誕生日。自分にとっては、すごく意味のある日に見えても、他の誰かにとっては、何てことのない普通の日に見えてるのだから、おもしろいと思う。今年の誕生日は、自分は今日、誕生日なんだと自覚できる時間が本当に少なく、仕事に忙しい一日となった。それでも、おれは嫌な気分ではなかったし、むしろ、そういうのを望んでいたのかもしれない。大学時代は、4年間すべてアルバイトで一日を終わらせた。「おめでとう」と面と向かって言われるのは、何だか照れくさかった。それでも、一年の中で最も携帯電話が忙しくなる日。おれは、性格上、喜びをどこに隠そうか考えてしまう。何でもない日のように、平然を装う。随分と前からそういう態度を取り続けたもんだから、そっけない「ありがとう」が上手くなってしまった。
ろうそくの数が一本増える。炎のゆらめきが、何カラットか輝きを増す。何かが少し大きくなった気がする。けれど、おれは何を少しでも大きくしたのだろう。仕事場でも家でも、それを確認できるものなんてない。それは、たとえば時間のようなものなのだろうか。当たり前のように続いていく時間を少し止めてみれば、何かが確認できるものなのだろうか。毎年のように開かれる、頭の中の小さな会議は、様々な意見が飛び交い、何らかの答えに近づいているように見えるが、次の日になれば、前日の激しい討論が嘘のように、次の議題へと変わってしまっている。
「オギャー」と生まれて、この世との付き合いが始まり、はや25年。なんだかすごく長く生きてる気さえする。振り返れば、自分の意思が働いてはいても、もっと大きな力に動かされているを感じることのほうが多い。けれども、なんとなく、歳を一つ重ねていくのは嫌で、何か大きな力に抵抗するようなことがしたくて、うずうずしている。誕生日に「ありがとう」を言えること。それは、何でか分からないけど、誰かと一緒に大きな力に抵抗しているような気持ちになり、すごく心地よい。自分の中で、何かが満たされていく。
高校2年のときの誕生日は、アメリカでホームスティをしていた時、たまたま訪れた。彼らは、自分の家族の誰かが誕生日のように祝ってくれ、素敵なプレゼントも用意してくれたりした。そのプレゼントはいかにも、アメリカらしいのだが、それは、自分が主役を務めるショートムービーを撮ってくれ、一本のビデオテープに編集してプレゼントしてくれたこと。本当に素晴らしいプレゼントであったと思っている。これまでの心温まるプレゼントの中でも、ひときわ異彩を放つものであり、思い出深い。滞在中、日本にいる家族・友人と話したりできないことや、スティ先の家族と良いコミュニケーションがとれず、もどかしさを覚え、一人の部屋で寂しい夜を過ごした日もあったが、そういうのを何もかも忘れさせてくれるような、そんなプレゼントであった。他にも、手作りのブレスレットやTシャツ、どれを食べようか迷ってしまうくらいテーブルいっぱいに広げられた料理、そしてケーキ。おれの誕生日パーティーは、家の庭でやったのだけれど、最初は家族だけだったのに、次第に近所の人たちも集まりだし、最後のケーキの頃は、ちょっとした街のイベントのようになっていた。30人以上はいたと思う。会ったこともない知らない人から、おめでとうを言われたりしたのは、この歳の誕生日だけだ。ケーキがテーブルに運ばれ、みんなが自分のためにバースディソングを歌ってくれる、その瞬間、一人でアメリカに来た決断は間違いではなかったと確信し、おれは、何て幸せ者なんだろうと思った。辛いことが少なくなかった分、喜びが膨れ上がり、恥ずかしながら涙を溜めた目で、一人ひとりに感謝した。このスティのことは、いつか機会があれば、一つ一つの想い出に時間をかけて、書ければいいと思っている。
誕生日。想い出に残っているもの、仕事だけで終わってしまったもの、普通の日であったもの。けれど、おれは誕生日に優劣などつけたくはない。自分にとっては、変わらずに意味のある日であるし、これからもそうなんだと思う。24歳から25歳の一年は、ただ一つ、友人との別れ以外は、充実した一年であった。良いこともそうでないことも、すべてを糧にして生きていかなければいけない、いま強くそう感じる。来年の誕生日、振り返る一年が意味のある一年であったと思うためにも。
~ 「25歳。」決意新たに 数多に眠る宝箱を捜す旅の彼方に
光射したその先に 静かな喜び 我が声高らかに
そんな自分見つけるために ここに記した言葉に祈りを込めて ~