この舞台の初日からちょうどひと月経った
遠い昔のことのようにも感じる
あの景色はまぼろしだった?
あれは役ではあって僕ではない
ならば、生々しかったのは彼が、ということか。
スーツを着た人物のいやらしい動き。
孕ませる腰付きで、
苦くて、のどを通ると絡む生命を放つ。
立ったままだったり、
覆いかぶさったりの行為に、
首を大きくのけぞらせて、
恍、とした表情。
両膝立ちになってバンドのリズムに合わせるように1、2、3、4、とタクトを振るような動きをしながら彼は影に消え、
光の当たった群衆が、男女の対になって踊る。
見せつけられた彼の行為に煽られるように。
ダンスの動きは、そういう行為を露骨に表現しているわけではないはずなのだれど、
彼の生々しさに晒されてしまった後ではもう、ダンサーの動きがそういう風にしか見えてこない。
生々しさに、巻き込まれた。
っていうか。
上田くんてスゴイ
舞台の真ん中にいるときの存在感が。
舞台を観ていてたまに我に返って、わたしは誰を観に来たんだっけ?と思っていた。
双眼鏡から覗いているのは間違いなく上田くんなんだけれど、違う人を見せられているような、錯覚。
だから、カーテンコールでいつもの上田くんがにこにこしてかわいくおじぎしていても、戸惑うよ。だって、
さっきまでのヒトとはまるで別人なんだもの。
俺が踊るとは、
どこにも書いてないはずだよ
確かに。振付けされた踊りはなかった。けれど、
跳躍力、瞬発力、破壊力、パワー、スタミナ、リズム感、
長い脚、板チョコな腹筋、陰影のある鎖骨、つや感のある肌、
振る、蹴る、飛ぶ、踏む、弾く、叩く、舞う、揺れる、
そういう上田くんにある身体能力を溢れさせて魅せられたあれは、ダンスだろう。
海外の、コンテンポラリーダンスの、カンパニーという……
……上田くんは与えられた場所で、上田くんの持ってるありのままの全てを表現としてぶつけた。
一言で言うなら、魂がこもっているんです。
…小手先だけの演技では人の心に響くものはできない。
…何かを表現するときは結局、それまでの自分が培ってきたものでしか、勝負できない。
…まさに、魂をぶつけながら経験を重ねることが大事なんだと思います。
何かを生み出せば、おのずとそれは共鳴し共振し始める。シェクター氏が上田くんに引き寄せられたのはつまり、そういうところなんだろう。
舞台は、エンディング
白いシャツの人物が、気 が狂ったようにマイクスタンドをブン回し、
壁を叩き、
挙げ句の果てに放り投げて、叫ぶ。
×××××××ーーー!!!!!
架空の言語 だけれど、発している音(おん)に台本はあるのだろうと感じたのは、この叫んで発音しているのが毎回、同じ音(おん)だったと聴こえたから。
マイクトラブルのあったこの日に起こったことが衝撃的で、ほんとうに上田くんに魂をぶつけられた、と感じた。
轟音からの、、、、静寂。
ダンサー達が踊る。何かを表現している。
床でイモ虫みたいにうねうねとだれかが動く。
周りがただそれをみつめる。
舞台の隅のほうに集まる。
ひとりを囲んで輪になりおどる。
かつての子供のころの遊戯のように。
WHERE THERE IS PRESSURE THERE IS FOLK DANCE
という文字がステージに浮かぶ。
ダンサーたちが一列に並ぶ。
最初に現れた軍服の人物が現れる。
演説をはじめる。
身振りを交えて、何かを伝えている。
何かを 訴えている
右手を挙げて、
×××××××ーーー!!!と叫び
すぅーっと彼の、姿が、影に、消える、、、
彼が消えるのと入れちがうように音楽が流れてくる。
歌詞のある楽曲。
パンフレットにこの楽曲の歌詞(訳詞)があった。
私は両方から人生を見て来た
勝ったり負けたり
それなのにどういうわけか
私に思い出せるのは
人生のまぼろしだけ
人生がどんなものか
私にはいまだに
はっきりとはわからない
(一部を引用)
歌詞をパンフレットにのせる、ということには、何か意味があるのかな、と考えて、エンディングでの演出を観ると、涙がこみ上げてくる、