「SAY 'NO TO RACISM' (人種差別に’NO’と言おう)」


これは現在ドイツで行われている、サッカーのワールドカップのスローガンの一つである。とても素晴らしいことだと思った。世界中の視線が注がれる大舞台で、試合前、両チームのキャプテンが平和への祈りを込めて、宣言の文章を読む。会場にいる人たちへ、ブラウン管の向こう側にいる人たちへ、人種差別撲滅へ向けてのメッセージ。今年のヨーロッパサッカーは、特に黒人選手に対しての野次や、罵りが目立ったシーズンであった。スポーツの世界で、このようなことは絶対にあってはならないこと。プロの世界である以上、買ったり負けたりはもちろん重要であるが、選手を尊重することはもっと重要なことであるはずだ。


皮膚の色だけで、その人を判断することなんか、絶対にできないに決まっている。裕福な国で育った人が、貧困な国で生まれた人より偉いなんて、どんな本にも書かれていない。スポーツに限らず、様々な差別のニュースを聞くたび、耳を塞ぎたくなる。心に重く冷たいものが広がっていく。日本人は、歴史上、特定の差別を受けたことはほとんどなく、現在の国民性にそれは残っていると思う。だから、自分達の国以外で、そういうことがあっても、残念なニュースとは感じつつも、それほど悲観的にならないのかもしれない。けれど、差別に対して一番悪なのは、無関心であることだと思う。連日、日本のメディアが流す情報は、日本チーム以外のニュースのほとんどが、結果のみで、誰が決めてどっちが勝ったとか、そういう情報であった。この人種差別のスローガンも今日まで知ることがなかった。もちろん、サッカーの世界大会である以上、それはとても重要な情報であるが、おれは、メディアもプロでなければいけないと思っている。結果だけを伝えるなら、素人でもできるのだ。もっと、プロのメディアでなければできないような情報、おれはそういうのを待っている。


ベッカムが、ジダンが、フィーゴが、世界のスーパスターが放つ言葉には、重みがあった。こういうことは、もっと世界各地で行うべきである。サッカー選手、スポーツ選手に限らず、人々に影響を与える力を持っている人は、尊敬を得ると同時に、責任も与えられている。彼らはおれたち一般人なんかよりも、社会に貢献するべきであるし、彼らはしなければならない。それは義務だ。義務である彼らが、人種差別撲滅の宣言をしたからこそ、おれも含め、世界各地の人たちの心に届いたわけで、一般の人であれば、それはどんなに強い気持ちを持っていたとしても、多くの人の心まで届きはしないであろう。そういう意味でも、彼らがしたこととは、義務とはいえ、とても素晴らしいことだった。


大会が終われば、各メディアで総集編が組まれることだろう。サッカーのワールドカップの総集編であるから、良いプレーなど、サッカーのことが中心でも構わない。彼らも仕事である、読者の心をつかむ内容にしなければいけないのだ。ただ、おれは、そのほんの一部でいいから、サッカー以外の好プレーの記事も、載せてほしいと思う。素晴らしいプレーが多かったから、面白い試合が多かったからと言う理由は、大会の成功とイコールでは結ばれない。一つの世界大会の成功は、もっと数多くの要素があると、おれは思う。今回は4年前の日韓大会よりも、見ていて面白い試合が多いのだから、今度はサッカー以外での好プレーのニュースを、もっとおれたちの耳に届くことを願いたい。それらが積み重なって初めて、大会として’良い大会’、’成功であった’と後世に語られるのだと思う。



ダニエル・パウターの’Bad Day'を聴いている。すごくいい歌だと思う。CDショップのランキングにも入っている歌なので、多くの人がおれと同じ想いなのかもしれない。おれは流行っているものに、それほど興味はないけれども、単純に良いものは良いと思う。この歌は、忘れかけているものを思い起こさせてくれるような、そういう力を持った作品である。けれども、その忘れかけていたものというのを、おれは思い出したいわけではない。もっと強引に、思い出すというよりは、思い出させられるという感覚。たとえば、すがってはいけないと分かっている、もう戻れないあの時の記憶みたいなもの。そういう類のものを、おれはここ何日か感じていた。


おれは、この歌を初めて聴いた時、自分のこれまでの人生の、ある1ページを思い出した。それは、中学1年の時に行った宿泊行事のことで、その時の夜、部屋で同じ部屋の友達何人かで好きな女の子について話したりしたシーン。あの頃は、多くの人がそうであったように、「男」ってほど力強くはなく、「男の子」ってほど可愛げのあるものでもなく、しいて言うなら、「男子」の世界に、おれもまたいた。電気を消して、布団にもぐりながら、ささやくような声で、先生が部屋に入ってくるのにびくびくしながら、気になっている女の子について話したりしたあの時の夜。楽しい時間を終わりにしたくなくて、みんなずっと目を開けていた。誰かが無言になれば、すぐに気になって、体を突いたりした。好きな子の名前を言うことが、あれほどまで緊張したこと。あの夜おれは、「仲間」と言う言葉の意味を、大きく頷くように理解した。


