まもなく保釈される模様です、というレポーターの声と、湾岸署の玄関の映像。
結局、everyの時間内には彼の姿は見られなかった。夕飯の支度を一段落して開いたツイッターで、その動画を目に、してしまった。


この事件に関しては、ただただ残念だと、がっかりする気持ちが大きかったけれど、今日の映像を見て、彼のやったことをみて、悲しくなった。


そんなことしちゃいけないよ。ファンのことを思うなら尚更、そんなことをしちゃいけない。
どういう気持ちで土下座に至ったかわからないけれど、どんな気持ちがあったとしても、それはやってはいけないことのように思う。やってほしくなかった。


心が痛い、ほんとに痛かった。グサっと、ナイフを立てられたみたいに。一報を聞いた時よりも衝撃は大きかった。


逮捕された芸能人が、保釈される姿を何度もテレビでみたことがあるけれど、そういう人たちと同じように、深々と長く頭を下げるだけで、よかったんじゃないかな。そうしたら、こんなに悲しくならなかったのに。

私ですら、悲しいのだから、彼のファンの方の気持ちを考えると、…つらい。



湾岸署での彼の言葉は、役を演じているような、台詞を言っているような、そんなふうにも感じてしまったのだけれど、だとしても、カメラの前で宣言して誓ったことには変わりはないのだから、


しっかり更生して必死に生きるんだぞ!



久しぶりに彼の声を聞いて、田口くんは上田くんのことをうえぴーって呼んでたなぁ、なんて、思い出した。

カンパニーの信条は現代社会で見過ごされている深い感情を、ダンスを通じて駆り立て、追求すること。ただ生きるのではなく、生命を謳歌させるとはどういうことなのか、それを知るために踊り続け、理由を超えて観客、そして自分たちの心を揺り動かすことに挑み続けている。 



センセーション(知覚)とエモーション(感情)

思考することではなく、皮膚で感じること


私の、皮膚で感じた…
恐怖、冬、耐える、時間、経過、きいたことのある、諦め、祈り、懐かし、抗えない自然、抗えない権力、怯え、既視感 太古、営み、暮らし、知っている、量子、細胞、感情、流れ、おまじない、らっせーららっせーららっせーらっせーらっせーら、お囃子、みたことのある、何もない景色
私の、からだが思い出せる記憶





エンディング

の姿が消えるのと入れちがうように歌が流れる。


Both side Now 

私に思い出せるのは、人生のまぼろしだけ
人生がどんなものなのか、私は未だに
はっきりとはわからない…



曲がサビになったあたり、一列に並んでいたダンサーたちが動き出した。


舞台の隅のほうで、かつての子どものころの遊戯のように、ひとりを囲んで輪になり踊って、ダンサーたちがまた舞台の中央のあたりに動いて、床でイモ虫みたいにうねうねとだれかが動くのをほかのみんなは見つめていて、ダンサーたちが踊って、何かを表現して……

細胞が動いているような、男女のそういう行為的な、祈るように、太古の暮らしのように、自然には抗えないように、みたことのある、、、!!!!!!!!!


すごいっ!!!!!と、声を上げるのと鳥肌が立つのと、どちらが早かっただろう。


逆再生するダンサーたちの動き
ここまでの舞台でのダンスを早戻しして踊っている!


訓練を重ねたダンスの技術と数学的に計算された振付、だからこそ可能な演出なのだと感じた。


目が離せない
こんな場面、そういう場面もあったと記憶が起こされる。そして懐かしいという感情になる。温かで愛おしい。まるで、人生のふりかえりをしているようにも感じる。


私に思い出せるのは、人生のまぼろしだけ
人生がどんなものなのか、私は未だに、
はっきりとはわからない…


あえて歌詞のあるこの楽曲をこの場面の背景として流し、その歌詞をあえて、パンフレットに訳詞をつけてまで載せる意図を、そういうことなのかなと、解釈をした。




鎧をつけたサムライがとても長い刀を自分の身体に突き刺す、そして、声を上げる。ウアアアアアアッ!!!!!


シュッと幕が閉じられる


そして、



鳴り止まぬ拍手




自分の人生の最期に、まぼろしのような自分の人生を振り返って、こんなふうに拍手を送れたらしあわせだ。



鳴り止まぬ拍手の中、再び幕があいてダンサーの方々が舞台に並ぶ。おしりをぷるんと揺らすような動きのあいさつをする。

バンドの音が鳴り出す、そして、


白いシャツの人物、上田くんが歌い出す。



好き放題感じたことを解放してください。



同じ空間に、大好きなひとがいる。
そのひとが全てをさらけ出して身体を動かしている。だったら、共鳴したいと思う。

同じように動いて体温や心拍数を同じように上げて、上田くんが感じているモノを同じように感じたい。


ガーッてあおった時に、ワーってかえってくると嬉しい…


だったら!!!声をあげたい、悦んでほしい!!
同じようにさらけ出して、解放して、暴れたい!!



上田くんが、首の骨が折れるんじゃないかってくらいの勢いでヘドバンしてる。舞台のダンサーたちもそれに応える。


上田くんの躍動するタイミングでバンドの音がダダダッ!!!と、止まる。
うわあああああああ!!!最高で最強!!!


客席から立ち上がって拍手喝采!!!!!!



