクフルトの街を歩き出した。フランクフルトは、ドイツの金融・商業の中心地で、街の中心に立ち並ぶ高層ビルは、ほとんどが銀行の建物である。ドイツ有数の大銀行の本店、外国の大銀行の支店がひしめき合っているだけでなく、ドイツの日銀ともいうべきドイツ連邦銀行があり、さらにはユーロを統括する欧州中央銀行の所在地もあるなど、街を歩けば、ここが金融の中心であることはすぐに理解できた。宿は、何件か回った末、駅近くのところに決めた。ビジネスマンが多いせいか、手ごろな宿がいくつもあり、おれたちにはとても有り難かった。


市内観光スタート。フランクフルトにはこの日の午後しか、観光できる時間がなかったので、おれたちは簡単に昼食を済ませ、足早に市内を回ることにした。フランクフルトといえば、「若きヴェンテルの悩み」、「ファウスト」などで知られる文豪ゲーテのふるさと。街中には、ゲーテの銅像が立ち、生家が博物館になっていて、一番大きな広場もゲーテ広場と呼ばれているほど、この街の人はゲーテがこの地で生まれたことを大変誇りにしている。ゲーテハウスは後で行くことにして、おれたちはまず、ユーロの本拠地・欧州中央銀行に行くことにした。ここは、一階が博物館のようなものになっていて、通貨がユーロになるまでの歴史を楽しむことができる。マルクやリラなど、見たことがなかったコインやお札を見ることができ、とても興味深かった。ヨーロッパは各国が同じ通貨を使用している。過去に傷つけあった歴史を持つ国々でもだ。おれが住む日本はどうだろう。アジアの各国と同じ通貨を使用する日は来るであろうか。実現は当分難しいと思うが、いつかそうなることを目標にして欲しいと、おれは思った。


面白そうなお店をいくつか巡り、市内を回ってから、おれたちはゲーテハウスを目指した。しかし、残念なことにおれたちが着いた時には、もうすでに閉館時間を回っていた。ゲーテの書斎など興味深いものが多かったのでとても残念であった。次にどこに行こうかと、ガイドブックを見ていたところ、すぐ近くのニコライ教会で一日に3度だけ鳴らされる鐘の時間がもうすぐである事に気付いた。おれたちはすぐに、その場所に行き美しい鐘の音を聴いた。広場にいた人のほとんどが足を止め、その鐘に聴き入っている。フランクフルトの人々の時間軸の中で、この一日に3度鳴らされる鐘は、きっと特別なものなのであろう。おれたちのすぐ近くで椅子に腰掛ける老夫婦も鐘を聴いていた。彼らは旅をするにはあまりに年をとっているように見えたので、おそらくこの地の人たちなのであろう。だとすれば、もう何千回と聞いているはずなのに、彼らは初めて聴くかのように、何かを懐かしむように鐘の音に思いを向けていた。何度聴いても飽きない鐘の音、おれは何だか特別なものと出会えた気がした。


陽も暮れて、すっかり夜となっていた。おれたちは、りんご酒で有名なザクセンハウゼンを目指した。途中、おれたちはマイン川沿いを歩いたのだが、川沿いのライトアップされた建物が、川の水面に映し出されていて、それが本当にきれいであった。フィレンツェでも思ったけれど、こういうのは一つの芸術だと思う。作ろうとしても、なかなか作れるものでもなく、いくつもの偶然が重なってできたものであり、そういうのを見ることができたことは本当に幸せなこと。心の美術館に、また一つ’名画’が仲間入りしたことを嬉しく思った。


ザクセンハウゼンは、その昔、ザクセン人の家があったことから、そう呼ばれている。かつては、パン屋、製革工、ぶどう園芸家、陶工などの職人たちが住んでいたこの地は、現在、庶民の雰囲気漂うりんご酒の酒場街として有名になっている。おれたちは、りんご酒が飲める店に入り、その味を楽しんだ。残念ながら、おれはお酒が弱いため、半分くらいしか飲めなかったが、友人はとても美味しそうに飲んでいた。それでも、店の雰囲気がとても良く、木の家具で統一されていて、和みのある空間であったため、おれは苦手なお酒ではあったけれど、充分楽しむことができた。


雪が降る中、宿に戻り、次の日の準備。今日、訪れたところや、明日行くミュンヘンの情報をガイドブックなどで見ながら、おれは眠りについた。明日もまた、長い電車の旅が待っている。




-3日目ー (Potsdam)


