扶養してくれる人がいるのに、なぜ仕事にこだわり続けるのかということを考えた。
もちろん、誰にも何の気兼ねもせずに好きなことをしていたいという気持ちが強い。確かに昔から干渉されることが何より嫌いだった(そのくせ、相手には干渉したがる傾向があるというのには笑ったが)。
自分は何をしたかったのかと言えば、恐らくは「自立」をしたいと望んでいたのである。今までの自分の立ち位置はどうだったのかということを考えると、それは「自立」ではなかった。
教授陣へのご機嫌伺いのご褒美的な非常勤職を回される。それはそれで好きな事をしながら報酬がもらえるという、このご時世でどんな甘い汁を吸っているんだ、という非難を受けそうな立場だったが、いつこの順調なローテーションが途切れてしまうかわからないという不確定な要素と常に隣り合わせであった。
しかも、10年以上その世界に存在を置くことで、悪い意味でその位置に慣れてしまい、胡坐をかいてしまっていたのだ。
ローテーションが途切れ、就職活動をしかけてすぐに、このたび1年間働かせていただいた司書派遣会社に採用され、準管理職として勤務した。が、今までと全く違う環境、集団行動の難しさ、さらにその難しい集団を取りまとめるということの責務に戸惑い、焦って空回りし続け、結果は敢え無いことになった。
失職してみてはじめて自分はいったいどういう風に働きたかったんだろうというようなことを考える。
本来は15年くらい前に考えていなくてはならなかったこと。
ちょっと思い出せなくて焦る(爆
夢はたくさんあるけれど、可能か不可能かということを今の状況ともつき合わせて考える。まず何よりも相手への責任を考えなくてはならないので、行動に制限が…。
つか、こんなこと考えちゃまずいだろ。
では、もっと根本的に何で結婚したのか考える。
結果としては、心の支えになるような相手がほしいということだったろうと思う。情緒不安定な自分が嫌だったから。
引っ張ってもらえれば、引っ張ってあげられると思ってか…。そしていつもここら辺が肝心なんだけれど、自分のダークな部分を知っている人じゃない方がいいと思って選択しちゃうこと。だから相手にとっていつも自分の情緒不安定は突然変異なのだな。たぶん今の相方もだ。
複雑な現実逃避の一種で、早まったんじゃないかと思うと泣けてきそうになる。
そんな風に思うようになってしまったのは、数回受けた面接で、結婚していることがマイナス要因に働いているということを突き付けられたから。でも、そういう風に感じるってことは、ただ、社会制度のせいにしたいだけで自分を正当化しようとしているだけなのか。