誕生日。自分にとっては、すごく意味のある日に見えても、他の誰かにとっては、何てことのない普通の日に見えてるのだから、おもしろいと思う。今年の誕生日は、自分は今日、誕生日なんだと自覚できる時間が本当に少なく、仕事に忙しい一日となった。それでも、おれは嫌な気分ではなかったし、むしろ、そういうのを望んでいたのかもしれない。大学時代は、4年間すべてアルバイトで一日を終わらせた。「おめでとう」と面と向かって言われるのは、何だか照れくさかった。それでも、一年の中で最も携帯電話が忙しくなる日。おれは、性格上、喜びをどこに隠そうか考えてしまう。何でもない日のように、平然を装う。随分と前からそういう態度を取り続けたもんだから、そっけない「ありがとう」が上手くなってしまった。


ろうそくの数が一本増える。炎のゆらめきが、何カラットか輝きを増す。何かが少し大きくなった気がする。けれど、おれは何を少しでも大きくしたのだろう。仕事場でも家でも、それを確認できるものなんてない。それは、たとえば時間のようなものなのだろうか。当たり前のように続いていく時間を少し止めてみれば、何かが確認できるものなのだろうか。毎年のように開かれる、頭の中の小さな会議は、様々な意見が飛び交い、何らかの答えに近づいているように見えるが、次の日になれば、前日の激しい討論が嘘のように、次の議題へと変わってしまっている。


「オギャー」と生まれて、この世との付き合いが始まり、はや25年。なんだかすごく長く生きてる気さえする。振り返れば、自分の意思が働いてはいても、もっと大きな力に動かされているを感じることのほうが多い。けれども、なんとなく、歳を一つ重ねていくのは嫌で、何か大きな力に抵抗するようなことがしたくて、うずうずしている。誕生日に「ありがとう」を言えること。それは、何でか分からないけど、誰かと一緒に大きな力に抵抗しているような気持ちになり、すごく心地よい。自分の中で、何かが満たされていく。


高校2年のときの誕生日は、アメリカでホームスティをしていた時、たまたま訪れた。彼らは、自分の家族の誰かが誕生日のように祝ってくれ、素敵なプレゼントも用意してくれたりした。そのプレゼントはいかにも、アメリカらしいのだが、それは、自分が主役を務めるショートムービーを撮ってくれ、一本のビデオテープに編集してプレゼントしてくれたこと。本当に素晴らしいプレゼントであったと思っている。これまでの心温まるプレゼントの中でも、ひときわ異彩を放つものであり、思い出深い。滞在中、日本にいる家族・友人と話したりできないことや、スティ先の家族と良いコミュニケーションがとれず、もどかしさを覚え、一人の部屋で寂しい夜を過ごした日もあったが、そういうのを何もかも忘れさせてくれるような、そんなプレゼントであった。他にも、手作りのブレスレットやTシャツ、どれを食べようか迷ってしまうくらいテーブルいっぱいに広げられた料理、そしてケーキ。おれの誕生日パーティーは、家の庭でやったのだけれど、最初は家族だけだったのに、次第に近所の人たちも集まりだし、最後のケーキの頃は、ちょっとした街のイベントのようになっていた。30人以上はいたと思う。会ったこともない知らない人から、おめでとうを言われたりしたのは、この歳の誕生日だけだ。ケーキがテーブルに運ばれ、みんなが自分のためにバースディソングを歌ってくれる、その瞬間、一人でアメリカに来た決断は間違いではなかったと確信し、おれは、何て幸せ者なんだろうと思った。辛いことが少なくなかった分、喜びが膨れ上がり、恥ずかしながら涙を溜めた目で、一人ひとりに感謝した。このスティのことは、いつか機会があれば、一つ一つの想い出に時間をかけて、書ければいいと思っている。