そして、もう一つ思い出すシーンがある。これもまた中学生の頃のこと。当時おれは、サッカー部に所属していて、いつも群れていたのは、部活の友達たちだった。毎日がサッカー中心の生活で、3年間のほとんどがサッカーに占められていた。部活は休みなんてほとんどなかった。それでも、たまにある休みは、みんなで集まってサッカーをした。朝、7時前には、もうみんなグランドに来ていて、1時間目が始まるまで練習をする。午後の授業が終わり、部活の練習がある。部活が終わると、各自家に戻り、ご飯を食べてから、近くの小学校や公園に集まって、電灯の僅かな光を頼って夜10時くらいまで練習をしていた。上手くいかなくて、けんかをしたことも何度もある。それでも、気が付けば、また集まってサッカーをしていた。大会などでは、それほど自慢できるような結果は出せなかったけれど、毎日が楽しくて仕方がなかった。あの頃は、胸が騒ぎ出せば、その高鳴りのほうへ、素直に何の迷いもなく、進んで行くことができた。


何度も何度も、’Bad Day’を聴いている。こういう類のエピソードが、おれの一番無防備な部分に、容赦なく入り込んでくる。そして、最終的に辿り着く結論はこうだ。


「もう、あの頃には戻れない。」


誰だって、楽しかった場所にもう戻れないと知ったら、もう一度戻りたいと思うだろう。そこに行けば、自分が楽になれそうな気がするからだ。過去の楽しい部分を振り返り、目を細めること、それは弱っている時に救いを求めるようなことかもしれない。おれは、楽しい部分を思い出すことを美しいことだと思うが、そこにすがるのは、必ずしも美しいことばかりではないと思う。言い方を変えれば、現実逃避だ。だからおれは、冒頭で楽しい部分を思い出したいわけではない、と書いた。それでも、それらを糧にする必要はあると思う。あの時おれは、仲間がいるってことは、とても強いことだと知った。一人では何もできないということも、その時覚えた。それは、働くいまも、決して忘れてはいけない。会社と言うチームに所属している以上、それは何よりも重要なこと。


曲を聴いているうちに、自分にはまだ、戻れるページがあるってことに気付いた。それは、学生時代、バイトとしてパンを焼く仕事をしていた時のページ。何も考えず、パンを焼くのがただ楽しくて、おいしくていい匂いのする焼き立てパンを、多くのお客さんに届けたくて必死だった頃のページ。そのページには、すぐにでも戻れることに気付いた。バイトから職業に変わり、置かれた状況やら環境は多くの面で異なるけれども、おいしいパンをお客さんに届けたいという想いは、パン屋としている以上、片時も忘れてはいけないことである。忘れてたわけじゃないけど、おれはどこかで、見失っていた部分があったかもしれない。おれは、黄ばんでしまったあの時のページをコピーなどしてきれいにし、それを今日という日のページとして、明日を迎えなければいけない。


ダニエル・パウターの’Bad Day’。良い音楽に出会えた。また一つ、部屋のCDラックに、大切な音楽が仲間入りしたことを本当に嬉しく思う。











God whispered a wonderful story to my ears.

Words of the wisdom can soften a negative mind.

’Day by Day in every way, never never give up'

Positive autosuggestions may need for us.

I was taught the book, the Twelfth Angel.

It was a goog book.

I couldn't read without tears.

After reading, the sleep didn't come to my place for a long time.

But it was the good night.

If the book is read by everybody more,

this world will be good more, I'm convinced.

'Never ending questions to myself.'

I want to change them possitive as soon as possible.


最近のフェイバリット。それはヨーグルト。おれの中で、ヨーグルトは完全に朝食の世界のもの。ヨーグルトのある朝食は、気持ちの良い時間。爆発的な喜びではないが、目覚めて間もないおれの心の隅々まで、幸せを届けてくれる。以前おれは、朝食が美味しいことはとても重要で、その一日が良い一日になることを暗示してくれると書いた。ヨーグルトは、そんな朝食の中でも、特別なもの。仕事の日でも休みの日でも、気持ちよく、一日を始めさせてくれる。


少し前、おれは神戸に旅行に行ったのだけれど、そこのホテルでの朝食でヨーグルトを食べた時、とても幸せな気持ちになった。まだ体が完全に起きていないおれのなかに、優しく入っていく感覚。それは、コーヒーなどのように高圧的ではないし、アイスクリームのように冷酷でもない。口当たりが滑らかで、すごく優しい味。ヨーグルトと自分の関係の中に、対立するものが何もない。不自然に思うものが何もない。それは、目覚まし時計のように強引さではなく、カーテンの隙間から差し込む朝の光のように、おれをそっと起こしてくれた。


もちろん、何も入っていないプレーンのヨーグルトも大好きなのだけれど、フルーツの入ったヨーグルトもやはり、特別だ。フルーツもヨーグルト同様、おれの中では朝食の世界のもの。フルーツもヨーグルトも、朝食として食べるのが、一番美味しい。ヨーグルトとフルーツのジャムを混ぜたり、そのままのフルーツを入れてみたり、楽しめる食べ方は無限にある。おれは、その無限にある選択肢のひとつを誘うだけ。だけどそれは、そんなに難しいことではない。なぜなら、どれを選択しても、必ず幸せな気分になれるのだから。


