このブログのタイトルに「親ガチャ」という言葉を入れている理由は
私が「親ガチャ」という言葉が好きだからです。
生まれてくるときに選べないことはたくさんある。
「親」もそういう要素の一つ。
「運」で人生が決まる理不尽さを、「ガチャ」という今風の軽い言葉で表して
笑いながら「しょーがねーな」と受け入れている感じがして好きなのです。
「運」なのだから、誰かを責めているわけではないし、
「ガチャ」という言葉に悲壮感もない、
あはは、はずれだったよね、と、その理不尽を
明るく引き受けているような力強さを感じます。
「毒親」とか「親ガチャ」という言葉は、
親を断罪して責任を取らせるためではなく
自分の運命を受け入れ、生きづらさの原因を知り、
自分を幸せにしていくためにあるのです。
そして、「親を選んで生まれてきた」というような考え方は嫌いです。
理不尽な目にあって傷だらけになっている人
ただでさえ、親の責任まで引き受けてボロボロになっている人に対して
「親を選んできたのだから」と、理不尽を嘆くことすら許さないというのは、
残酷すぎると思っています。
また、親からのトラウマの連鎖を断ち切る心理学的な方法があるのに
そのような前時代的な考え方で説得される風潮が広まったら
多くの人がトラウマ解消に取り組むことなく、連鎖が続いてしまうのではないかと思います。
(トラウマが研究されていなかった昔は、そう言って説得するしかなかったのでしょうが)
理不尽を嘆き恨みつくして、それでも現実を受け入れて、
そこから立ち直れるのが人間だと、私は信じています。
「親を選んできたのだから」と言われて、すんなり納得できる人は素晴らしい。
でも、納得して理不尽を受け入れたふりをして
本当は自分の人生を恨んでいるのに、その感情を抑圧していると
病気になったり、抑えた怒りが無自覚に他人に向かってしまうと思いますよ。
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