誕生日。想い出に残っているもの、仕事だけで終わってしまったもの、普通の日であったもの。けれど、おれは誕生日に優劣などつけたくはない。自分にとっては、変わらずに意味のある日であるし、これからもそうなんだと思う。24歳から25歳の一年は、ただ一つ、友人との別れ以外は、充実した一年であった。良いこともそうでないことも、すべてを糧にして生きていかなければいけない、いま強くそう感じる。来年の誕生日、振り返る一年が意味のある一年であったと思うためにも。



~ 「25歳。」決意新たに 数多に眠る宝箱を捜す旅の彼方に 

光射したその先に 静かな喜び 我が声高らかに 

そんな自分見つけるために ここに記した言葉に祈りを込めて  ~

ただ漠然と、誰とというのではなく、誰かと一緒にご飯を食べたり、楽しい時間を過ごしたり、笑いあったり、そういうことは人間にとってとても重要なことで、生きてくために少しも怠ってはいけないことだと思う。人間は本当は水だけでは生きてくことなんてできやしない。以前にも書いたが、「笑う」ということは健康維持にとても良いこと。社会人になると、笑うことよりも笑えないことと出会う機会のほうが断然多い。だからこそ、楽しい時間、笑う時間が重要になってくる。人にもよるが、仕事の嫌な部分をゆうじんなどに話して、ストレス発散という人もいるだろう。それは別にいいし、その人のストレス解消のスタイルだから全然いいと思う。けれど、おれにとっては、そういう話をすることよりも、仕事に関係ない話で、笑ったりすることのほうがストレス解消になる。これはスタイルの違いだから、どちらが良いというのはない。おれは、仕事の愚痴をこぼしたりしても、自分自身は、何も救われないと考えている。昔は違ったが、いまはもう、そういうのをやめたんだ。もちろん、誰かがおれに、仕事の愚痴を言うことで少しでも救われるのなら、おれはいくらでも聞くだろう。


日々、生きてく中では、様々なことがある。いつも笑っていられたなら最高なんだけど、おれは誰かと、時には自分自身と激しく言い争うことだってあるし、ありのままのおれを受け入れていくこともある。それもまた、おれが何かを乗り越えていく一つの時期なのだ。そこで少しばかり身動きしても、せいぜいおれがぐるぐる回転するくらいのことであろう。そんな中、笑いはおれから不快感を取り除いてくれる。おれの内部の隅々まで風を送ってくれる。おれの扉や窓を開け、おれの家具の埃を払い、おれのカーテンを揺るがせてくれる。おれの意識は笑いによって、とても身軽になる。


爆笑できるのは優れた魂の持ち主だと、おれは思う。昔からそう思ってたし、いまでもそう思っている。笑いを避け、その開始を拒否する人たちをおれは信用できない。彼らは、自身の樹木を揺らされているのを恐れているのだ。実った果物や、美しい鳴き声を聞かせてくれる鳥達が、揺らされることによって、枝から落ちたり、どこかへ飛び去ってしまわないかということに恐れているのを、誰かに気付かれはしないかとびくびくしているのだ。本当は笑ったりしたことで、そんなこと絶対にないのに。おれは、もしかしたら、自分と同じ言葉遣いや同じ笑い方をする人たちとの付き合いに’限定’しているのかもしれない。もし、そのことで自分の可能性を狭くしているのなら、おれは少しばかり頭を柔らかくしていく必要があるだろう。


