寝たり起きたり仕事したり

寝たり起きたり仕事したり

寝たり起きたり仕事したり

ちょっと旅行したり

寝たり起きたり仕事したり

寝たり起きたり仕事したり

しているうちに

時間がたってしまった。

 

このまま、また

寝たり起きたり仕事したり

寝たり起きたり仕事したり

寝たり起きたり仕事したり

寝たり起きたり仕事したり

することもできるけれど

そうなると

ますます遠ざかってしまうことになる。

 

放っておいてしまったという後ろめたさが

自分を現場からますます遠ざける。

 

この悪循環は

小学生のころからさんざん繰り返してきた。

 

わかっているんだ、頭では。

痛みを感じるところほど

ちゃんと見た方がいいということ。

それをせずに

仕事で手痛いトラブルを招いた経験が

いくつもある。

 

痛いところほど

ちゃんと見て、確かめるべき。

しっかり見ると

別にどうってことない

ということも

わりとあるから。

 

なんとか終わった。

今年も締切ギリギリ。

とりあえず出してきた。

 

もういまはこれが精一杯。

つくづくこうう仕事に向いていない。

 

どうして一人で経費の計算をしている時に

わけもなく緊張してしまうんだろう。

 

どうしてただ売上を集計しているだけなのに

何度数えても合わないんだろう。

 

やっぱり数字とは相性が悪い。

たぶん私は数字に嫌われている。

 

こっちからアプローチしていけば

いつかは仲良くなれるかもしれないんだけれど

いまはまだ無理っぽい。

 

ああ、ちょっと寝たら

また明日は元気になるから。

卑屈と謙虚を

ちゃんと区別できるようになりたいのだけれど

日常生活の場面では

意外と難しい。

 

謙虚のつもりが

卑屈になることが

ままある。

 

根っこの自己肯定感が

弱いせいかもしれないけれど

まあそれはどうしようもないから

テクニックで補いたい。

 

補っているうちに

自己肯定感もできるかもしれないし。

 

シンプルな方法は

自分をけなさないこと、だろうか。

自分をほめないこと、だろうか。

自分の評価を自分でしないこと、だろうか。

 

ちょっと違う、気もするな。

 

 

昭和の時代、

高倉健ナドナドのかっこいいヤクザ映画が流行った時代、

映画館から出てくるお兄さんたちは

みな心持ち肩をいからせていたとかナントカ。

 

いい物語は

素の自分に

ちょっとだけレイヤーをかけてくれる。

地上1センチぐらい

浮き上がった気分にさせてくれる。

 

子供はレイヤーの存在にも気づかずに

そのままなりきってしまうんだろうけれど

ある程度大人になると

一応は、それが本当の自分ではないことを知っている。

知ってるけれど、ちょっといい気分になって

いつもの日常が

少しだけきれいに魅力的に

見えたりもする。

 

恋も似たようなところがあるけれど

物語はもっと簡単で

副作用もあまりない。

と思う。

 

問題はこのところ

そういうふうに没入することが

減ってしまったこと。

 

いつも何かしらのレイヤーがかかっている方が

生きやすいし楽しい。

なので

かぶれるレイヤーを探しているんだけれど

なかなか見つからない。

あるいは強度が低くてすぐに破れてしまう。

 

このレイヤーは

私にとって

夢とか目標とか希望とかと

ほぼ同じ意味合いを持っている。

 

目が覚めた後

布団から出るまでの間が

一番悩ましい気がする。

 

あと5分あと5分と粘っていても

何もいいことはないのはわかっているし

後ろめたさを抱えながら

布団にくるまっているのは

気持ちのいい状態ではない。

 

なのに

さっさと起きられないのは

花粉のせいだということにしておく。

 

集中力がとぎれるのは

花粉のせい。

 

やるべきことが

片付いていかないのも

花粉のせい。

 

マンションの営業マンがやってきて

撃退するのに苦労したのも

花粉のせい。

 

毎日甘いものが

食べたくなるのも花粉のせい。

 

花粉の季節が過ぎたら

梅雨のせいとか

暑さのせいとかに

すればいいかな。