ボクシングと向き合う時の、
上田くんの表情が好きだ。


アイドルとして、
ペロリと舌を出しながらポーズを決める時とは変わる、

グローブをつけたり、ヘッドギアをつけたりした後の
眼の光りが好きだ。

キラキラでもなく、ギラギラでもなく、
純度の高い氷の粒が太陽に晒されて、静かにただ反射するかのように、2つの瞳がヘッドギアから覗いているのが、大好きだ。ってゆーか、


IGNITE リード曲の DANGER
テンポ感も音の重厚感も、ボクシングの入場曲としてめっちゃカッコよくてしっくりくるので、

AOLを使用して下さった田口選手みたく、どなたか入場曲として、使いませんか?








味方がいなくなるんですよ、この企画…


でもそういう孤独を、
上田くんは嫌ではないんじゃないのかな。
孤独でいることで「らしく在れる」ということは、好きなんじゃないのかな。


さびしんぼだもんな でも、ひとりも好き、でしょ。ってゆーか、


今回、上田くんに闘いを臨んでくれた、オラキオさんや、前回の岡本ピンさんには、感謝しかない。


どんな形であれ、上田くんがボクシングをする姿をみせてくれて、ありがとう




オラキオさんが上田くんと対戦している時に、
セコンドについていた竹原さんから

「下向かない!」

っていう声がたびたび飛んでいたけれど、


ひとには、防衛本能があるのだから、
「下を向く」というのは「相手から殴られる」という反応として、決して間違ってはいない。そして、


オラキオさんをみていると、パンチが当たってないわけではなく、クリーンヒットにならないだけで、だから、

人を殴る、ということにも、なにかそういうブレーキが作用してしまうのだろう。


ブレーキかけず、相手をみて、躊躇いなくパンチを出せる、ということの、覚悟。オトコマエだぜ。







ボクシングの時のサンドバッグも「パン」って音がするじゃないですか。

あれもすごい好きなんですよ。

やったことに対してしっかりと感覚で返ってくるのは、好きなのかもしれないですね。


ああ、そうか。
ボクシングって、殴り合いではなくて、
ぶつけ合いだ。
リングの中で、自分が自分をぶらさずにどう在るか。
自分と相手のぶつけ合いだ。
何をぶつけるかって、魂とか自分の中にあるコアとか核とか、そういうふうに表現される、モノ。




クリーンヒットした時の、音、感触、重さ、それとも軽ろやかさかな。
「パン」て表現された、当たった瞬間に上田くんの中で、どんなことが起こっているのだろう。
その一瞬を掴んだときの、その感覚。





オラキオさんも、パンチはこう出す。こうガードする。秘策の《上田に勝トゥーン》は、こうする。という、教えられて、練習を重ねた技術を一生懸命にリングの上でも出していたと思うのだけれど、


技術を身に染み込ませて、直観力で動いてる上田くんに、敵うわけなどない。



相手に勝ってやろう、倒してやろう、という目的に向かって動くのではなく、
自分がこう在ろうということの、その一瞬の積み重ねの結果としての勝利。


こう在るために、纏ったものをすべて脱いでさらす。
すべてを脱いでさらすから、直観力は動く。


ギラギラでもキラキラでもなく、ただ静かに反射しているように光る眼は、そういう直観力が動いている時の眼のようで、たまらなく、好きなんだ。




また、ボクシングしてる上田くんにあいたいなあ…。(アエルヨネ)



ハイカロリーな仕事の後の、
ハイカロリーなデニッシュブランは美味い


今日は、博多AMUでKAT-TUNのファンミーティングがあった、らしい

行ってませんよ。こっちでアレコレと家ごとに奔走していた。


ファンミの、そのお知らせを最初に知ったのは、LINEだった。


金曜日なら行けるっ!!