最近、同業者または友人達との会話の中で、誰かが仕事をやめたということをよく聞く。本当に残念な知らせもあった。辛くてやめたという人もいるだろう。おれだって、何度も何度もそう思ったことはあるし、そういう人はたくさんいるに違いない。おれは自分に言い聞かせていることがある。それは、辛くて辞めたなら、きっとその次の仕事でも辛いことを理由に辞めていく、多分その次も。それがいつからか自分のリズムになり、路頭に迷う。どこかで、限界まで踏ん張らなければいけないということ。これは、誰かに向かって壇上からモノを言っているのではなく、一人の生活者として、自分自身に限定して言っていることだ。事実、この考えがあったからこそ、ギリギリのところでも何とか、おれは同じ道を歩いてきている。そして、もう一つ、救ってくれたのは笑いだ。笑いは痛みや苦しみを軽減してくれる力を持っている。これは、自分自身の痛みや苦しみに限定したもので、他人のそれらに笑いを交えることはしない。笑いは、時には相手をひどく傷つけることもあるから、使い方に気をつけなければならないのだ。おれは、ある種のアレルギーを持っていて、それは医者によれば一生治らないものらしい。命に関わるものではないが、それを聞いたときにはさすがに参った。落ち込んだし、自分を何度も深く追い詰めた。けれど、それを誰かに相談する時に、笑いを交えてみたりすると、自分の痛みや苦しみがいくらか軽減されていることに気付いた。「病は気から」というが、それは本当なんだと思う。アレルギー自体の自分に及ぼす影響は以前と変わっていないはずだし、もしかしたら以前より大きくなっているのかもしれないが、以前ほど自分を追い詰めることがなくなったのは、考え方ひとつである。笑いを交えて話したりすることは、この場合は、おれにとっては薬を飲んだりすることと同じような効果があるのだ。


社会人になり、2年半。泥まみれになっている自分の無教養や無秩序の度合いに気付くことは多々あり、その瞬間はやはり不快だ。その度に、自分に足りない部分を考え改善しても、社会はまた新しい泥をはねかけ、おれをぬかるみへと放り込んでいく。このサイクルはきっと一生続くのだ。それは、どんな人にも突きつけられるサイクルで試練である。けれど、自分の考えに笑いの重要性を加えることができたなら、随分と違った結果が待っていることだろう。泥をはねかけられても、それを泥だと思わないかもしれないし、ぬかるみがあっても、それをぬかるみだと気付かないかもしれない。おれは、いまはそういうふうに物事と対峙していきたいと考えている。




おれは学生時代、5つのアルバイトを経験した。高校の時の八百屋に始まり、引越し屋、ホテルのウェイター、塾講師、そしてパン屋。この5つに共通点など見られないかもしれないが、おれにはアルバイトを選ぶときに何よりも大事にしていることがあった。それはー。


「それを職業としている人たちと一緒に仕事をできるかどうか。」


これはつまり、社員の人と一緒に働くという意味である。コンビニやスーパー、居酒屋などでは、どうしても同じアルバイトの人たちと一緒に働く時間が生まれてしまう。それも、誰かにとっては貴重な時間になっていることも理解はできたけれど、おれはアルバイトを重要な社会勉強であると考えていて、社員の人たちと同じことをやることによって刺激を受けたいと思っていた。そういうものは、学校では得られない経験である。だから、働く場所や時給等はそれほど重要視していなかったし、結果、年上の人たちと話したりすることによって、自分になかった新しい考えを持つことができたりと、その時々の自分の判断は間違いではなかったと、いまでも自信を持って言うことができる。


いま、おれの職場は、アルバイトを別にして同じ世代の人はほとんどいない。会社自体が同じ世代の人が少ない。ほとんどが年上だ。おれは毎日、自分の親の世代、もしくはその少し下くらいの人たちと一緒に仕事をしている。それが決して嫌と言うわけではない。そのことが、自分を成長させてくれている部分がきっとある。思えばおれは、高校の時の八百屋から、ずっとこんな感じだった。ただこれは、おれがずっと望んでいたことで、不平不満を言っているのではない。自分が出会ったそういう世代の人たちには感謝の気持ちでいっぱいだ。


