先月末に、30年ぶりに父と再会しました。
四角い大きな箱に入ったお骨を江戸川区の火葬場から引き取って
電車で帰ってきました。
ひさよしさんや、ひっこさんちが近いなあとぼんやり考えながら。
箱がでかくて重くて、とても持ちにくかったです。

父の死についてほんとにいろんなことを考え
いろんな感情を味わっています。
このギフトを、少しづつ書いていきます。
まあそう暗くならずにおつきあいください

訃報を聞いたのは、父が病院で息を引き取ってから3日後。
明日、火葬するという連絡でした。

私が中学2年のときに両親が離婚して以来、
会うことも連絡をとることも禁じられ、
そのまま30年。

大人になってからは、探し出して会うこともできたのでしょうが
なんとなく、母への遠慮や
自分自身の気持ちがそこまで積極的になれないまま
いつか会えたらいいなあ、と思っていました。

私の中では事業が軌道に乗ったら
会ってみてもいいかも、というのも一区切り想定していました。

IDOで仲間に励まされたり助けられたりするたびに
自営でいくつも事業をつぶした父の、当時の孤独を想ったりしていました。
父は腹を割って相談できる相手なんかいなかったのかもなあ。

お父さん、私も会社を作ったよ。
私の仕事は、たくさん応援してくれる人がいるから
きっと大丈夫。お父さんの分も頑張るからね。
でもさ、自営業って大変だよね、お父さん大変だったね。
そんな風に報告したかったのかもしれません。

帰宅して、夕飯を作りながら
涙がじゃあじゃあ出ました。
面白いくらいに、水道みたいに。

父は、私が料理が好きだということも
私の料理を食べたこともないんだ。
中学生のひょろっとしたへんな天パの短い髪の私で
記憶がとまってるんだ。

叔父と電話で話すと
「あんたのこと、いつも気にしてたよ。
電話するたび、『あいつからなんか連絡あったか?』って
毎回訊いてたよ。」
と言われました。

この叔父は父の兄弟の一番下で
若くて、やさしいおにいさんでしたが、
最後に会った時は
顔面蒼白で、みたこともない怖い厳しい顔をして
庭から窓を叩いていました。

借金取りがくると私たちは居留守を使って息をひそめていました。
玄関から裏へまわって、窓を叩く業者はいなかったので
この時はものすごくびっくりして恐怖でした。

長年、私の恐怖体験のトップだったのがこの出来事でした。

でも現在の叔父と電話で話して
ああ、あの優しい叔父だし
父ともちゃんと和解してたんだということもわかって
ほっとしました。
空白の30年には、ちゃんとそれぞれの時間が流れていた。

お互い消息を知らなくて
こんなに近くに居たなんて。

遺骨は私が預かって、
来月、父方の親戚たちと、先祖代々の墓へ連れていきます。
それまでラボで一緒に仕事をしています。
朝出勤して、お父さんおはよう。と声をかけて
小さな花とお菓子とろうそくを灯して
掃除が終わるとろうそくを消して。
帰る時に、帰るね、また明日ね。と声をかける。

実際に生きていたら
見舞いにだってそう行けなかったかもしれないし
こんなに毎日声をかけあうような関係には
戻れなかったかもしれないけど

でもね、

骨になったら、声も聞けない。

自分の心の中の父と、対話するだけだ。

ふと、仕事中に空腹を感じると
「お父さんはもうお腹すかないんだなあ」
とも思う。

骨になる前のことなんだよな。全部。

おいしいごはんも
心が伝わる対話も
ぬくもりも。

「死ぬまでにしたいこと、果たしたいこと」という考え方を
これまでも何度もしてきたけど
私をうみだし育てた片方の人が亡くなると

いっそう受け取ったバトンの責任を感じる。

ブライト・リスニングも
パートナーシップ・ゼミも

骨になる前に
分かり合い、大切にしあうことができるようにと
伝えていきます。

(続く)

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