人に敬意を持って接するとは、具体的にはどういうことだろうか。
丁寧な言葉遣い、丁寧な物腰。
言葉尻をとったり、話の腰を折ったりしないこと。
にこやかな表情で、でも笑い過ぎないこと。
あまり詮索しないこと。
そういうことは、営業マン入門マニュアルみたいで
ただの慇懃無礼という気もする。
自分がされて嫌なことを人にはしなければいいのだ
といったような話もあるけれど
暴力や暴言といったレベルはともかく、
微妙なところで 自分と人では感じ方が違う。
自分にとって好きなことが、相手にとっては嫌なことだったり、
またその逆もある。
デブだ無能だコミュ障だと言われたら嫌だけれど
そういう言葉をすべて周囲から取り去ってしまうのは
やはり、自分にとってよくないことだ。
意図した悪意は別として
何気ない鋭い刃物は必要だ。
言葉の意味や重さや感情は
発する側がすべてコントロールできるものではない。
受け手との間の関係で紡ぎだされるから。
また、関係を築けていないからこそ、響く言葉だってある。
敬意を持つというと、
困ったことに、ひれ伏すイメージが湧いてしまう。
全力で頑張るといえば
ぶっ倒れるまでやるイメージが湧くのと同じ反応だ。
私の観念はかくのごとく単純で極端過ぎる。
敬意を持って接するとは
その人の話をちゃんと聞くこと。理解しようとつとめること。
それと
できるだけパターンで対応しないこと。考えること。
そういうことかもしれない。
ただし気にし過ぎると
顔を見るばかりで、考えているばかりで、何も反応できなくなりそうだ。
失礼なことをしていないだろうかは、相手を怒らせないだろうか、にもなる。
相手の話に過剰反応して、ただの太鼓持ちになるのは
私がよくやる失敗だ。
相手の顔色をうかがうことと、敬意を払うことは違うだろう。
上の空で応対しないということか。
相手といるときには、相手のことを考えるということか。
いや、まだ違う気がする。
相手に不快感を与えないことを最優先にするその場しのぎなら
丁寧なことば、丁寧な態度、笑顔で乗り切るのが一番だ。
相手の気持ちを考えることより
相手が自分をどう思うかを気にすることが
態度を卑屈にさせる。
勇気は必要だな。どっちにしろ。
勇気がないと敬意も表せない。
相手の話を理解しようとする。
その中身は、ふたつ(以上)あるだろう。
まず言葉の意味するところを捕まえ、把握しようとすること。
身の上話ならば状況をイメージして、
時間の移り変わりと、空間や人間関係の広がり、
そのなかでの主人公(相手)の動きを知ろうとする。
これはどんな相手に対してもできることだろうと思う。
もうひとつは共感的な把握。
相手の気持ちを自分の気持ちでとらえること。
これは相手と自分の状況により
できる場合とできない場合がある。
でも多くの場合、
話者から求められているのはこちらかと思う。
あるある話は共感ジェネレータなんだろう。
敬意を払うには、
共感までは行かなくてもいいんじゃないかな。
してみると、敬意を払う段階は
相手の好感を得るのとは違うということで
ハヤシ社長が言っていた「嫌われない」にちかいのか?
いやいやそれは営業マン心得であって
自分の気持ち、自分の姿勢とは違うだろう。
第一、相手が話してくれるとは限らない。
むしろ沈黙のほうがデフォルトだ。
そういう時はどうするのか。
自分の言葉にしてみれば
やっぱり「興味を持つ」に近い。
どんな形であれ興味を持つこと。
つまり無視しないこと。
そこから始まるものでなければ
機械的な営業スマイル・店員敬語と同じになってしまう。
興味を持った上で
少しずつ手探りでアプローチしていくこと。
イキナリ相手の懐に飛び込める人もいるけど私には無理。
ビクビクしながら、探っていくしかないし
怒られたら謝るしかない。
ただその時に、怒られた理由を掴むのを忘れないようにしたい。
それが理解へのアプローチであることを肝に銘じたい。
へたれなので、ネガティブ反応があるとすぐ萎縮してしまう。
ネガティブどころか、沈黙されるだけで萎縮する。
そこんとこを乗り越えたい。
それこそ相手への敬意を欠いた行為になるんだと、自覚しないと。
敬意とは相手を知ろうとすること。
知ろうとし続けること、なのかもねえ。