おれは夜、次の日の朝のために、気分によって選んだフルーツとヨーグルトを冷蔵庫に入れる。入れた瞬間、朝起きるのがすごく楽しみになる。言ってみれば、それがおれの目覚まし時計だ。楽しみは、どこからともなく、目の前に現れるのではない。自分で作り出すものだ。これは、いまは自分だけの楽しみとなっているけども、もしこれが他の誰かに伝わるのなら、こんなに嬉しいことはない。


ヨーグルトのある朝食、もしかしたら今まで考えもつかなかったクリエイティブなアイデアが生まれる一日になるかもしれない。

朝目覚めた時、カーテンの僅かな隙間から光が差し込んでいる。朝が早いおれにも、ようやくこの季節がやってきた。少し前までは、朝起きる時、夜眠る時、仕事の行き帰り、おれはいつだって太陽の光とすれ違いの生活であった。けれど、いまは太陽との時間軸が徐々に合ってきている。太陽が一日の仕事を始めようとする頃、おれは仕事場へ向かい、太陽が一日の勤めを終えようとする頃、おれも仕事を終わらせ、家に帰る。


仕事場から自転車で家に帰るまでの間に夕日が見えることがある。ゆっくりゆっくりと、今日と言う日を惜しむように、落ちていく夕日。ほんの僅かな時間ではあるけれど、その瞬間に途方もない美しさが隠れている。おれは、その夕日を見るために、10分かかる仕事を5分で終わらせる方法を必死で考える。そして、もし夕日を見ることができたなら、それは自分へのささやかなご褒美だと、少しだけ喜ぶことにしている。


おれの家はアパートの一階で、ベランダと言うものは、無いに等しいくらい狭い。横は布団がだいたい2枚くらい干せるくらいであるが、奥行きは人が一人、立てるかどうかの窮屈なスペースだ。そして物干し竿の位置は今まで住んだ家に比べても極端に低い。長いバスタオルを干すと、地面すれすれまでになってしまう。先日、面白いことがあった。休みの日の夕方、干した洗濯物を取り込もうとすると、下のほうで何かが動いた。次の瞬間、それは野良猫であることに気付いた。梅雨の合間に顔を出した初夏の日差しに誘われるように、その猫は、おれの一番長いバスタオルに包まって、居眠りをしていたのだろう。視線の向こうで、彼はずっとおれを睨みつけている。果たしてこれは、おれが鈍感で想像力を欠いていたという事なのだろうか。だとすれば、おれは、もっと他者の気持ちを考えて行動しなければいけないのかもしれない。


最近、家に帰ると、部屋の中が蒸し暑く、窓を開けるようにしている。夜、虫の鳴き声が聞こえる度、おれはこの国は平和だなぁと思う。世界のどこかでは、窓の外から聞こえるのは虫の声ではなく、銃声やサイレンの音かもしれない。そう考えれば、いまの自分の暮らしは、ある程度、満足しなければいけないのであろう。


そして今日も一日が終わる。長い人生で一日なんて、ほんのまばたきくらいのもの。けれど、おれはたとえすごい短い一瞬だって、しっかりと何かを見たい。大事にしたい。その一瞬を形にしたい。どんな一日にも’意味’を持たせる生き方。おれはそういう生き方でありたい。







海外に行きたい。知らない場所に行き、新たな刺激を受け、自分の可能性を広げていきたい。前回までのドイツ&オーストリア紀行を書き終え、おれは今、強くそう感じている。このブログを書くことで、様々なことを思い出した。忘れかけていたものに、再び出会うことができた。文章を書くということは、とりもなおさず、自分と自分を取り巻く物事との距離を確認することだと思う。


社会人になり、知らぬ間に大人の知恵ってやつを学び、賢く生きようとする人がほとんどだ。おれは、その必要性と不必要な部分を考えることで、少し前までくたびれていた。正しい答えなんてないと知りつつも、それに納得できない自分がいて、どうにかして理解できるものを見つけ出そうとしていた。何となく過ぎていく毎日。抵抗できず、ただ指をくわえている自分。けれど、このブログを書くことで、少しずつではあるが、自分がどうあるべきか、自分がどうありたいか、思い出している気がする。学生の頃に強く抱いていた思い。ドイツへの旅もまた、その一つだ。


ワールドカップが始まった。時差があることに嘆きつつも、毎日、時間を見つけてはテレビをつけている。先日のオーストラリア戦は、残念な結果であったが、日本中が一つになっている様な気がして、それはとても国自体が健康なことであると思った。非常にいいことである。毎日、不健康なニュースばかり流されていて、それに慣らされて暮らしていると、楽しいことがどんなことか忘れてしまいそうになる。サッカーであったり、オリンピックであったり、スポーツには本当に大きな力がることを改めて思い知らされた。


