痛みは、サインだから、
痛みだけを止めても、根本原因が改善されない限り、
また痛みがやってくる。
そればかりか、病巣はケアされずに悪化していく。

これは、肉体の痛みも
心の痛みも、同じです。


虫歯は痛み止めでは治らないし
(緊急措置としてはあり)
内臓疾患などもそう。
失恋も、挫折も、孤独も、認めてもらえない痛みも、
紛らわすためにすること(痛み止め)は、何も根本解決してないので、
痛みはまたやってくるし、
病巣は悪化する…


そんなことをぼんやり考えてたら、
ふと、気づいてしまった。

痛みに何故向き合えないのか?
何故なかったことにしたくなるのか?
 
それは
【自分は大丈夫だと思いたいから】
(ケアが必要なんて、弱い自分は嫌だ。)
(かわいそうと思われたくない。そういう人はかわいそうだと自分は思ってきた。そっち側にいきたくない)
(ケアが大変そう。想像つかなすぎ)

ということなんだろうなぁ、と思ってはいた。

でも、今日降ってきたのは

【痛みは、罰である。痛みを受けるのは罪を犯した者であり、それは恥である。という刷り込みがあるから】

というものでした。

これは、
戒めに暴力を行使し、それを正当化する教育による刷り込み。
痛みを感じてる人を指して「バチが当たった」と遠巻きに嗤う大人たちによる刷り込み。
「悪い(とされる)こと」をした人を、辱める社会の在り方による刷り込み。

痛みは、罪悪感、罰、恥、その先に再起不能の失墜、コミュニティからの追放を示唆しているのではないか?

それは怖い。
それは認める訳にいかない。
なかったことにしたい。

よね。

ちょっと今、この発見に愕然としています。

痛みを敏感に受け止め、
大切にケアすることが自然なことになるために、
まずできることはなんだろう。


{7055369F-A2C8-4C0F-9DD3-8C7FC91EA8EA}


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ココロの声を聴く、聴き方

ブライト・リスニング
本講座1/4、5、6、7 集中講座開催決定!!

体験会は12/3(土)です。

 

個人セッション「ブライト・マインド・カウンセリング」

 

話せる場・聴く力をすべてのママへ
リスニング・ママ プロジェクト