本日はベルリンから電車で20分の街、ポツダムへ。朝食は、前日と同じ大学の食堂で。イタリアでも思ったことであるが、朝食というのはとても大事なもの。その時間をどういう気分で過ごすかによって、その一日の良し悪しが決まるといっても過言ではない。おれは、急いだり慌てたりせず、落ち着いた気持ちでその時間を’楽しむ’ことができれば、その一日は何か良いことが起きると思っている。この日は、ポツダムに行くことは決まっていたけれど、電車の時間も観光の予約もなかったので、本当にゆっくりと朝食の時間を楽しむことができた。パンとコーヒーとヨーグルト、これは日本に帰ってからも、日常にしたいと思った。


ドイツに来てから、初めての電車。イタリアに行ったときにも乗ったけれど、その時は日本で言えば新幹線のようなもので、車内は混雑していなく、ゆっくりと風景なんかを楽しむことができた。しかし、この日の電車は、日本でいえば山手線のようなもので、ビジネスマンや学生が多く乗っていて、おれたちは座ることはもちろん、外の景色を見ることもできなかった。しかし、それよりも、この電車の中で素晴らしい’景色’を見ることができた。15歳くらいだろうか、少年が年配の女性に席を譲ったのだ。彼は、笑顔で譲るというよりは、表情もなくそれが当たり前のことのように譲った。おれは、日本でずっと思っていたのだが、優先席というのは、実に遅れた考え方であると思っていた。優先席を設けるというのは、考え方を変えれば、それ以外は’譲っても譲らなくてもどちらでもいい席’というふうになる。ということは、老人や身体の不自由な人を前にしても、別に譲らなくても良いわけだ。日本の電車には、譲るべき席とそうでない席がある。そんなの、絶対におかしい。本来は、すべての席が優先席であるべきなはず!だから別に、特別な席などを設けることはない。優先席などあるから、老人も若者もいろいろなことを考え、気分を悪くするのだ。ドイツの電車やバスには、少なくともおれが見た限り、優先席などが見られなかった。それが、福祉国家ドイツの答えなのであろう。おれは、先を行くドイツの考え方を垣間見れただけでも、嬉しかった。


ポツダムに到着。この日の天候、大雪。最高気温、マイナス7度。経験したことのない寒さであった。雪道は歩きにくく、その上、前が見にくい。観光をするには最悪の条件であった。このポツダムは、日本の歴史にとっても、すごく重要な場所。1945年、7月17日~8月2日に開かれたポツダム会議の場としても知られている。そして、そこで日本を降伏させる策が話し合われた。おれたちは、駅から30分くらい歩いて、サンスーシ宮殿を目指した。


プロイセン王のフリードリヒ大王が建てた華麗な宮殿、サンスーシ宮殿は、主に夏の観光スポットのようで冬場は訪れる人はあまりいない。サンスーシとは、フランス語で「憂いのない」という意味で、日本語では「無憂宮」と呼ばれている。おれたちはまず、その広さに驚いた。そして、建物の豪華さだ。宮殿の色が黄色で、とても華やかな感じがする。おれたちは、内部を紹介してもらうツアーに参加した。200年以上も前に、これほど見事な装飾があったなんて、とても信じられない。見るもの聞くものすべてが、過去のものであるにもかかわらず、すごく新鮮な気持ちにさせられた。それでも、少しでも異国の歴史に触れられた気がして、とても良い気分で、この宮殿を後にできた。


昼食は宮殿近くにあるショッピングストリートにあるカフェで。ここで、おれは有名なドイツのライ麦パンを食べることができた。食感がもちもちしていて、米とも似ているため、日本人でも美味しく食べることができると思う。匂いは独特のものがあったが、ハムやチーズなんかが挟んであり、とても美味しかった。おれだけかもしれないが、ライ麦パンとオレンジジュースの相性がとても良かった。これは日本に帰って、確認しなければと思った。


午後は特に目的もなく、ポツダムの街を歩き回った。観光地ではなく、普通な民家があるような、そんな場所をおれたちは、ただひたすら歩いた。でもこれは、ツアーなどで行けば、おそらく経験できないであろう、とても貴重な時間だ。観光地だけがその国のすべてではないし、その街のすべてでもない。知らない街を歩くということは、観光地であろうがなかろうが、目に映るものすべてが新鮮だ。とてもエキサイティングだし、わくわくする。とてもゆっくりとした時間の流れ、緑に覆われた公園や静かな湖、そのどれもが心を落ち着かせてくれる。おれは、とても長い時間歩いたけれど、疲れはほとんど感じなかった。