えーっと、そうだ。これはおれのドイツへの旅のあとがきだ。ワールドカップ関連のニュースや番組で、ドイツの街並みを見るたび、すごく懐かしい気持ちになる。そして、自分が実際、あの場所にいたことが信じられなくなる。それでも、おれはたしかにあの場所にいた。何十万人の人が集まったベルリンの大通りも、おれはたしかにそこにいた。良い想い出というのは、人を強くしてくれる。思い出すだけで、悲しみや辛さ和らげ、心の中で眠っているポジティブを、呼び起こしてくれる。そして、旅の想い出を書き終え、いま思うこと、それはー。


「たのしいことをたくさんしたい!おもしろいことをたくさんしたい!」


甲本ヒロトが歌ったあの歌の歌詞が、いまの自分の気持ちを代弁してくれている。学生時代と違い、社会の中で組織の一員となってしまえば、自分の思うように時間を進めていくことは難しい。意識したくなくても、仕事優先の生活になってしまう。もちろんそこには、やりたくないけど仕方なくやっているという感覚ではなく、自分の意思で選んだという強い意志はあるけれども、たまには学生の頃のように、友人たちと同じ視線で笑い合いたい。おれは、それは仕事を頑張ろうとする強い意思があれば、時間を作って友人たちと会ったりすることも可能だと思っている。仕事が忙しいとか時間がないとか、そういう理由で楽しいことができる機会を失いたくない。だから、休みがなかなか取れないと分かってはいても、海外へ旅行することも十分可能だと思っている。というか、そう信じたい。ただ単に、楽しいことをもっと、面白いことをもっとたくさんしたいだけだ。それは、たとえ仕事と結びつかないことだとしても、仕事にも良い影響が出ると思うし、仕事をおろそかに考えていることとは、絶対にイコールではない。


もっともっと、たのしいことをたくさんしたい。おれは人生の勝ち組、負け組の判断の基準は、お金ではなく思い出の数だと思う。どれだけ、楽しい想い出を誰かと共有できたか。笑顔が訪れたか。考え方次第で、仕事だって楽しいことはたくさんある。今のおれの仕事はそういう基準で選んだ仕事だ。だからこそ頑張れる。そこを基準に置かなかったら、もっとおれは希薄な人間になっているに違いない。忘れてはいなかった。けれど、このブログでドイツの旅を振り返ったことで、様々な面でより強く思い出した。


旅の中で悔しかったことがある。英語だ。自分の英語力のなさ。これは海外に行った時に、自分の可能性を自分自身で削っていることだと思う。それが悔しかった。これは誰かと比べて英語ができる・できないの話ではない。いつだって、比べる相手は、イメージする完ぺきな自分。その相手に負けてしまったこと。もちろん、それに勝つことはおそらく有り得ないのだろうけれども、ドイツでは自分ができるだろうと思っていたことも、できないことが多かった。具体的にいえば、伝えるということよりも、聞き取るということ。伝えるということは、日本にいてもレベルを上げることはできるが、聞き取るという能力は、本を見たりしてもなかなか上達するものではなく、海外に行って、英語しか使えない状況に身を置くことが、一番のレベルアップの方法である。今後、可能な限り、自分の可能性を広げる環境を作っていきたいと思っている。


11日間のドイツ・オーストリアの旅。いつまでも心の引き出しにしまっておきたい素晴らしい時間。あれから2年以上経った今も、少しも色褪せることなく、おれの中で貴重な体験として残っている。自分が関わり合うもの、思いを巡らすもの、生きる理由となるもの、そういう宝物をおれは大切にしたい。そういう生き方をしていきたい。そして、たのしいことにおもしろいことに正直に。社会人になっても大事なことだと改めて感じた。


ー11日目ー (Vienna-Tokyo)


おれは起きる予定の時間よりも、少し早く目が覚めた。窓の外では、まだ誰も、この日を始めてはいない。昨日と今日を上手く区別できないこの時間。身体の奥から、突き上げてくるものがあった。おれは日本に帰って、この旅の経験を早く誰かに伝えたいと思った。でもそれは、言葉にすることは可能だが、そうしてしまったらすべてが嘘になってしまいそうな、そんな気がしていた。


やがて友人が目覚め、二人それぞれ出発の準備をし、部屋を後にした。宿を出ると、そこにはこれまでの旅の中で、最も気持ちの良い快晴が広がっている。滞在中は、ほとんどが雪の日で、晴れていればもっと大きな感動と出会っていたかもしれないと思いながらも、おれはこの雲ひとつない、上機嫌の空を眺め、不思議と感謝したい気持ちになっていた。


駅まで歩き、そこから空港行きのバスに乗り20分、おれたちは初日に乗り継ぎのために利用したウィーン国際空港へに再び戻ってきた。あの時とは、当然のことながら、随分と気持ちが違う。何かを得た充実感は、おれに笑みをもたらしてくれていた。飛行機までの時間、おれたちはコーヒーを飲んだり、お土産を見たりなどして、その時間を過ごした。おれはこれまで何回か、海外へ行ったけれども、直行便に乗ることは今までほとんどなく、いつもどこかで乗り継いでいたのだが、今回はウィーンから東京まで直行便ということで、そのことは心の中の重い部分を、いくらか軽くさせていた。


