来週は母の日ですね。
母の命日があったせいか、4月は母のことをよく思い出していました。
特に何の感情もわかずに、「あー、ああいう人だったなー」と思い出すだけになってきた。
「去るもの日々に疎し」なのかな。
母は、ちゃんとおいしいご飯を作ってくれたし、家事をしてくれたし
学校行事にも来てくれたし、いろんなことをしてくれたけど
Emotionally Absent Mother (感情面でそこにいない母親)だったと思います。
「感情的な反応がない(薄い)」のです。
嬉しいことがあったら一緒に喜んでくれるとか、
悪いことをしたら叱ってくれるとか、
いいことをしたら褒めてくれるとか、
そういうことが一切なかったと思います。
母が感情を動かすのは、「自分が面白い/うれしい/苦痛」というときだけ。
4歳か5歳か、それくらいのときに、家族で外出して帰宅した時、
玄関で、疲れてぐずぐず言ってたら、いきなり、父に顔を張り飛ばされて
上がり框からたたきに転げ落ちました。
その時、「子どもになんてことするの!」と
父を叱りながら私に駆け寄ってくれたのは祖母でした。
母は無表情で見てた気がします。
私が父に殴られたことは、母にとっては他人事なので、
感情が動かなかったのかもしれません。
父の暴言・暴力から守ってくれることも、慰めてくれることもなかった。
私の行動について、「お前が甘やかすからだ」などと父が母を叱ると、
母はふてくされ、「あんたのせいで私が叱られる」と、私に怒ります。
そんなふうに自分にとっての「不快」があると反応するけど
親の責任として子どもに正しいことを教えようという態度ではなく
「自分は”不快”を被った被害者」というふうにしか受け止められない。
私の身に起こった「いいこと」で笑顔になってくれることはなかったけど
テレビや友達との電話でワハハと笑っていることはありました。
子どもの感情、快・不快(幸・不幸)に共感できない、寄り添えない
Emotionally Absent Mother (感情面でそこにいない母親)。
父は父で、ただただ当たり散らしているだけなので
私は「何をしても(しなくても)怒鳴られるか無視される」という
ネガティブな反応しか受け取ってこなかった。
でも、何をしても「無反応」で、自分を透明人間のように感じるよりは
まだ、父に怒鳴られる方がましだったのかもしれないです。
怒鳴られることが分かっていても、父に反抗したりしていたから。
(素直な気持ちを表現して怒鳴られたら立ち直れないから
かまってほしくても「反抗」か「拗ね」で表現するしかなかった)
私は、悲しいときに一緒に泣いてくれたり、
嬉しい時に一緒に喜んでくれたり、そういう反応、ストロークが欲しかったのだと
親からそういう反応を引き出したいから、ぐずぐず言うことで執着していたんだと
子どもの時は、というか、大人になっても、わかっていませんでした。
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