陽も暮れだし、おれたちは電車に乗って再びベルリンへ。ポツダムを歩いた後、ベルリンの街に立つと、やはりベルリンは都会なんだなぁと思う。おれたちは、ベルリン最後の夜ということでレストランに行った。バイキング形式のその店は、日本でいうファミレスのような感じであろうか。値段はそこまで高くなかったが、おれが選んだものは、残念ながら口に合わず、がっかりしてしまった。次に、こういう場所に入るときは、もっと研究しなきえればと思った。


宿は昨日と同じ場所。この日は夜、サッカーのチャンピオンズリーグがあるらしく、おれと友人は宿のテレビがある場所へ行った。試合は、ドイツのバイエルン・ミュンヘンとスペインのレアル・マドリード、欧州屈指の好カードである。おれと友人のほかにもう一人、サッカーを見に来た人がいた。彼もまた、外国から来た旅行者のようで、この宿に泊まっているらしかった。おれたちは彼と一緒に見ることになり、彼はどうやらバイエルンのほうを応援しているようだった。言葉はあまり通じなかったけれど、選手の名前は共通だ。カーンやベッカムの名前を出しては、簡単な英語を付け加えて、おれたちと彼は、笑い合ったりした。サッカー選手の名前は、万国共通である。おれたちは試合が終わると、彼に簡単な挨拶をし、部屋に戻り、明日行く予定のフランクフルトの情報を本でチェックし、眠りについた。







ー2日目ー (Berlin)


「1961年8月13日、一夜の突貫工事でコンクリートと鉄条網の壁が出来上がった。以来、この壁は東西ドイツの分裂、米ソ冷戦の象徴として存在し続けた。朝鮮戦争で幕を開けた20世紀後半は、かつてない変化と混乱に満ち、分析という観点からすれば歴史上、最もエキサイティングな時代であった。’民主主義と共産主義’そして、それぞれのリーダーであるアメリカとソ連。この両者が最も激しくにらみ合った場所、それがベルリンである。ベルリンの壁は、壊れる日など永遠に来ないかのように思われていた。しかし、1989年11月9日、突然壁に穴があいた。東ドイツ政府が、国外旅行と海外旅行を自由化する政令を発表し、これを聞いた東ドイツ市民数千人が、壁を壊し西ドイツに入ったのだ。この瞬間、東ドイツを含む共産主義が、事実上崩壊となった。」



ベルリンの朝は快晴であった。雲ひとつない良い天気。外はやはり寒かったけれど、きれいな青がそれを忘れさせてくれた。おれたちは、朝食をとる前にしなければいけないことがあった。宿泊場所を探すこと。これがこの日、まずしなければいけないことであり、これからの旅で何度か訪れる重要な’作業’であった。ベルリンは街自体がとても広く、道路も片道だけで何車線もあり、それは東京などに比べると、とても気持ちの良いものであった。1時間くらい歩き回り、ようやく宿を見つけた。おれたちは、思いリュックサックを背負って探し回っていたし、朝食もとっていなかったので、すぐにそこに決めた。部屋には、テレビもなくトイレも全体の共同であり、シャワーも海水浴場にあるようなとてもちっぽけなものであったけれど、おれたちはとりあえず決まったことに安堵した。


朝食は宿の近くにある大学の食堂でとった。この食堂は、そこに通っている生徒だけでなく、一般人も利用でき、もちろんおれたちのような海外からの旅行者も気軽に利用することができる。おれは、コーヒーとパンとサラダを注文した。前の日が、飛行機の機内食とファーストフードであったので、朝食ではあったが何だか久しぶりにちゃんと食べた気がした。


今日のメインはベルリン市内観光。おれたちはまず、’6月17日通り’をひたすら歩き、’戦勝記念塔ジーゲスゾイレ’を目指した。6月17日通りは、片道5車線くらいある道路であり、それに沿うようにビックリするくらい高い木が立ち並び、それがどこまでも続いているかのように、長く延びていた。1時間くらい歩き、目的地に到着。この戦勝記念塔ジーゲスゾイレは、高さ67メートルの塔の上に、金色の勝利の女神ヴィクトリアがそびえたつ。19世紀、ドイツ軍の戦争の勝利を記念し建てられた。頂上が展望台となっており、285段の階段を登ると、そこには広くて美しいベルリンの街並みが広がっていた。天気も良かったし、感動を意味する言葉がいくつも思い浮かんだ。