飛行時間は約12時間。おれは珍しく、ほとんどの間、眠ることができた。長時間の飛行で、眠ることができると、その時間が思ったよりも長くないと感じる。それを経験できて、本当に良かった。飛行中は、一本映画を見たことと、何回か食事をしたこと以外、ほとんど記憶がないまま、その時間は過ぎていった。


成田空港へ到着。東京もウィーンと同じように、気持ちの良い快晴であった。おれは、そんな何でもないことにも、素直に嬉しいと感じれるほど、精神的に良い状態にあった。早速、家に無事着いたことを報告。約2週間ぶりの携帯電話。滞在中は、なくても困りはしなかったが、やはり便利なものだと、おれは改めて思った。横浜までのバスは、友人と一緒に帰り、そこでおれたちはそれぞれの家に戻るため別れた。別れ際、今までと同じように、お互いそっけない「じゃー、またね」。それでも、お互いの顔には、言いようのない充実感があった。


昨日はウィーンにいて、今は横浜にいる。一人になっても、おれはそのことが上手く整理できずにいた。けれど、時間が経つにつれ、現実の手が音もなく近づいてきて、おれの方に向かって伸びてきた。海外旅行は確かにすばらしいものであるし、機会があれば何度でも行きたいと思うが、何日間か日本を離れると、やはり自分の生まれ育った国を恋しくなってしまう。その傾向が特に強いのが食事だ。家に帰り、母親に旅の想い出を一通り話した後、母親に「お昼、何食べたい?」と聞かれたおれは、迷わず「おにぎりとあったかい日本茶!」と答えた。それはとても美味しく、今まで口にしてこなかったような日本の味がした。


                                 

                                        -おわりー





ー10日目ー (Vienna)


この旅、最後の日。何かが始まる時に必ず喜びがあるよう、終わる時には寂しさが押し寄せる。この日、とても寒かったけれど、雪が降っていなかったことは、せめてもの救いであった。本日の予定は、午前中が、前の日行けなかった名所めぐり、そして午後の予定は特別決めていない。あえて言えば、お土産選びも兼ねて、市内をぶらぶら歩くということになるだろうか。


おれたちはまず、ハプスブルク家の王宮の一つであるアマリア宮へ。ここは皇帝ヨーゼフ1世が若くして亡くなり、未亡人となったアマリア妃が長く住んだことから、この名が付いた。また、美貌の皇妃エリーザベトが住んでいたことでも有名であり、宮廷には彼女の様々な愛用品が置かれている。彼女は当時、ヨーロッパ一美しい皇妃といわれ、その中でスタイルの維持は大変な苦労があったようだ。化粧室には運動器具やダイエット器具か多く展示されていて、身長173センチ、ウェスト52センチのプロポーションを保つことは、多くの努力を必要としたに違いないと、おれは思った。


おれたちは、その後路面電車に乗り、ウィーンの町を一周した。この路面電車は、山手線のようになっていて、一度乗っても、ずっと乗り続ければ、また元の所の戻ってくる。時間も1周30分くらいなので、軽い気持ちで乗ることができた。電車で見る風景と歩いてみる風景は、少し違って見えた。この路面電車のほとんどの駅の近くには、各名所があり、おれたちはただ座っているだけで、電車が停まる度に新しい発見と出会うことができた。2周目は、1周目でチェックした面白そうなポイントで降りてみることにした。


おれたちは子供たちがたくさんいるスケート場にいた。ウィンタースポーツの国だけに、どの子供達も、実に上手く滑っている。おれは昔、幼稚園の頃、スケートを習っていて、氷の上を滑ることにそれほど抵抗はなかったので、子供達と一緒に滑ってみたかったのだが、入場料とシューズ代が思ったより高く、久しぶりで海外で怪我でもしたら大変だと重い、今回は断念した。それでも、小さい子が嬉しそうに滑っているのを見てるだけでも楽しかったし、これまで有名な名所などばかりを巡ってきたため、市民の生活が垣間見えたこの時間は、おれにとって、目が安らぐ貴重な時間となった。


特に予定を決めていなかったおれたちは、昨日に続き、カフェに行くことにした。ウィーンの人々にとってカフェというのは、単にコーヒーを飲むためだけにある場所ではない。友人と待ち合わせをしたり、新聞や雑誌に目を通したり、手紙を書いたりして過ごす場所なのだ。一杯のコーヒーで長時間いても、決して嫌がられることはない。ウィーンの人々にとって、カフェは生活の一部なのだ。それを一言で言えば、’文化’なんだと思う。おれは、カフェが文化となっていることを本当に羨ましく思った。日本で、もしくはこのウィーンで、カフェに行き、嬉しく思ったり、気分が高まるのは、まだ日本では文化として根付いていないということなんだと思う。くつろぐ、気を休めるということはとても重要なことで、それはあらゆる面にプラスの作用がある。労働時間の長い日本人が苦手な、’時間の使い方’だ。時には自分自身の時計のスピードを緩めて、ゆったりとした時間の流れに身を置くことも、一日の中で絶対に必要なことだと思う。そしてそれが最も適している場所がカフェなのだ。そういう場所を文化として持っている国が、時間の使い方が上手な国。おれは、カフェが日本でも、文化として根付いてほしいと、強く思った。