ただ、いまは同じ世代の人と仕事がしてみたい。同じ志を持ち、気軽に話しかけるのをためらわせない同世代の人と仕事がしたい。仕事が終わった後、一日を振り返りながら、自分達の反省をしつつ、明日も頑張ろうみたいな事を、食事でもとりながら言い合える人が自分の側にいたら、どんなに良いだろう。おれは、これまで、アルバイト時代も含めてこういう経験がほとんどなかった。パン屋になってからも、仕事が上手くいった日、いかなかった日、いつだって仕事終わりの喫煙所はひとりだったし、褒めることも叱ることも自分自身でしなければならなかった。けれど、それは自分でそういうのを望んでしまっていたのだから仕方がないのかもしれない。誰かを責めているわけでもなく、自分を責めているわけでもなく、これは「こうだったらいいな」という小さくて、少し叙情的な希望の話。


ある夜、友人に電話をかけ、「会社の人とご飯食べてる」などと聞いて、少し羨ましく思ったりした。おれの会社は、そういうのがほとんどなく、そういうのを好まない人が集まった会社なのかなと思うときもある。みんな、夜楽しい会話をしたりすることよりも、早く家に帰り、次の日の朝、目覚まし時計が鳴る時間にきちんと起きることの方が、きっと大事なのだ。けれど、もしかしたら、ある種の見方をすれば、おれもそんな一人なのかもしれない。


「みんな元気してるかな。」


そんなことを思う休日前、仕事終わりの帰り道。


おれの家と仕事場をつなぐ並木通り。


夏の風に誘われた木々の葉と葉がこすれあう音や、


小さな虫の小さな鳴き声が暑さを和らげる。


ジョギングをする人、犬の散歩をする人、部活帰りの高校生。


それぞれにそれぞれの時間があることを感じる。


すれ違う人は、おれが何をしてる奴なんだと感じたであろうか。


遠くで花火の音が聴こえる。


夏の夜、人々の瞳を輝かせる大輪。


今夜はそれを耳でしか感じることができない。


学生の頃、時間を合わせることは、それほど難しいことではなかったのに。


みんなどうしてるかな。がんばってるかな。


おれはいま、それぞれにそれぞれの時間があることを感じている。


この嘆きは、時間が解決してくれるというわけにはいかないであろう。


これは苦痛であるが、いまではそれが習慣のようなものになりつつある。


なんとかそれに耐えているのは、諦めや疲労ではなく、


平衡感覚であるとしたなら、それは本当に残念なことだ。





出口のない世界最大最長の紛争=パレスチナ問題


「民族浄化」という悪夢=バルカン半島


戦火の絶えない中央アジア=アフガニスタン


核戦争に最も近い場所=インドVSパキスタン


民族と宗教が入り乱れるアジアのユーゴ=インドネシア


植民地支配の矛盾が噴出する混乱の地=アフリカ諸国



おれたちが普段、ニュースや新聞で知る危機や暴力は、その結果のみで、背景が深く掘り下げられることはない。たとえば、パレスチナ問題一つ取ってみても、「パレスチナ」、「ガザ地区」、「PLO」、「アラファト議長」などの固有名詞は聞いたことがあっても、その背景にどんな歴史を持ち、どんなことが行われてきたかなどを、詳しく説明できるヒトは、専門家でない限り、難しいことなのかもしれない。おれもまた、言葉のみを簡単に知っているだけで、みんなの前で語れるほどの知識はない。けれど、信じられないがこれは、同じ地球上で現実にあることなのである。おれたちに何ができるということではないが、最低限、必要な知識というものはあると思う。


それにしても、パレスチナの問題はいつまで続くのだろう。日本人の感覚で言えば、宗教一つ違うだけで、なぜそこまで、同じ人間同士、争うのかと言うことかもしれない。ユダヤ国家(イスラエル)とアラブ国家(パレスチナ)。ユダヤ教とイスラム教は共にエルサレムを「父祖の地」とし、本来は同じ血が流れているはずなのに。簡単に言えば、兄弟げんかのようなこの争い、いったい誰が止めることができるのだろう。争いや憎しみが、新たなそれらを生み出す悪循環。現在の世界情勢の縮図であるかのような、終わりの見えない問題。どうすれば、互いが理解し合い、認め合い、’好き’になれるのだろうか。