………

カテコのたっちゃんは、毎回かわいかった。
ぴょこぴょことなんどもおじぎをしたり、こわしてしまったマイクにごめんなさいをしていたり、してたね……。

………





この舞台が、心の深くに刺さってしまったのは、
このダンスカンパニーの表現する世界に、
魅力されてしまったから、
だけでなく

大好きな上田竜也くんが主演をしていたから








届けたいものは、この『ポリティカルマザー』の作品の素晴らしさですね。
踊りだったり、バンドの迫力だったり、その全部がコラボしている姿だったり、
そういう全体の凄さを1人でも多くのお客さんに届けたいと毎回思っています。


上田くんが届けてくれたものを
しっかりと受けとりましたよ




ありがとう






★了★









緑文字パンフレットより引用およびweb記事でのシェクター氏の言葉を引用。
青文字 は雑誌およびテレビ番組での上田竜也さんの言葉を引用。

また、舞台で使用されていた音楽の一部をホフェッシュシェクターカンパニーHPで聴くことができる。

この舞台の初日からちょうどひと月経った

遠い昔のことのようにも感じる

あの景色はまぼろしだった?





あれは役ではあって僕ではない

ならば、生々しかったのは彼が、ということか。

スーツを着た人物のいやらしい動き。


孕ませる腰付きで、
苦くて、のどを通ると絡む生命を放つ。
立ったままだったり、
覆いかぶさったりの行為に、
首を大きくのけぞらせて、


恍、とした表情



両膝立ちになってバンドのリズムに合わせるように1、2、3、4、とタクトを振るような動きをしながらは影に消え


光の当たった群衆が、男女の対になって踊る。


見せつけられたの行為に煽られるように。


ダンスの動きは、そういう行為を露骨に表現しているわけではないはずなのだれど、



の生々しさに晒されてしまった後ではもう、ダンサーの動きがそういう風にしか見えてこない。




生々しさに、巻き込まれた。


っていうか。





上田くんてスゴイ

舞台の真ん中にいるときの存在感が。



舞台を観ていてたまに我に返って、わたしは誰を観に来たんだっけ?と思っていた。



双眼鏡から覗いているのは間違いなく上田くんなんだけれど、違う人を見せられているような、錯覚。



だから、カーテンコールでいつもの上田くんがにこにこしてかわいくおじぎしていても、戸惑うよ。だって、
さっきまでのヒトとはまるで別人なんだもの。



俺が踊るとは、
どこにも書いてないはずだよ


確かに。振付けされた踊りはなかった。けれど、


跳躍力、瞬発力、破壊力、パワー、スタミナ、リズム感、

長い脚、板チョコな腹筋、陰影のある鎖骨、つや感のある肌、

振る、蹴る、飛ぶ、踏む、弾く、叩く、舞う、揺れる、


そういう上田くんにある身体能力を溢れさせて魅せられたあれは、ダンスだろう。



海外の、コンテンポラリーダンスの、カンパニーという……

……上田くんは与えられた場所で、上田くんの持ってるありのままの全てを表現としてぶつけた。


一言で言うなら、魂がこもっているんです。

…小手先だけの演技では人の心に響くものはできない。

…何かを表現するときは結局、それまでの自分が培ってきたものでしか、勝負できない。

…まさに、魂をぶつけながら経験を重ねることが大事なんだと思います。


何かを生み出せば、おのずとそれは共鳴し共振し始める。シェクター氏が上田くんに引き寄せられたのはつまり、そういうところなんだろう。





舞台は、エンディング
白いシャツの人物が、気 が狂ったようにマイクスタンドをブン回し、




壁を叩き、



挙げ句の果てに放り投げて、叫ぶ。



×××××××ーーー!!!!!


架空の言語 だけれど、発している音(おん)に台本はあるのだろうと感じたのは、この叫んで発音しているのが毎回、同じ音(おん)だったと聴こえたから。



ここの場面のことを過去の記事に描いた。

マイクトラブルのあったこの日に起こったことが衝撃的で、ほんとうに上田くんに魂をぶつけられた、と感じた。





轟音からの、、、、静寂。



ダンサー達が踊る。何かを表現している。




床でイモ虫みたいにうねうねとだれかが動く。




周りがただそれをみつめる。




舞台の隅のほうに集まる。




ひとりを囲んで輪になりおどる。




かつての子供のころの遊戯のように。






WHERE THERE IS PRESSURE THERE IS FOLK DANCE 


という文字がステージに浮かぶ。





ダンサーたちが一列に並ぶ。





最初に現れた軍服の人物が現れる。


演説をはじめる。


身振りを交えて、何かを伝えている。



何かを 訴えている




右手を挙げて、





×××××××ーーー!!!と叫び




すぅーっと彼の、姿が、影に、消える、、、





彼が消えるのと入れちがうように音楽が流れてくる。


歌詞のある楽曲。
パンフレットにこの楽曲の歌詞(訳詞)があった。





私は両方から人生を見て来た

勝ったり負けたり
それなのにどういうわけか

私に思い出せるのは
人生のまぼろしだけ

人生がどんなものか
私にはいまだに

はっきりとはわからない

(一部を引用)




歌詞をパンフレットにのせる、ということには、何か意味があるのかな、と考えて、エンディングでの演出を観ると、涙がこみ上げてくる、