アダルトチャイルドは、子どものころに、生きるか死ぬか、くらいの切実さで手を伸ばした

 

「欲しいもの(親の関心)」を拒否され続けた絶望感をずっと抱えているのだと思います。

 

「親に愛されなかったら生きていけない!」と感じた恐怖感。

 

親の愛をのどから手が出るほど欲しいのに拒絶された絶望感。

 

もう、二度と味わいたくないから、人の顔色を伺い続けたり、人を拒絶し続けたり。

 

 

そういう「どうせ愛されない」という態度が、愛されて育った人からみたら「拗ね」なのでしょう。

 

「拗ねてるとみっともないよ」くらいの軽いノリでは片づけられないのです、本人にとっては。

 

拗ねることで感じるのを避けようとしているのは「不安」どころではなく、「恐怖感」なので。

 

心を開いて「愛がほしい」と手を伸ばして、また拒絶されてしまったら、

 

子どものときの恐怖がよみがえって、5歳児のように泣き叫んでしまうので。

 

 

「拗ねるなんてみっともない」と言っている誰かに気に入られようと、

 

「勇気を出して」コミュニティに参加して、

 

自分を偽って、「愛されていると信じている」振りして、ひきつった笑顔をしてませんか?

 

 

素直になってみる、心を開いてみるチャレンジは大事だけれど、無理は禁物。

 

 

「拗ねている」自分をゆるして、周りに惑わされないで、

 

楽に、落ち着いて生活でき、安心感を覚えるまで、人づきあいを少なくして

 

SNSもみないで、自分の中に引きこもるのもありだと思います。

 

その間は人からの余計な刺激を避けて、楽しいふりをするプレッシャーから解放して

 

ヨガや瞑想をしたり、散歩したり、リラックスを心掛けてみてください。

 

たくさん自分をいたわって、泣きたくなったら泣いて。

 

リラックスした感覚や安心感がある程度得られるようになると(心の安全基地ができると)

 

精神状態が落ち着いてきて、その引きこもりや不機嫌、「拗ね」の源になっている、

 

二度と味わいたくなかった絶望感、恐怖や悲しみを再体験する強さができて、

 

心を開くチャレンジ、欲しいものを欲しいと言ってみるチャレンジができるのです。

 

 

だから、「拗ねてる人」は、みっともない人ではなくて、すごく傷ついている人。

 

誰かに何かを言われても、心を開けない自分、拗ねている自分を許して、

 

十分、自分をいたわりながら、自分のペースで傷を癒しながら、心を開いていって下さい。

 

 

 

 

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