パレスチナ問題に限らず、世界各地には宗教や民族、それに言葉の違いなどによって様々な問題が存在する。経済格差や環境破壊、世界各国が問題解決に向けて一丸とならなくてはいけないのに、矛盾している気がする。そして、この問題を解決していく可能性を持った子供たちが、いつも被害者としてブラウン管に映し出される。いつ飛んでくるか分からぬミサイルに怯え、眠れない夜を過ごす子供たち。おれたちは、何ができなくとも、知らなければいけない。彼らのような悲しい瞳をした子供たちが、自分達と同じ地球にいるってことを。


最近出会った素晴らしい曲。この歌を聴いて、この歌の詩を読み、このようなブログを書こうと思った。その歌詞の中でも特に印象に残っている言葉。


’池の水が鏡みたいに空の蒼の色を真似てる

 公園に住む水鳥がそれに命を与える

 光と影と表と裏 矛盾もなく寄り添っているよ

 私達がこんなふうであれたら’


’悲しい昨日が 涙の向こうで いつか微笑みに変わったら

 人を好きに もっと好きになれるから’


’また争いが 自然の猛威が 安らげる場所を奪って

 眠れずにいるあなたに 言葉などただ虚しく

 沈んだ希望が 崩れた夢が いつの日か過去に変わったら

 今を好きに もっと好きになれるから’


   to U / Bank Band


この歌は正論を歌っている。何一つ間違っていない世界が進むべき方向。難しいことだけれども、現在の世界情勢の問題を解決していこうとする歌。おれには、そんなふうに聴こえる。

おれの仕事は一日中、立ちっぱなし。座る時間などほんのわずか。デスクワークの人も、座り続ける疲労というものがあるだろう。おれは、そういうのを経験したことがないから、何とも言えないが、やはり立ちっぱなしで仕事をし続けるというのは、肉体労働なんだと思う。仕事中は、筋肉の疲労は、ほとんど感じないが、家に帰ってソファーに座った時、それを心地よく感じるのは、筋肉のどこかが悲鳴を上げていた証拠なのかもしれない。足だけではない。おれは、2年ほど前、腕の筋肉が悲鳴を上げ、疲労骨折寸前までいったことがある。夜、ご飯を食べる時、割り箸が重かった。腕も足も棒のようになっていた。ベットの上で横たわる時間だけが、自分の身体と仲良くできる唯一の時間であった。いま、振り返れば、それは自分自身が弱かったと感じているし、そういう経験をしてヒトは強くなっていくという考えもあるいは論理的なのかもしれないが、それでも、それが嫌な経験であったことは、忘れないと思う。


いまは、それなりに自分自身と良いコミュニケーションを築けているから、家に帰っても、筋肉が悲鳴を上げて身体が不自由になることはほとんどない。それは、おれが自分自身を労る術を覚え始めたとも言えるのかも知れないし、どうすれば、自分にとって良いのか、その方法を理解し始めた、そういうことだとも思う。ひとつは、人と話をすること。笑い話をしたり、昔を懐かしんで目を細めたり、これから起こる楽しいことに心を弾ませたり、そういう話をすることがいまの自分にとって、とても重要なストレス解消法であり、エネルギー補充であるとも言える。まぁ、友人なんかと話をすることは、もちろんそれだけが目的ではないけれども。さらに、いまの自分に大きな影響を与えてくれているのは、自分の部屋。仕事がある日などは、基本的には一人で部屋で過ごすことが多いが、その時間をどう過ごすかはとても重要なことだと思っている。前みたいに身体が不自由になることはないが、それでも一日中立ちっぱなしであるわけだから、身体はくたびれている。そのおれにいま、最高の癒しを与えてくれているのが間接照明と観葉植物。どちらも、一人暮らしを始める際、部屋のコンセプトの中で、なくてはならぬものであったが、その重要性は以前よりも増してきている。それらがある空間にいると自然と気持ちが安らぐし、身体のあらゆる機能がリラックスした状態になっていることを、手に取るように分かる。


