貢献にまつわる重要な体験 1


続きです。


役割を求めていた私の目に飛び込んできたのは、

この場所での趣旨を書いた文章。


Everyone here matters.

The things that happen, happen.

It starts when it starts.

It ends when it ends.

Make like a bee, feel free to move

from one meeting to another as you choose.


Another choice might be, like a butterfly,

not join any meeting and take a rest.


何度も繰り返し読みました。


・・・・・・・・・・・


誰もが大事な存在。

起こるべきことが起こる。

始まる時には始まり、

終わる時に終わる。


みつばちのように自由に動ける。

選んだ場所から別の場所へ。


また、蝶のように、何にも参加せず羽を休める、という選択も。



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NVCそのものに戸惑っている、初めての人もいる。


妻に誘われて、参加したものの、よくわからない、という人もいる。


子どもの様子が気になって、集中できないふうな人もいる。


その中で


私はどのように過ごしたいのか。



この壁に貼ってある、この場の趣旨を、本当に生きることができるだろうか。


役割でなく、


私自身と深くつながって、

ハラの底から


100%のYesを


自分と、この場への関わりをできるだろうか。



2泊のあいだ、

何度も葛藤が訪れました。


スタッフという役割が何度も、私のハラの底の声を消そうとする。


「ここは、託児に回ったほうがいいのでは?」

「もっと働いたほうがいいのでは?」

「もっと周りに目を配るべきでは?」



ハラの底は


「もっとさっきのワークについて考えを深めたい」

「次のワークはこっちに参加したい」

「できる限りの深い学びを持ち帰ってまた伝えたい」



私はそのたびに、


自分自身にYesを出し

自分自身に貢献する行動を選びました。


苦しかった、だけど、本当に清々しい体験でした。


自分に嘘をつかない。

ごまかさない。


どう見られているか、を優先しない。

こうすべき、に舵をとらせない。



清々しいほどに、自分自身でいる。

しかも自覚しながら。選択的に。

こんな体験は初めてかもしれない。


ただ、満たされないと感じていたニーズは


つながり、含まれる、貢献、、、



「スタッフは、参加者を包む大きな器を作っているんだ」


その言葉を耳にするたびに


この器は、私の部分から、大切なものを漏らしている、のでは?

1枚だけ背の低い板を貼った桶のような器なんじゃないか?


と自分を責める疑いが湧いてきます。


いっそ、スタッフを辞退する?


そんな風にも思いました。



でも、2泊3日。


出たいワークに全部出て、泣いたり笑ったり、

話したい人と話したり。


そうするうちに、


罪悪感も劣等感も、だんだん声をひそめていきました。


そして帰る日。みんなはまだあと1泊あるけど、私は朝ごはんのあと、川上村へ。


そのことを何人かの仲間に話す。


いつも話を聞いてくれるSさんと話す。


「ずっと、貢献できていないことが気になっていた。

スタッフに含まれていない気がしていた。

苦しかった。


でも、そう思っているのは、私。


みんなは、ただ、私が居ること、存在を承認して受容してくれてる。


居てくれることが、私に貢献している。


私も、居ること、私らしくここにいることが、貢献だ、ってやっとわかった」


と伝えると。


「それはお祝いだね」


と短く的確なエンパシーをくれた。


涙が出そう。


言葉を交わした人だけにこっそりお別れを言おうとしてたけど、

やっぱり、みんなの前であいさつをしてこの場を発とうと決めた。


(続く)