カフェでは誰も急いでいない。急かされるものが何もない。みんな自分自身の時間を本当に楽しんでいるように見えた。おれは、その空間にあるすべてのモノに憧れを抱いた。自分の将来を考える上で、霞んで見えなかったものが、どんどん浮き彫りになっていく感覚。おれが、学生生活最後のこの旅で、見つけたもの、見つけたかったものは、きっとそういうことなんだと思う。2回のヨーロッパ旅行は、おれに何らかのヒントを与えてくれた。将来へ進む上で、とても重要なヒントを。おれは、それを頼りにこれから進んでいくことだろう。今回得たものは、ただの想い出にするのではなく、社会人として生きる自分の強いモチベーションに変えていかなければ意味がない。もっと、自分の理想を具体的にしたい。自分の考えている世界を、自分でももっと、はっきりと見たいと思う。その理想を追うことは、おれの中で働くことに対するパワーになるだろう。また、この思いは、辛くなった時、苦しくなった時、吐き出す言葉のほとんどがネガティブになった時、どこからともなくおれのところにやってきて、そっと和らげてくれるに違いない。


カフェでおれは、オーストリアで最も有名なケーキ、ザッハー・トルテを食べた。思ったよりも甘かったが、それがコーヒーをより美味しくさせていた。口の中で、抵抗するものが何もない。邪魔するものが何もなく、口の中を通り抜け、気持ちよく体内に入っていく。おいしいと思った。そして、今自分がいる空間。あらゆるものが自分に微笑みかけ、この旅を祝福してくれているような気がした。おれたちは、時間を忘れ、この旅を振り返った。どれだけの間、その場所にいたことだろう。初日から様々なことがあり、語るべき想い出は、多くある。その一つ一つを氷を溶かすようにゆっくりとおれたちは話した。自分たちがそうしたかったのか、カフェという空間がそうさせているのか、どちらにせよ、おれたちは長い間、話し続けた。言いようのない旅の充実感、経験したものだけが分かる想い。本当に素晴らしい時間であった。


おれたちは、荷物の整理などもあって、早めに宿に戻ることにした。最後の夜は、バッグを整理することだって、何かしら特別な想いになる。自分の手に取る一つ一つが、想い出を主張してくる。10分で終わるような作業であるはずなのに、時計の針はどんどん先に進んでいく。次第に忙しくなっていく心を、おれは止めることができない。それでもウィーンの夜空は、おれを無視するかのように静寂が広がっている。明日日本へ。おれは、そのことが上手く理解できぬまま、眠りについた。





ー9日目ー (Salzburg-Vienna)


連日の冷たい雪、しかし、今はそれが当たり前に感じる。この朝のおれは、前の日の夜のワインのおかげで早く眠れたため、幾分気持ちの良い目覚めとあった。この日も移動日、電車で2時間50分、旅のファイナルの地、ウィーンへ。ザルツブルグを去ることは、少し寂しい気がした。あの素晴らしい街並みを、おれは次にいつ見ることができるだろうか。いや、もしかしたら、もう二度と見ることができないのかもしれない。列車がどんどんザルツブルグから離れていく。おれの気持ちは、窓から見える風景がどれだけ変化しても、しばらくの間、あの川沿いの美しさから離れずにいた。


ウィーンに到着。駅から出て、おれたちがまず出会ったものは、冷たい雪に加え、なんと強風。この旅の中で最も難しい天候であった。ウィーンと聞き、最初に連想するものは、やはり音楽。モーツァルト、ベートーベンをはじめ、ブラームスやシューベルトにヨハン・シュトラウス。小学校の音楽の教科書に出てくる偉大な音楽家たちのほとんどが、全盛期はこのウィーンで活躍した。ザルツブルグも’音楽の都’であるが、このウィーンは’世界一の音楽の都’である。


おれたちはまず、悪天候の中、この旅最後の宿探しをした。しかし、今回もまたザルツブルグ同様、難しいものではなかった。ミュンヘン、ザルツブルグで泊まった宿には、ヨーロッパ中にいわゆるチェーン店があり、このウィーンにもそれがあったからだ。しかし、宿の名前は同じでも、中身は全く異なっていて、幸運なことにこのウィーンの宿は、ミュンヘンやザルツブルグよりもきれいで設備が行き届いていた。


荷物を置き、おれたちは市内観光へ。まず向かった先は、ウィーンに来たら、誰もが必ず訪れるといわれているシェーンブルン宮殿へ。この宮殿は、ブルボン家のベルサイユ宮殿を意識したものと言われ、ハプスブルク家の権力を誇示するものとして、ベルサイユをはるかにしのぐ大規模な計画で建てられた。16人の子供を生んだハプスブルク家の女帝・マリア・テレジア。その末娘のマリー・アントワネットは、15歳でフランスのルイ16世と結婚するまで、夏の宮殿としてここで育った。また、モーツァルトが6歳の時、この宮殿でマリア・テレジアの前で演奏した時、同席した7歳のマリー・アントワネットに求婚したというエピソードもある。おれたちは、この宮殿の見学ツアーに参加したのだけれど、世界史で出てくる話もたくさんあり、本当に興味深く、有意義な時間を過ごすことができた。ちなみに、宮殿の黄色は、マリア・テレジアが好んだ色と言われている。