間接照明は、普通の電気などの光と違って、目に優しい。決して高圧的にではなく、そっと撫でるようにゆっくりとした時間を、おれに与えてくれる。照明には大きく分けて二種類ある。赤っぽい白熱灯と、青白い蛍光灯。白熱灯は安らぎを、蛍光灯は活動的な刺激を与える。仕事場はもちろん、蛍光灯であるが、別に嫌と言うわけではないが、そういう中に一日中いると、目が疲れる。おれは、最近、家に帰るとすぐに部屋の四隅に置いてある間接照明の光を、部屋の中に入れることにしている。蛍光灯のボタンのスイッチはOFFのまま。そうすると、照明の光が重なり合って、部屋が安らぎの空間に変わり始め、自分と部屋との間に対立するものが何もなくなる。その空間で、ソファーに座り音楽を聴き、ラベンダーのアロマなんかつけちゃえば、もう言うことはない。いま、その時間がすごく好き。目、鼻、耳、身体のあらゆる機能が安らぐ。それはまた、心地よい眠りへと誘い始め、結果、気持ちよく次の日を迎えることができる。


観葉植物もまた、安らぎを与えてくれる。部屋の中でそれほど大きな存在感は出していないけれども、あるとないとでは、部屋の中が全く違ったものに見える。見つめ続けることはないが、ちらっと目をやったときに感じる小さな幸せ。観葉植物にはそういう力がある。おれの部屋にある観葉植物は、「感謝の木」という名前で、毎日、声に出して「ありがとう」と、葉に向けて言うことで、成長する。これを買った時、店員にその説明をされて吹き出してしまいそうになったけれど、迷うことなくおれはこれを購入した。こういう嘘みたいな夢のある話に、癒される時が来るかもしれないと思ったからだ。おれは、これの姿、形、意味も含めてすべて好き。これを見ただけで、その日にあった嫌なこと、くたびれていることが、二つも三つも忘れることができる。


いま、このブログを書いてる今、網戸の向こうから虫の鳴き声が聞こえている。自分の大好きな空間からその音を聴くと、なんだかとても心地よい。明日も仕事、大変そうだなと思いつつも、その鳴き声に身を寄せ、笑みを浮かべている自分がいる。そんなこと、虫たちには知る由もないことだろうが、それでも、おれにとっては、その音色もまた、意味のある安らぎへと変わっている。

開いたドアの向こうに、いつもと違うおれの部屋。


最高潮の驚きの空間、ただ純粋に歓びに浸りたい。


誰かを想う優しい微笑み、それこそが愛のプレゼント。


疲れた心、悩ますモノ、見事なまでに洗い流してくれた。


月日流れ、この日が過去になっても、鮮明に思い出すことができる。


現実と非現実が曖昧になっているこの空間で、おれが得たもの、


それは確かにこの場所にいるという、生きているという実感。


友人達が歌う美しい調べに耳を傾け、水のよう透きとおる心。


一年に一度、自分のためだけの、はね踊る炎のゆらめきに、


感激が邪魔をして、言葉が出ない。


ただ、最後には笑ったんだ。みんなで笑ったんだ。


何で笑っているのか分からなくなるまで、みんなで笑いあったんだ。


視線の先に、この尊い瞬間、その一点に目を細めながら。







引っ越してから3ヶ月が経った。徐々にではあるが、街の色にも慣れてきた気がする。相変わらず、飛行機のつんざくような大きな音には、耳を塞いでしまいたくなるけど、それでも見るもの聴くものに自分を合わせられるようになってきた。仕事もやりやすくなってきている。そういう環境は、誰かがつくるものでもなく、自分で作り出すものであるから、やりやすいと思えるのは、自分に何らかの良い点があったのかもしれない。


