「いい人」がやめられず、「損ばかり!」と怒りを感じがちの人におすすめの本です。
生きる悪知恵(西原理恵子・著)
以前の「超いい人」のふりをした自分は
仙人のように寛大な聖人君子を目指していたようです。
夫との関係、嫁姑問題、仕事などなどで理不尽にぶつかるたび
正義を振りかざして相手を責め、わかってもらえないと被害者意識に陥り、
哲学や宗教の本を読み、机の前に蓮の花の写真など飾って、
「世の中理不尽だけど、許そう。私は泥の中に咲く花になろう」
なーんて頑張っていました(笑える!)
が、実のところ心の中では、5歳の自分が
さみしさと怒りと憎しみと悲しみ、恨みつらみの感情にまみれて
「おかーさーん」と大声で泣き叫んでいるのでした。
それを押さえ込もうとすればするほど、
表の笑顔は引きつって、病んでいきました。
あるとき、西原理恵子さんの↑この本を読んで
(確かこの本だったと思ったけど…断捨離してしまって手元にない)
こんな趣旨の一節を見つけました。
「ワタシだったら、そんな意地悪な同僚がいたら
書類の一枚も隠したりして困らせてやるけどな」
ええええええ!? そんなことしていいんだ!と、目からうろこでした。
そっか、許さなくてもいい、復讐してもいい。恨んでもいいんだ。
そっか、人間は神にも仏にもなれないんだ。
どろどろのまま生きていくしかないんだ。
「許しなさい」というお道徳で人が変われるなら
世の中に報復爆撃も、死刑制度も、慰謝料もない。
聖職者だって完璧な人間ではない。
ましてや、このしょぼい凡人の自分が、聖人君子をまねるなんて無理。
黒々としたムカデが家の床下にひっそりと生きているように
自分の心の床下にも、そんなムカデみたいな醜い感情が生きている。
隙あらば表に出てこようとするその醜い感情を正当化するために、
いろんな本を読んで偉い人の理屈を採用しているだけだった。
あーみたくない、自分がムカデみたいなやつだなんて!
でも、そんな醜い感情を、黒々と立派なムカデを心に飼っている自分を
「しょうがない。これがワタシなのだ」と受け入れたときが
変われるきっかけだったと思います。
(とはいえ、それからも長い間、いい人をやめられなかったけど)
この自分の中の(特に親や家族に対しての)怒り、恨み、憎しみと、
愛したい、許したい、という矛盾した感情のはざまで揺れ動き
嵐の海で大波に翻弄される小舟みたいな日々を、長い間過ごしてきたのですが。
そのころの自分に言ってやりたい。
「大丈夫。ちゃんと、嵐は収まったよ」
「今は、凪の海でお日様を浴びているよ」
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