塔からさらに6月17日通りを進み、ドイツ連邦議会議事堂へ。ここは、激動するドイツ現代史の象徴として輝くモダンな建物。入場は無料なのだが、見学者が多く一時間近く並ばされ、荷物チェックもあった。ニューヨークでもイタリアでもそうであったが、空港も含めて海外はこういうことを本当に厳重に行う。日本はどうであろうかと考えると、やはり心配になる。この議事堂は、建築的にも素晴らしく、ガラス張りの中央ドームはとても印象的であった。


簡単に昼食を済ませ、おれたちは議事堂からすぐ近くの森鴎外記念館へ行くことにした。ここは、森鴎外がベルリン留学中に滞在していた下宿が、作品などゆかりのものを展示し記念館となっていた。海外で漢字を見ると不思議な気持ちになる。それにしても、100年以上も前に日本人がこの地にいたなんて。その当時、海外で勉強をしようとすることは、とても勇気がいることである。このドイツで、日本人の記念館があることを、おれは誇りに感じた。


そしておれたちは、ベルリン観光のメインである、壁博物館へ向かった。ここには、1961年8月13日のベルリン封鎖当時の様子や、東側の人が逃げてきたさまざまなルートや手段がパネルや写真で紹介されていて、とても興味深い内容となっていた。境界となった建物の4階から飛び降りる子供たち、気球を使って西側へ入ろうとする人、ソ連兵の軍服を着てうまく壁を通過することができた人、そして、逃げようとして途中で射殺されてしまったたくさんの人。彼らの写真やエピソードを見て、思わず考えさせられてしまった。たとえ壁はきれいに消えたとしても、人々の中で悲劇の記憶はずっと消えることはない。ベルリンという街にとって、この博物館はとてつもなく重要な場所、多くの人に訪れて欲しいと思う。そして、知るべきだ。この場所で何があったかを。


陽も暮れだした。おれたちは足早に、本日最後の目的地・ユダヤ博物館へ。ここは、とても奇妙な建物で、中は変な感じに薄暗く、展示通路も鋭角になっていたりと、ユダヤ人の歴史を暗示するかのような迷宮を旅している気分になった。ユダヤの2000年の歴史を学ぶにはとても良いところである。おれたちは、ユダヤ人が強制収用された部屋をイメージして作られた部屋に入ったのだけれど、そこには、おれが今まで感じたことのない’怖さ’があった。部屋の中に何もない、一緒に入った友人が全く見えないほど真っ暗で、入ってきたドアすら見えなくなった時、おれは怖さだけしか見えなくなっていた。こんなところに、人を閉じ込めるなんて人道ではない。ユダヤに関する歴史は、とても悲しいものがいくつもあると思った。


宿から随分と離れたところに来てしまっていたので、おれたちはバスで帰ることにした。もうとっくに陽は落ちている。たくさん歩き、とても疲れていたので、宿近くでピザを食べ、すぐに宿に戻った。おれはこの一日で、考えさせられることをたくさん見たわけだが、前日もあまり眠っていなかったため、それらは明日考えることにして、部屋に戻るとすぐにベッドに横になり眠ってしまった。














ー初日ー (Tokyo-Vienna-Berlin)


今回の旅もまた、これまでの旅と同様、朝早い目覚めとなった。今までと違う点は、スーツケースではなく大きなリュックサックで行くということ。これは電車などの移動を楽にし、空港で荷物を預けなくても良いことなどが理由にある。しかしその分、荷物を軽量化しなくてはならなかったので、下着類を覗いて、ほとんど一着ずつしか持って行かなかった。


すべては予定通りに進んでいった。横浜から成田へのバスも順調であったし、成田からウィーンへの飛行機も何も問題はなかった。イタリアへ行った時は、大雪で飛行機が着陸できないなどのトラブルがあったため、何も問題がなかったことを、おれは素直に嬉しいと思った。しかし、飛行機の中というのは、いつだって良い気分にはならない。窮屈で退屈で息苦しい時間。そして、あの騒音が唯一の救いである’眠り’から、おれを遠ざける。動けない長時間は、シートベルトをつけると、何だか縛り付けられてるようだ。「快適な空の旅」なんて言うけれど、おれはそんなふうに思ったことなど、一度としてない。


