※内容にちょっと触れてる、かもしれない。





映画を観た後に、原作漫画も買って読んだ。

映画のパンフレットを購入するほど、ハマった。素敵な映画。


好きで、好きで、
苦しくて、幸せ

恋愛ってそういうもんだ。もう二度とあんな苦しい想いなどしたくないと思ってたけれど、映画を観たら、もう一度、
そんな恋をしたくなりました、



……性的志向の違いではなく、「地に足をつけたパートナーシップを築きたい人」と「恋愛に非日常を求める恋愛依存症」の間にある溝を描くことになった……


とは、原作者の水城せとなさんの言葉(パンフレットより抜粋)


私は後者だ、恋愛依存のほう。
そして、映画や漫画の中の一ヶ瀬(成田くん)の行動や気持ちに共感する。っていうか、

恭一(大倉くん)のパンツを洗濯機の中に入れようとした手を止めて履いてしまう気持ち、分かる〜。


私はカレシのパンツを履いたりはしないけれど、別れたカレシの着ていたパジャマを洗わずに、ずーっと(一年以上w)枕元に置いてあったことがあった。ずっと若い頃のおはなし、懐い。


…最低なんですよ。恭一は100%ひどいやつです。…

と、パンフレットのインタビューで大倉くんは言っていた。


確かにひどいやつ。けれど、


心がクリアだからこそ、自分の本能の赴くままに、恭一は、一ヶ瀬に落ちた。だから、苦しい。


男だとか女だとか、ゲイだとかどうとか、人の表面にある肉体的なところでなく、自分のもっと内側にある魂だとかスピリットだとかコアだとか、…そういうところから溢れてくる《情》に抗わず流され、委ねることのできるひと。


流されるって、自分の内側に流される(正直)なら悪いことだとは思わない。表面だけを取り繕って、自分の内側を堰き止めて(ウソをついて)生きるよりも、良い。むしろ、すてきなことだ。


そう遠くない未来に、共に生きるパートナーを選ぶことに性別などあまり関係なくなるなら、それはそれでステキな未来だ…そんなことも考えた。





漫画は、クスっと笑ってしまうエピソードなんかもあって、映画ほど苦しくない。それと、

ノーマルな恭一がゲイの一ヶ瀬に落ちていく、…というよりも2人の絆を築く様子が描かれている。

身体の関係も、ちゃんと時間かけて順序立てて深まっているので、男女のソレよりも、よっぽどデリケートでナイーブだ。











ラストは映画と漫画とで異なる。

「俺の人生なんかどうにでもなるんだからさ、だからお前は…心配すんな」


この場面のこの台詞、グッとくる。
さんざん修羅場って、お互いの気持ちをぶつけ合って傷ついて傷つけて、築けた絆があるからこその、腹をくくれた台詞。

そういう関係性って、ステキだ。