【映画『オールアバウト・マイ・マザー』を観て語るスペインランチ会】
7人の女性で語りあいました!
アルモドバル・ファンから、むしろアンチ?だった人まで。
当時スペイン在住で、現地の劇場で観たという方も。
真っ赤なテーブルクロス、彩り美しい美味しい料理、
参加者の方が持ってきてくださった黄色いミモザ。
魅力的な女たち。
映画の中のワンシーンみたいに素敵な時間でした。
それぞれの違った経験と価値観と感受性を持ち寄って
ものすごく多角的に深い洞察にいきついた!満足感。
深めた後で、書籍『オール・アバウト・マイ・マザー』を読むと
深めた後で、書籍『オール・アバウト・マイ・マザー』を読むと
もう本当に、映像や字幕の短いセリフからは読み取れなかった監督の意図が
そしてその週末の日曜日
たまたまアルモドバル監督の『ボルベール<帰郷>』を観る会があったので参加してきました。
そしてこれまたたまたま前日に私は、性虐待を受けた人のトラウマケアについての研修に出たばかりだったので
この映画で描かれる痛みと哀しみ、怒り
人びとが持つ生命力、
がぐいぐいと胸に迫ってきました。
映画を撮るという生業についても深く考えました。
このあたりはnoteでじっくり考察していきたい。
上映後に、会場で「亡くなった人を呼び戻せるとしたら、会いたい人はいますか?」と問われましたが
私は「いません」と答えました。
亡くなった父が一瞬浮かびましたが、彼とは、むしろ今のほうが対話できている気がしているからです。
亡くなった父が一瞬浮かびましたが、彼とは、むしろ今のほうが対話できている気がしているからです。
ただそれは、呼び戻したいほどの無念をもって見送った人がまだいない、というだけのことかもしれません。
映画の中で”幽霊”のママに対して、主人公の姉ソーレが「何かやり残したことがあるの?私にできることある?」と尋ねると、
ママが答えます。「ないわ。後悔があるなら、自分でやるしかないのよ」
私もそう思うのです。
誰かの無念を晴らすことは、単に想像している自分の無念を晴らすだけであって
自分は自分を生きるしかないのです。
やっぱり考察せずに通り過ぎるから観た映画を忘れちゃうんだよな・・・
やっぱり考察せずに通り過ぎるから観た映画を忘れちゃうんだよな・・・
『LIFERS ライファーズ―終身刑を超えて』 ←自主上映会や、こちら(矯正図書館・東京中野区)で視聴することができるようです。
観たいけどまだ行けてない映画
『パラサイト 半地下の家族』
『家族を想うとき』

春が近づく夕暮れのまち。
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『パラサイト 半地下の家族』
『家族を想うとき』

春が近づく夕暮れのまち。
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