ウィーンに到着し、次のベルリンへの飛行機の時間まで5時間くらいあった。分かってはいたことだが、乗り継ぎの退屈な時間。この5時間というのは、今までの乗り継ぎ時間の中でも最も長く、おれたちは待合室で仮眠を取ったりしながら、その時間を潰した。ベルリンへの飛行機は、飛行機と呼ぶには程遠い、小型のものであり、席数も今まで載ったことのないような少なさであった。さらに、おれと友人の席が離れ離れとなっていて、おれはもう眠ること以外、何も思いつかなかった。おれは、この1時間半ほどの飛行機の時間、ほとんど何も覚えていない。


ベルリンに到着。夜7時を回ったところだ。空港の外に出ると強烈な寒さが、おれたちを襲った。寒いというのではなく、痛いという感じ。一緒に行った友人は、北海道出身なのだけれど、札幌よりも寒いといっていた。それもそのはず、2月のドイツの夜は、マイナス10度以上になることもある。。おれは、経験したことのない寒さに驚きを感じながらも、無事ベルリンに到着できたことを嬉しく思った。


空港からはバスでホテルへ。実は今回の旅は、この日以外、泊まるところを決めていない。初日は、遅くなってもいいようにと、日本で予約をしたのだけれど、それ以外は自分たちで泊まるところを探さなければならなかった。まぁこれは、自分たちがこういうふうにしたいねと、話し合って決めたことであり、探す楽しみもあってもいいじゃないかということでこうなったわけだが。


ホテルは特別変わったこともなく、普通のホテルであった。おれたちは荷物を置き、散歩も兼ねて夕食をとるために夜のベルリンへと出向いた。しかし今回の旅のテーマは、格安の旅!おれたちは、そんなにお金も持っていなかったし、何よりこの日以降、宿泊代もかかるわけであったため、初日からペースを上げるわけにも行かず、駅前にあるファーストフードで簡単に済ませた。ホテルに戻り、明日以降の簡単な打ち合わせをして、ベッドに入った。友人はすぐに眠れたようだったが、おれはなかなか眠れなかった。疲れているはずなのに、眠れない。結構長い間、それは続いた。長い一日が、さらにどんどん長くなっていくなぁと思った。いつ眠れたのかは分からないけれど、このドイツに来るため、日本で自分がしてきたことを振り返ったりなど、とにかく様々なことを考えた夜となった。

いよいよ来月から世界最大のスポーツの祭典、ワールドカップがドイツで始まる。サッカーファンならずとも、この大会だけは胸が躍ることだろう。期間中の1ヶ月は、90分間の筋書きのないドラマに、全世界が釘付けになることは間違いない。ドイツで開催されるというのも、興味深いことの一つだ。実は、2年前、おれは友人と卒業旅行として、ドイツに行った。滞在中、サッカー観戦もしたし、ワールドカップが開催される都市へもいくつか訪れた場所があるため、今回の大会は試合以外の面でも、関心が高くなっている。


このブログで、おれは旅行の日記をいくつか書いたけれども、ドイツへの旅行のことは、ワールドカップ直前に書こうと、以前から決めていた。テレビや雑誌などでドイツの様々な情報が流れる頃に書いたほうが、いろいろなことを思い出せるのではないか、と考えたからだ。もうそろそろ、代表のメンバーも決まり、あらゆる視線がドイツへと注がれていくだろうし、多くのメディアも、関連ニュースを報道していくであろう。そう、このタイミングをおれは待っていた。


おれは、大学の卒業旅行として海外へ2度行った。以前書いたイタリアと、このドイツだ。イタリアから帰ってきて、2週間後にドイツへ行ったわけだけれども、一月の間に日本とヨーロッパを2回も往復することなど、サッカー選手にでもならない限り、この先二度とないだろうと思いながら、おれは二つの旅を楽しんだ。大学生というのは、多分長い人生でも、最も自分の時間を持てる期間だと思う。好きなことがいくらでもできるし、どこにだって行ける。自分の矢印が、どこにでも向けれる、どこに向けても許される自由な期間なのだ。おれは、その期間、可能な限り海外旅行をしたいとずっと思っていた。そのために、大好きな買い物や、友人と遊んだりを我慢して、ただひたすらバイトをしていた。クリスマスだって、お正月だって、朝早く起きて、バイトに行った。日数的には、就職した今よりも働いたかもしれない。それはすべて、2回のヨーロッパ旅行を可能にするためであった。でも、いまはその時の自分の決断を、本当に良かったと思っている。今の仕事を続けていられるのも、ある種の夢や憧れを持ってやっているからで、それを教えてくれたのはヨーロッパだ。その時見たもの、聞いたもの、感じたこと、それが今のおれの日常生活を支える、とても大きなパワーとなっていることは、間違いない。