その後、おれたちは、「ウィーンの象徴」あるいは「ウィーンの魂」といわれるシュテファン寺院へ。この寺院は、ウィーンの街のほぼ中心にある。寺院の横の塔は北塔と南塔があり、南塔のほうが高く、137メートルの高さを持っている。これは世界の寺院で3番目に高いらしい。おれたちは、エレベーターのある北塔に昇った。(南塔は、階段しかなかった)。そこからは、下からは見えなかった寺院の屋根のデザインや、ウィーンの街並みがよく見えた。ウィーンという街はやはり、芸術的な街だ。。モダンな建物はないが、すべての建物が歴史的建造物に見え、一つの大きな博物館にやってきた気持ちになる。ここはどういうところなんだろうと、興味がわくものの中には、実はなんでもない普通の建物もあったりする。こういう街で暮らしているのだから、芸術家が多く生まれるのであろう。この街には、そこら中にアートの匂いが、漂っている。毎日、当たり前のように、芸術に出会えるウィーンの人々が、ただただ羨ましかった。


寺院を出たおれたちは、ウィーンのメインストリート・ケルントナー通りへ。この通りには、音楽の都を証明するように、様々なストリートミュージシャンが音を奏でていた。彼らは、歌は歌わず、楽器を演奏するのみ。バイオリンやチェンバロ、アコーディオンの美しい音色が街を彩る。中には、ガラスのコップを使って、美しい音を出すミュージシャンもいた。おれたちが歩いていると、一人の老人が近づいてきて、「セイジ・オザワ」とおれたちに語りかけてきた。これは、イタリアに行けば、イタリア人が日本人を見ると「ナカータ」と言う類のものであろう。それが、ここウィーンでは、日本が誇る世界的な指揮者なのだ。老人は名前を言っただけで、すぐにどこかへ去ってしまったが、おれはこのウィーンでも有名になっている日本人がいることに、悪い気分ではなかった。


少し休憩を入れようということで、おれたちは通り沿いの一つのカフェに入った。カフェで過ごす、くつろぎのひととき。おれは、ウィーンに来たら、ぜひカフェに行きたいと思っていた。音楽にそれほどなじみのないおれにとっては、カフェに行くことが、ウィーンの一番の楽しみであったのだ。日本でもカフェに行くことが大好きであった。時間がゆっくり流れているような雰囲気、コーヒーとケーキの絶妙のコンビネーション、個性を感じる様々なインテリア。日本でも、買い物に行った時は、必ずといっていいほどカフェに立ち寄った。そこで友人達と話したりすることが大好きであった。カフェは決して高圧的にモノを言わず、静かにささやくようにおれを迎えてくれる。おれは、どんな言葉を返していいものか迷うほど、嬉しい気持ちになる。カフェには、おれの理想がすべて、詰まっている。もう何もかもすべて。本当に好きなものばかりに囲まれているような、そんな感覚。大好きな友人、大好きな話、大好きなコーヒーと甘いもの、大好きなインテリア。人は、そんなものに囲まれると、幸せな気持ちになる。それがおれにとっては、カフェなのだ。ゆっくり流れているはずの時間が、気が付いたときには思っていたよりずっと流れているのは、きっとこのせいだ。


ウィーンのカフェに入ったときには、理想の空気だと思った。すべての人が、不自由なものを抱えていない。誰もが、自分の家にいるように、自分の時間を本当に自由に、または自然に、その時間を過ごしているように見えた。薄暗い店内、だからこそ生きるインテリアの数々、コーヒーにカップに、ケーキに皿に、細部までのこだわり。おれは、こういうのに出会えるのをずっと待っていた。ウィーンの伝統的なカフェは、おれにとっては明らかに、スターバックスなどとは違う。それは、一言で言えば、空気だ。


特別な気持ちになった。今まで感じたことのないような、浮力感。それが、喜びだと気付くまでしばらく時間がかかった。おれにとって、ある種の幸せは、高級車に乗ることでも、広い家に住むことでもなく、大好きなカフェに行くことなのかもしれない。


至福の時間を終え、おれたちは、まだ見ていないストリートなどを歩いた後、旅の中では、少し高めのレストランに入り夕食をとった後、ホテルに戻った。夜、ホテルのベッドの上、おれは財布を見ると若干ではあるが、余裕があることに気付いた。ガイドブックを見ながら、最終日の自分の行動を想像してみる。何に使えば、良い想い出になるのだろうと。でも答えは、もうすでに決まっていた。本をしまい、灯りを消して、目を閉じる。夢の世界に行き着いたおれは、カフェで甘いケーキを食べながら、最高に嬉しそうに笑っていた。



ー8日目ー (Munchen-Salzburg)


