怒りや憎しみ、復讐心を抱いているときは本当に辛いです。

 

特に、離れられない親や家族など身近な人に対しては。

 

許せれば楽になるでしょう。でも、「許そう」と決めたら許せるとは限りません。

 

それなりのプロセスを経て心から許すことができた状態と、

 

許したつもりで怒りを抑圧したり、感情を麻痺させている状態は全く違います。

 

(自分の経験から言っても、今と、許したつもりになっていたときと、心の軽さが全然違います)

 

 

「理不尽な目に遭っても許しましょう」というのは、「道徳」です。

 

人間に備わった心の仕組みとして湧いてくる

 

「怒りたい、復讐したい」という欲を抑え(一種の自己犠牲)、

 

世の中の平和を維持する対策としての教えです。

 

 

多くの人がその教えを採用して我慢していますが、それをするかどうかは選べます。

 

(「半沢直樹」が人気なのは、我慢している人たちが「復讐」を疑似体験してうっぷんを晴らせるからでしょう)

 

 

ですが、「理不尽な目にあって湧いてくる怒り」は、

 

程度の差はあれ、人間に備わった生き物としての心の仕組みですから、選べません。

 

 

道徳的な生き方を目指すあまり

 

(または、揉めるのが怖くて、いい人アピールをしたくて)

 

怒りを抑圧しすぎると病気になったり、

 

潜在意識に押し込められた怒りが、別の形で復讐になるような行動をとらせたり

 

似ている他の人に八つ当たりしたりと、別のところから問題が噴出します。

 

(私もそれを経験しています)

 

または、「自分は寛大な素晴らしい人間、怒る人はくだらない人間」などと、

 

別の「考え方」で感情をなだめることになるかもしれません(それもありだと思いますが)。

 

あるいは、「精神修養」で抑圧でも感情マヒでもなく、

 

本当に怒りを感じない人になれるのかもしれませんが、私にはわかりません。

 

 

アダルトチャイルド、つまり発達性トラウマの問題は、

 

大人としての心の仕組みがちゃんと働いていないことです。

 

子どもの頃の感情に引きずられて、適切な行動がとれない。

 

それを改善して普通の大人として健康な心で生きられるようになることと、

 

道徳的な生き方をすることは、まったく別の話です。

 

むしろ、子どもの頃、親から理不尽な目に遭わされても怒れなかった(力がないから)、

 

怒りの感情を抑圧して「いい人」で生きてきた結果、

 

社会でますますいいように扱われて理不尽な目に遭って、

 

さらに我慢して、という連続が、心をゆがめた人もいるでしょう。

 

 

だから、病気になってでも道徳的な生き方を貫くという覚悟があれば別ですが

 

「健康な心」を手に入れたいのであれば、トラウマを解消できるまで

 

道徳的な生き方にこだわらないほうがいいと思います。

 

 

道徳的な生き方をしたら健康な心になれるのではなく

 

健康な心になったら、自分を守る行動がとれて理不尽な目に遭わなくなるし

 

心が落ち着いてきて、小さな嫌なことなら気にならなくなったり

 

多少の自己犠牲をしても辛く感じないくらい心が強くなったり

 

感情を適切に処理でき、自然に

 

(ほどほどに)道徳的な生き方ができるようになるのだと思います。

 

 

 

 

良ければ応援お願いします。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村