ドイツの旅と書いたが、実はこのときオーストリアにも行った。電車で国境をまたぐというのは、とても不思議な体験であったけれど、日本にいたら絶対にできないこと。滞在中は、移動はすべて電車で、気が遠くなるほど電車に乗った。タイトルの由来は、そんなとこにある。おれと友人は、この旅にスーツケースではなく、大きなリュックサックでいった。泊まるところを日本で予約せずに行ったため、滞在期間中、まずしなければいけないことは、その日に泊まる宿探しであった。しかし、それもまた結構スリリングで楽しい経験となっている。この旅は、出発前、大学の時にしかできない格安の旅にしようと決めていたため、食事や泊まったところなど、みんなが羨ましく思うようなことはあまりないが、それでも心地よいスリルがあって、自分たちで’作った’ツアー’となった。


さーて、写真でも見ながら、その時のことを思い出すとするかな。






昔から小説を読むことが好きだった。おれは、中学生くらいからマンガを読んだ記憶がほとんどない。別にマンガを否定しているわけではない。あれだけ多くの人を惹きつけているのだから、きっと素晴らしいものなんだろうということは、容易に想像できる。それでもおれは、きっとこれからも、マンガを読まないだろう。理由なんてない。


小説というのは、ある種の見方をすれば、文字だけが印刷されたひどく退屈なものなのかもしれない。けれど、そこには無限の可能性を秘めた世界が広がっていて、自分だけの自由な発想で読み進めることができる。それゆえ、読み終わった後の感想が、人それぞれ違うし、感動も様々なところにあるだろう。そのように、自分だけの何かを持てる感覚がたまらなく好き。人と違うことを考えることは、昔から好きであったし、そこに正解・不正解がなければ、なおさら良い。小説は、おれのそういう欲求を見事なまでに満たしてくれる。


小説家は、おれは芸術家であると思っている。無限にある言葉を選び抜き、なおかつストーリーも考え、それを一つの本で表現する。これを芸術ではないと言える理由がどこにあるだろうか。何かの本で、「言葉は美しい色であり、文章は芸術だ」と書いてあった。その通りだと思う。文章で自分の世界や考えを見せることのできる人は、本当にかっこいい。おれはそういうのに、憧れを持っているから、こういうふうにブログを書いているのかもしれない。おれは、職業とかではなく、もっと単純に、自分の文章や言葉で勝負できる人間になりたい。


小説の登場人物たちは、おれたちが普段、漠然と思っていることをいつだって気の利いた言葉で、表現してくれる。そしていついの間にか、作者が生み出した物語に入り込み、登場人物になったつもりで一喜一憂したりする。現実では、あるはずもない話でさえ、言葉を追っていくと、’もしかしたらー’という感覚になる。自分の置かれた状況、その時持っている悩みや不安をきれいに取り除いてくれ、人生における多くの知恵の言葉を授けてくれ、そして自分の世界をも広げてくれる。おれがこのように、小説に見い出せたことを、誰かはマンガに見出しているのであろうし、また他の誰かは映画などに見出しているのであろう。おれはそういうことは、生きていく上で、とても大事なことであると思う。


最近は、小説も読むけれども、エッセイや現代社会の問題が綴られたレポート、さらには歴史の本も読んだりしている。服でも音楽でもそうであるが、おれは一つのジャンルに固執したりすることは嫌いだ。ジャンルにとらわれず、良いもの、好きなものに正直でありたい。そしていつも眠る前は、必ず何かしらの本を読もうと、以前から決めている。本を読むことは、自分の可能性を広げていくものだと信じているし、これからもそれは変わらない。


※ いまは、「ユダヤ人大富豪の教え」(だいわ文庫)というのを読んでいる。これは、ユダヤ人迫害の歴史の話では、もちろんない。50万部突破のベストセラーであるから、書店などで見かけたことのある人は、きっと多いはず。内容は、ユダヤ人の大富豪が、日本人の青年に人生を豊かにするヒントを、会話形式で伝えていく話。登場人物は、上記の二人で、その二人の会話だけでこの本は成り立っている。おれは、ここ最近の夜、そこに書かれた多くの知恵の言葉に、深く頷いていた後、眠りについている。