と、心が動いたのに、申し込みをしかけてやめてしまった、自分を悔やんでる。


日帰り無理か?飛行機代けっこうかかるか?バイトは休めるけれど、迷惑かかるか、母のところにも行かなくちゃだし、っていうか、どうせ当たらないよね

そんなん分からない。
行きたきゃ申し込みをすりゃよかったんだ。
無理か、と言い訳をしていたアレコレは、申し込んで当たってしまえばなんとかなるものだ。


って、そして、素直に申し込まなかったことを悔やめば良かったのに、追い討ちかけちゃった。


「きっぱり諦めよう、その代わりにずっと放置していた家ごとをひとつやってしまおう!」と自分の気持ちをすり替えた。

確かに今日は、朝から母宅に行って、あちこち回って、夕方からはバイトに行って、やろうと思っていた私事も仕事も完了できたけれど…。


よーし、今日も一日やりきったぁぁぁぁ!!って、心のガッツポーズができない…


そりゃそーだ。
私は私の気持ちを無視して、申し込みをせず、さらに、その後悔する気持ちにもフタをして、すり替えできないことにむりやりすり替えできたよねと思い込んだって、そりゃむりだ。

自分のしたことに後悔したなら、ちゃんとその後悔を私が受け止めなくて、だれが受け止めるのよ…とか、気付いちゃったら、iPhoneのシャッフルから流れてきた、遥か東の空へ を聴きながら、メソメソしてた帰り道。
もっと、もっと、頭を壁に叩きつけるくらいに悔やめ、あたし。泣きたきゃなけよ、あたし。


べつにね、かつんごとばかりでなくて、全てにおいて言えることるだからね、あたし。


残り少ない人生なんだから、一日を大切に、後悔ないように生きようと、思えば思うほど、こんがらがる。

あーあ、めんどくさいな、あたしってやつは。


上田くんに会いたかった。
福岡の今日の上田くんに会いたかった。
悔しくてたまらないから、ツイッターは開かないでいようと思う、って、それで良いんだよ、あたし。


もちろん、やらなくちゃいけない、っていう事柄もたくさんあるけどさ、だからこそ、

楽しいと心が動くことに身体を動かそうな、あたし!!



8/31-9/1のこと
広島に行っていた

もう一週間経ったんだ。


確か4〜5年前にも訪れていて、その時は広島平和記念資料館が一部改装工事中だったので、
リニューアルオープンしたらまた行こう、とその時に思っていた。

って、調べてみたら、私が前回訪れたのは、2014年の10月で、
そして、KAT-TUNが広島でライブをしたのは、comeHereで、2014年9月だったみたいだ!偶然〜♡



私にとって、原爆ドームとはパワースポットのような、不思議な魅力のある建物なのです。


一昨年の原爆記念日の時に、シューイチで中丸くんが原爆ドーム内に入っていて、羨ましかったなぁ〜(私も入ってみたい)


忘れちゃってるのもあると思うけれど、結構変わっていた。
原爆が落とされる前の街並みと、落とされた後の様子の写真のパネル。
こんな風に時系列な展示はあったかな。
あと、タッチパネルで資料を見れるコーナーとかもあったりして、進化を感じた。


前回は、「モノ」が伝えるメッセージの力みたいなものを感じたよーに記憶しているのだけれど、今回は、


「文字」が印象に残っている。



親が子に宛てた手紙、とか。
卒業して別れてしまう友に送るメッセージとか。
被曝してからの病床記録とか、日記とか。


確かにそのひとが「書いた」という生々しさが、「文字」から伝わる。


「…敵の攻撃もひどくなっているようなので…」という言葉が、日常を綴る言葉としてありえたんだ、と衝撃を受けた。


そして、言葉遣いの美しさ。

「貴方のその美しい瞳が、この文字を目にした時にどうか私のことを思い出してください」

…というような言葉が、もっと美しい表現で、そして美しい文字で書かれていて、多分その当時を生きた人たちは、丁寧に生きる、ということが当たり前だったのではないのかなぁ、なんて思った。


途中、「どうぞ触れてください」とプレートのあった展示物があって、それは、原爆の熱風でぐんにゃりと潰れたガラス瓶だった。

サイコメトリーではないけれど、その瓶に触れると当時のことがみえてくるような錯覚を起こした。


訪れた人たちが自由に感想を書いていいノートがあったので、私も書いてきた。

どうかいつまでも、
エンターテイメントを純粋に楽しめる平和が
ずっと続きますように


おおむね、そんなことを。



もっと長く見て回っていたかったけれど、…時間も近くなったので、資料館を後にした。




またきっと、訪れよう。