何事においても、重要なものはコミュニケーションだと思う。でも、最近、コミュニケーションには2種類あるって事に気付いた。「自分の内面とのコミュニケーション」と「自分の外側とのコミュニケーション」。外側というのは、人間関係、取引先の方、お客さん、自分を取り巻くすべての人のこと。自分ひとりでできることなど、限られている。自分の気持ちや言いたいことを言葉にし、それを相手に伝えることって人間の当たり前の能力に思いがちだけど、ほとんどの人がその能力を使いこなせていないのではないか。もちろん、それだけがコミュニケーションではないが、おれは最近、仕事場において一言あれば随分楽になるのにと思ってしまう場面に、多く出くわしている気がする。一言あれば、やりやすい仕事がもっとやりやすくなる。それほど難しいことではないはずなのに、コミュニケーションが少し足りないだけで、微妙な空気を生んでしまう。それってすごく、もったいないこと。本当にもったいないことだ。おれは、少しでもそういうことをなくすよう、言葉をかけたりすることによって、自分を知ってもらう、相手のことを知る、ということに努めていこうと思っている。


コミュニケーションの中でもう一つ重要なこと、それが自分の内面とのコミュニケーション。これはつまり、自分とのコミュニケーションのこと。客観的に自分と言う人間を見ることは、すごく重要なことなのかもしれない。おれは去年、身体のあちこちから、「NO!」と叫ぶ声が聞こえていたにもかかわらず、それをおれは聞こえぬふりをして無視をし続けた。結果、ストレスによる過労で入院。その時は気付きもしなかったけど、いま思えば、それはつまり、自分の内面と良いコミュニケーションを気付けていなかった、そういうことだと思う。アクセルを踏む時、ブレーキを踏む時、良いコミュニケーションが気付けていれば、賢明に判断できる。だから、自分との会話、それもまた絶対に疎かにできない重要なコミュニケーションだ。


夏の虫たちが活動をし始めた。窓を開け、目の前に広がる景色を注意深く眺めれば、春の花が咲いていた頃から随分と時間が経ったんだということを思い知らされる。夏の陽射しは強烈に降り注ぎ、おれに何かを訴えている。おれは引っ越してから3ヶ月、どうだったかな。様々な人と、又は自分自身と良いコミュニケーションを気付けていたかな。いま、おれが立っている場所はまだまだ、不確かなものであるけれど、大切なのはそのことに対し、向き合うことだ。現実と向き合うことは簡単なことではない。けれども、この暴力的な暑さの中、部屋から見える木々の葉が風に揺れこすれあう音に、少しでも涼しいと思えたなら、おれはあらゆるものと良い関係を気付けているのかもしれない。

何気なく読んでいた本の中で、とても良い文章に出会えた。


「自分の話す言葉に注意しなさい。普段、あなたが話していることは、あなたの未来をつくる。あなたが人の悪口、否定的なこと、ゴシップ話をすれば、あなたの将来はそういったネガティブなもので満たされる。あなたが、希望、ビジョン、豊かさの話をすれば、あなたの人生は喜びと豊かさに満たされることになるだろう。朝から晩まで、自分が発する言葉を紙に書くといい。それは、人を励ましたり、相手の可能性を広げているだろうか。それとも、人の足を引っ張ったり自分をおとしめたりしているだろうか。成功している人は、ふだん話す言葉に、思いやり、ビジョン、愛、友情、感謝がいっぱい詰まっているものだ。あなたの将来は、現在の君がつくっている。ふだん話す何気ない言葉が、あなたの運命をつくっているということを忘れないように。」


