今日はこぶたラボの今後のために
「コミュニティカフェの実践から学ぶ」という講座に行ってきました。
港区芝の家
http://www.shibanoie.net/
のファシリテーター
坂倉杏介 氏のお話と、ワールドカフェ。
http://kyosuke.inter-c.org/cahiers/
芝の家の実践のお話はあまりに素晴らしくて
その後の「地域にどんな場所があったらいいか?」
というテーマのワールドカフェでは
「芝の家」ではどうしてるんでしょうね
という話題になりがちなほど。
そのワールドカフェではこころゆすぶられる。
私が「育児支援のサロンをやっていて」という話をすると
「あのほったらかしの母親はなんとかならないのか」
と憤りをぶつける60歳前後の女性。
「おしゃべりに夢中で、子どもの出したおもちゃも
サロンの職員が片付けてる。それは違うでしょ
自分の子どもは、最低限みるべき!」
この勢いだと
つい反論したくなるのをぐっとこらえる。
その現状を心配しておられる、のだろうなあ。
でもでも、
家では片付けるのは全部自分なら
子連れOK!の場では多少ラクをさせてあげたい気持ちもあるので
同意はしません。
でも、安全管理でいうとまったくの目放しは、サロン運営上無理だと思うので
それもわかります。
しかし、その後私のココロを揺さぶったのはその続きで同じ女性が
「話は変わりますけど、最近ニュースでみる虐待っていうのは
『やはり母親に問題があるんですかねえ』・・・いたたまれないですよ」
・・・・・
・・・・・
・・・・・・わ~~~~~!!!!!
叫びたくなりました。
子どもは親が見るべき!
虐待は親に問題がある!!
それそれそれ、その見方こそが母を虐待に追いこんでしまってるんじゃないんですか!!
その社会参画意識の高い1女性にくってかかるよりも
もう少し自分のココロと向き合いたくて、私は黙っていました。
傷つきながら。
ワールドカフェの後
ふたたび芝の家の実践についてのお話を聴けました。
そこで坂倉氏が話されたことに大きな衝撃を受けたのです。
「聴く」という字に送り仮名を「す」とつけて「聴す」
と書いたら、なんと読むでしょう?
知っていますか?
これは
辞書にもあまりのってなくて
語源辞典のようなものには載ってる、らしい。のです。
「聴す」と書いて
「ゆるす」
と読むのだそうです。
受容と承認。
芝の家が学生から70代のスタッフで運営されている中で
どのようにスタッフの在り方を教育してこられたのか?
という質問が出たとき
ひとつの答として坂倉氏が教えてくれたのが
朝と終了時のスタッフミーティングのことでした。
今の気持ち。今日あったこと。そのときの気持ち。
それを話す場を毎日設けることで
それぞれが何を大事にしてるかを知る。
他者だけでなく自分自身を知ることで
「自分なりのここでの関わり方」をみつけていく。
理想です。私の、理想は、実現できることがわかった。
帰りは
感動でぼうっとしながら電車に乗りました。
泣きそうでした。
聴くはゆるすなんだ。
存在を受け入れて肯定することなんだ。
気持ちを話すことで
居場所がつくられるんだ
居場所をつくる力がうまれるんだ
神様から、
頑張れ!
って言われてるんだと思えました。
「コミュニティカフェの実践から学ぶ」という講座に行ってきました。
港区芝の家
http://www.shibanoie.net/
のファシリテーター
坂倉杏介 氏のお話と、ワールドカフェ。
http://kyosuke.inter-c.org/cahiers/
芝の家の実践のお話はあまりに素晴らしくて
その後の「地域にどんな場所があったらいいか?」
というテーマのワールドカフェでは
「芝の家」ではどうしてるんでしょうね
という話題になりがちなほど。
そのワールドカフェではこころゆすぶられる。
私が「育児支援のサロンをやっていて」という話をすると
「あのほったらかしの母親はなんとかならないのか」
と憤りをぶつける60歳前後の女性。
「おしゃべりに夢中で、子どもの出したおもちゃも
サロンの職員が片付けてる。それは違うでしょ
自分の子どもは、最低限みるべき!」
この勢いだと
つい反論したくなるのをぐっとこらえる。
その現状を心配しておられる、のだろうなあ。
でもでも、
家では片付けるのは全部自分なら
子連れOK!の場では多少ラクをさせてあげたい気持ちもあるので
同意はしません。
でも、安全管理でいうとまったくの目放しは、サロン運営上無理だと思うので
それもわかります。
しかし、その後私のココロを揺さぶったのはその続きで同じ女性が
「話は変わりますけど、最近ニュースでみる虐待っていうのは
『やはり母親に問題があるんですかねえ』・・・いたたまれないですよ」
・・・・・
・・・・・
・・・・・・わ~~~~~!!!!!
叫びたくなりました。
子どもは親が見るべき!
虐待は親に問題がある!!
それそれそれ、その見方こそが母を虐待に追いこんでしまってるんじゃないんですか!!
その社会参画意識の高い1女性にくってかかるよりも
もう少し自分のココロと向き合いたくて、私は黙っていました。
傷つきながら。
ワールドカフェの後
ふたたび芝の家の実践についてのお話を聴けました。
そこで坂倉氏が話されたことに大きな衝撃を受けたのです。
「聴く」という字に送り仮名を「す」とつけて「聴す」
と書いたら、なんと読むでしょう?
知っていますか?
これは
辞書にもあまりのってなくて
語源辞典のようなものには載ってる、らしい。のです。
「聴す」と書いて
「ゆるす」
と読むのだそうです。
受容と承認。
芝の家が学生から70代のスタッフで運営されている中で
どのようにスタッフの在り方を教育してこられたのか?
という質問が出たとき
ひとつの答として坂倉氏が教えてくれたのが
朝と終了時のスタッフミーティングのことでした。
今の気持ち。今日あったこと。そのときの気持ち。
それを話す場を毎日設けることで
それぞれが何を大事にしてるかを知る。
他者だけでなく自分自身を知ることで
「自分なりのここでの関わり方」をみつけていく。
理想です。私の、理想は、実現できることがわかった。
帰りは
感動でぼうっとしながら電車に乗りました。
泣きそうでした。
聴くはゆるすなんだ。
存在を受け入れて肯定することなんだ。
気持ちを話すことで
居場所がつくられるんだ
居場所をつくる力がうまれるんだ
神様から、
頑張れ!
って言われてるんだと思えました。