自分が失ってきたもの、望んだのに得られなかったもの、考えてみました。
・親からの無条件の愛/関心/承認
・安全安心を感じられる居場所
・望んだ進路/仕事
・望んだ結婚生活
・片思いで終わった恋がいくつか
・フェードアウトした友人関係のいくつか
・子ども時代/青春時代 etc. いくつかの年代の終わり
・祖母/父/母/義両親/ペットたちとのお別れ
・大切に扱われる体験(=いじめられたり見下されたりした)
その他もろもろ、数え上げたらきりがない。
けど、問題は、喪失=何かを失った/得られなかった体験そのものではなくて
得られなかったことでついた傷が癒えていないこと。
失ったもの、得られなかったものばかりだったから、今、空っぽなのかというと
ぜんぜんそんなことはなくて、そこそこ豊かに生きている。
たくさんのものを得てきたからこそ、こうやって幸せに生きている。
得られたときは傷にはならないから、意識しないだけで、たくさんのものを得ている。
Aが得られなかったけど、Bという代用品のほうが結果的によかったりもする。
ただ、結果的に良かったのだとしても、
得られなかったときについた傷がずっと痛むから
身体感覚や思考や感情がそこにとらわれてしまう状態が続いて苦しかった。
Bという代用品なんかじゃいやだ!と、喪失を受け入れられない怒りや執着もわく。
考えてみれば、人間、たくさんたくさん、いろんなものを失いながら
「がっかり」や「悔しい」「悲しい」を味わいながら生きるのは当たり前で
それでも生きていられるのは、傷ついても癒えるから。
例えば、失恋してこの世の終わりみたいに嘆き悲しんだとしても、そこで傷が癒えれば
新しい恋が見つかればそれで人生は幸せに進んでいく。
ちゃんと悲しまないと傷が癒えずに、いつまでも振られた記憶に苦しんだり
新しい恋人にきちんと向き合えなかったり。
ということで、悲しいことがあっても、「いいほうに考える」などして
無理にポジティブな気持ちになろうとするより、
気の済むまで泣くほうが傷が癒えやすいのでしょうね。
悲しいときの涙は、目への刺激(玉ねぎとか)で出る涙とは、成分が違うそうで。
そんなふうに、「悲しみ」を感じた時の特別な身体の反応もあるわけだから、
泣くのを抑えてしまうと、身体にも影響があるのかもしれません。
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