大きく肯ける文章であった。確かにそうだと思う。けれど、それは理想なのかもしれない。そうであることに越したことはないけれど、そんなに上手くはいかない。人間は、嫌なことがあった時に、ポジティブな言葉を話すようにはできていない。心が何時間も悲しみを話し続ける時もあるだろうし、何かを見て感傷的になり、涙を隠さねばならないときもあるだろう。それは、人間の本能だ。それでも、前向きにという意識は、いつだって必要なことである。嫌なことがあって当然、それを考えるよりも楽しいことを考えよう、と思えれば、見える風景は全然違うものになる。意識を持つと持たないのでは、次に起こる結果が全く異なるのではないか。せまて、意識だけでも、気持ちだけでもとよく言うが、実はそれはとても大事なことなのかもしれない。


本を読んでいると、自分の知らない世界がいつの間にか増殖しているような感覚になる。何だか自分だけが取り残されてしまっているような。けれども、それはおれにとってそんなに悪い気分ではない。なぜなら、新しい発見ができたことのほうが嬉しいからだ。おれは、もっと本を読まなければいけない。あらゆる書物から、様々なことを学ばなければいけない。知識や知恵の言葉は、自分の人生に多くの恵みをもたらしてくれるものだと思うから。











’ロールモデル’(role model:模範となる人、お手本)


おれにとって、彼はまさに、そういう存在であった。もし、いまのおれに何らかの褒めてもらう点があるのなら、それは彼の影響が大きいと思う。彼の言葉、生き方、考え方。おれとは、全く次元の違う世界ではあるけれど、それでもおれは、いつだって彼に、憧れの念を抱いていた。


突然のことでビックリした。けれど、いつかこうなるのではないかとも思っていた。残念ではあるけれど、彼が創り出す新しい世界にわくわくもしている。その新しい世界もまた、自分に何らかの影響を与えてくれることは間違いない。そして、もう一つ。彼は、おれの人生に新鮮な刺激を与え続けてくれた。いつも一つのことに集中しきらず、人間は本当にたくさんの可能性を持っているということを。それまで、活字を見ることすら苦手だったおれに言葉の素晴らしさを、様々な分野の人と話すことによって得る自分自身の成長を、海外に行き、違う世界を見ることによって得る視野の広さを。影響を受けたことを挙げれば、きりがない。けれども、一番強く教えられたことは次のことだ。


「自分自身で考えること。」


これが、彼から最も影響を受けたものである。誰かの真似をするのではなく、自分自身で考えること。’自分の言葉’を持つことが、重要であるということ。人間関係の局面であれば、’自分の言葉’で自分はこう思うということをはっきりと相手に伝えるということ。おれは彼に、正しさを求めているのではない。何が正しいかを、彼なら知っているとも思っていない。彼の存在を知って十数年間。共感できない部分も多々あった。けれども、彼はいかなる逆風が吹いても、それに流されることなく、自身の考えを貫いた。共感できない点があったとしても、おれの中でその点を素晴らしいと思うことは変わらなかった。そして、彼の言葉を聞くたび、自分もそうでありたいと心に誓った。「自分だけの個、誰でもない自我」。おれは、これを求めていかなければいけない。


あ~、もう彼をあの場所で見ることができないのか、そう思うと、この国にいるほとんどがそうであるよう、おれもやはり残念だ。信じたくない事柄は最初必ず、悪夢から醒めた直後のような曖昧さを持っている。ソファーに横たわり、ただ天井の一点だけを見つめ、ぼんやりそのことを考えていると、皮膚の内側の辺りがざらざらと乾いていくような気がした。それが寂しさだと気付くまで、おれはしばらくの時間を必要とした。けれども、悲観的になってはいけない。彼は、どんな世界にいようと変わらないであろうし、自分に刺激を与えてくれるのだと思う。おれもまた、どんな環境にいようと、’自分の言葉’を放ち続けなければいけない、努力をしなければいけない。それは、彼の世界が変わっても、何も変わらない。


彼は、これまでの世界に終止符を打った。おれは、これまでの感謝に手のひらが痛くなるまで、拍手をしたいと思う。そして、新しい世界での新たな彼の活躍を願って。