「悲しい」は、「喪失」=大切なものを失くした、大切なものが手に入らなかったとき、
感じる感情かと思います。
喪失を受け入れられる前には「怒り」を感じる。
「こんなのおかしいでしょ!?」と、その原因となった人や出来事や神様?を憎む。
<参考>
『悲嘆12のプロセス』(アルフォンス・デーケンによる)
1.精神的打撃と麻痺状態
2.否認(別れ、喪失を受け入れられない)
3.パニック
4.怒りと不当感(なぜ私が?)
5.敵意とうらみ
6.罪責感(後悔)
7.空想形成ないし幻想
8.孤独感と抑うつ
9.精神的混乱と無関心
10.あきらめ→受容
11.新しい希望(ユーモアと笑いの再発見)
12.立ち直りの段階(新しいアイデンティティの誕生)
でも、怒りに満たされていても、その前には「悲しい」があって、
失ったもの/得られなかったものがあるはず。
過去の記憶の中は、「悲しいこと」がてんこ盛り、
いまだっていろいろうまくいかないこと、失うものがたくさんある(若さとか)。
でも、どうやら私は、その「悲しい」をちゃんと感じることなく
それに関わる人や出来事への恨みつらみ、怒り、復讐心に取りつかれたり
また失ったらどうしようという不安、恐怖に取りつかれたり
二度と同じような悲しいことが起こらないように、
似た状況を回避することに腐心したり、
必ず手に入れるために強くなろうとしたりばかりしてきたようです。
でも、そもそも、私は何を失ったんだろう?
何が欲しかったんだろう?
怒りや不安て、人を駆り立てる力があるから、力も出るし動ける。
でも、「悲しい」をほったらかしにして
回避することや、動くことや、強くなることが目的になってしまってないか?
本当は何が欲しかった?
その「何か」が、自分らしさにつながるんじゃないか?
その「何か」がわからなかったら、明後日な方向でわちゃわちゃ動いてても
いつまでたっても手に入らない、取り戻せない、悲しいが続くだけなんじゃないか?
なんてことを考えました。
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