よく、「死ぬ間際の人に聞くと『自由に生きなかったことを後悔している』と言う人が多い

 

だから人生は自由に生きるべき」なんていう話をときどき見聞きするけど

 

不自由も我慢して一生懸命に仕事して真面目に生きていたから

 

死の床でも手厚く看病してもらえて、そのような質問をされるような

 

穏やかな最期を迎えられているんでない?という考え方も成り立つ。

 

 

「そんな生き方をしていたら畳の上で死ねないよ」という言い方があるけど

 

自由奔放に行き過ぎて、人生の後悔について話を聞いてくれる人に

 

看取られることがないような最期を迎えた人の意見は

 

世の中に出てこないだけではないかな。

 

 

どう生きたら幸せなのか、とか、決まった公式なんてない、というのが

 

アラカンまで生きてきて感じていることです。

 

 

自由に生きなければならない!にとらわれている不自由な人もいるし

 

私のように「自由になりたい!」と言って、不自由を人のせいにしながら

 

実はその方が安全安心だから、不自由にとどまっている人もいる。(確信犯。笑)

 

 

人間、選ばなかった道のことを、「あっちがよかった」と思うときは

 

必ずあるんじゃないか?。(私はしょっちゅうある。笑)

 

選んだ道で上手くいかないときもあるだろうから、そういうときは

 

「あっちの道に言っておくべきだった」と考えてしまうだけ。

 

上手くいっているときは、「あの選択があったから、今の成功がある!」と語るだけ。

 

その時の気分で、後悔したり、悦に入ったりしたりしているだけのような気がします。

 

 

ということで、どっちの道を選んでもたいていは後悔するのだから(笑)

 

選んだ道が間違っていたのではないかと心配するより

 

自分の選んだ道で幸せになるにはどうしたらいいかだけ考えればいいし

 

どうしても今の道が間違っていると思うなら、いつでも道を変えればいいし。

 

そしてまた、それに後悔することがあるかもしれないけど、その時はその時。

 

 

そして、どうしてもそうやって考えられないのであれば(そういうときもある)

 

その選択の失敗を大いに嘆き悲しんで、おいおい泣いてるうちに

 

「ま、いっか。しょうがないもんね」「あれが当時の自分の精一杯だった」

 

と思って、前向きに考えられるようになってくる…というのは、私の体験ですが

 

そういう後悔の感情を感じ切ったり、道を変える努力をせずに、

 

単に感情を抑え込もうとしていると

 

自分と違う道を選んだ人を意味もなく嫌ったり、粗探しをしてけなす、

 

みたいになってしまうのではないかと思っています。

 

 

後悔したっていいのだ。

 

 

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