生まれて初めての体験ー電車で国境を越える。どんなものか想像もつかなかった。ミュンヘンから、オーストリアのザルツブルグまでは電車で1時間半と、この旅での乗車時間の中でもかなり短かった。おれたちは、国境を越えるという事で、それなりの気持ちの高ぶりはあったけれども、期待は見事に裏切られることとなった。越える瞬間に特別アナウンスもなく、風景の変化もない。どこからオーストリアなのだろうと、注意深く外を見ていたのだけれど、流れていく景色の中で特別変わったものは見えないまま、ただ時間だけが過ぎる。そんな中、アナウンスが流れた。いよいよかなと、思ったのだが、流れてきたものは、もうすぐザルツブルグに到着です、というアナウンスであった。


駅に着くと、おれたちはこの旅で恒例となった宿探しを開始した。この日の天気も、昨日同様、冷たい雪。けれども、こういう天気が続くと人間というのは慣れるもので、おれと友人の会話の中でも、「寒い」と言う言葉が出る回数が減っていった。今回の宿探しは、これまでと比べてとても簡単なことであった。なぜなら、ミュンヘンで泊まった宿が、ヨーロッパでいくつかある宿のようで、ザルツブルグにも同じ宿があるらしく、おれたちは地図を見て、そこに行くだけでよかったのだ。同じ宿でも、今回の宿は、ミュンヘンに比べて格段に良かった。トイレ、シャワーが部屋にあり、ベッドもきれい。おれは、そんな小さな幸運が、とても嬉しかった。


荷物を置き、さっそく市内観光。ザルツブルグはモーツァルトを生んだ音楽の都として有名で、世界でも有数の音楽フェスティバルが開かれたり、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台となるなど、音楽ファンにとっては、憧れの街である。おれは、街の美しさに感動した。これまで、アメリカやイタリアの街をいくつか訪れたけれども、これほどまできれいな街に出会ったことがあっただろうか、そんなふうに思わせてくれるほど、その街並みは美しいものであった。


おれたちはまず、モーツァルトに挨拶をするため、ザルツブルグの名所となっている生家と住居へ。見学では、日本語のガイドホンを貸してくれ、より詳しくモーツァルトの生い立ちを知ることができる。各部屋では、時代物のオルガン、チェンバロ、ピアノなど多くの楽器が展示され、モーツァルトの音楽を聴きながら、見学することができるのも嬉しいことであった。モーツァルトの音楽は、曲名が分からないが聞いたことはあるというものが多く、またそれは、ザルツブルグの街の美しさと絶妙にマッチしていた。


その後は、ザルツブルグの街をただひたすら歩いた。街の中心にはザルツァッハ川という川が流れており、その川沿いは言葉では言い表せぬほど美しいものがある。ただ純粋に、きれいだと思った。この川沿いには、ザルツブルグのシンボル、ホーエンザルツブルグ城塞やいくつかの劇場や博物館が立ち並び、その建物がそのまま川面にも映えていて、おれはそれに大きな感動を覚えた。日本にこのようなものは、きっとないように思う。フィレンツェもとてもきれいであったが、このザルツブルグも川沿いが美しい街として、心に刻まれることとなった。


財布を見ると、少し余裕があることに気付いたおれたちは、値段が少し高めのツアーに参加してみることにした。ザルツブルグには定期観光バスツアーがいくつかあり、市内観光ツアーや映画「サウンド・オブ・ミュージック」のロケ地を巡るツアーなどがあった。おれたちが選んだものは、ベルヒテスガーデンの岩塩坑見学ツアー。ザルツブルグと言う地名は、「塩の城」という意味で、この街は元々、岩塩の取引で栄えてきた街である。おれたちが参加したツアーは、まずバスで1時間ほどの街の郊外へ行き、岩塩坑へ着くと、作業着に着替え、暗くて狭い坑道を丸太のトロッコ列車にまたがって、どんどん下に下りていき、そして、かつてこの土地の人がどのように塩を採掘していたかを知ることができる場所に着く。そして、その採掘の流れを追っていくのが、このツアーである。中は鍾乳洞にとても良く似ていて、スリル満点かつ神秘的な貴重な体験であった。サウンド・オブ・ミュージックに比べれば、マニアックなツアーになるかもしれないが、おれたちは、ここでしか味わえない貴重な体験に大きな満足感を得たのだった。


宿に戻る頃には、もう陽も暮れ夜になろうとしていた。おれたちは、遠回りにはなるが、昼に歩いたザルツァッハ川の川沿いをもう一度歩いてから、宿に戻ることにした。川沿いは、昼とは違う顔を見せていた。建物から放たれる光がそのまま川面に浮かび、そのゆらめきと美しさに、おれは昼とは違った感動を覚えた。この景色は、またいつかここに来て、もう一度みたい。その時、この美しさが、変わらずにあることを願いながら、おれはこの地を後にした。


おれたちは、宿に戻ったのが遅かったので、夕食は宿の中にあるバーのピザで済ました。おれはこの時、間違えてかなりアルコール度の高いワインを飲んでしまった。この夜のおれの記憶は、ここで止まっている。ただ、強烈な頭痛と吐き気があったことは、忘れていないけれど。