子育てで目指すことは何だろう。
幸せで、社会に何らかの貢献をする、自立した大人、
になってくれるといいなあ
と私は思っている。
幸せの中には
自分自身を知ることとか
人と関わる力とか
何か楽しいことを知っているとか
たくさんの要素が含まれる。
そのためには、いろんな経験や
サンプルとなる多種多様な大人との出会いの機会を
親は作ってあげられるといいなあと思っている。
一番の土台である自己肯定感を
持ってもらえるといいなあと思っている。
そのためにできること、ができるためには
私自身の状態をよくしておく必要がある。
ココロとカラダの健康の知恵が
習慣となっていればいいなあ。
そのためにできること、は
自分がそうあること。それを生活の中で口にも出して伝えること。
社会への何らかの貢献は、
自己効力感とか
貢献の歓びとか
を感じるような経験と
そして
私自身が貢献の歓びを生きていること
それを子どもに対して表現していること
をやっていきたいかなあ。
自立、に関しては。
ここに最近関心があります。
親が手を貸し過ぎず、でも放任するのでなく、こころを向けて見守る。
乳幼児の育児期よりさらにさじ加減が。。。
3年生のギャングエイジに差し掛かったnikoと
能力的には大人と同様の、ただ圧倒的に経験値が若い18歳のichiko。
この二人が10年後20年後
幸せで、社会に何らかの貢献をする、自立した大人
であるように願いつつ、今の関わりを楽しんでいきたいです。
親が用意できる・意図できる関わりは
実は少ないのかもしれない。
何もできなくても、
人は人との出会いの中で学び成長していくのだから
親がすべての責任をしょいこまなくてもいいのかもしれない。
それでも個人的に伝えたいことっていっぱいあるので
それはもう子どものためではなく
親の自己満足の世界なんだけど
せっかく親になったので
その伝えたいことを全うしたいな。
先日、私が料理を好きになったのはいつからか、
をichikoにちらっと話しました。
始めたきっかけは別にあるのですが
料理の基礎体力をつけたのは高校時代。
母が新聞配達を始めたのをきっかけに、
朝ごはんと弁当作りを私が担当したのです。
確か、中学生の頃から、お弁当はおかずを母が作って
詰めるのは姉妹が銘々詰めるスタイルだったので
あまり抵抗なく「じゃあ作るのも私が」みたいな移行だったのかな。
お手伝いではなく、1人で台所に立って、工夫しながら
手順を組み立てて作る毎日は、確実に私の料理基礎体力をつけました。
その後高卒で上京した後も、3食完全自炊できていたのは
高校三年間の朝の調理担当があったからだと思っています。
上達、工夫の楽しさ、回数を重ねて行く実績。
そんな話をほんとにかいつまんでichikoにしてから
お弁当自分で作ってみよう
と提案。
すっかり私は朝には忘れて台所に立ったら、
ちゃんとichikoが起きてきた。
「どしたの?」「お弁当作るの」
というわけで、ichiko、卵焼きとほうれん草としめじとコーンのバター炒めを作成。
私は人参サラダを作って、メインは冷凍の市販品・鶏つくねにしました。
だいたい、メインのたんぱく質、野菜の副菜2種、卵焼き、プチトマト
で構成しています。
起きてきたnikoにも、自分の詰めてみる?と「弁当ワークショップ」的風景。
じゃ~ん、卵焼きもバター炒めも美味しそうにできました!
あ、深い容器に浅目に詰めると、、、中身が行き来するかも~?
そんな結果も、次回の改善へ。
nikoは、ほぼ手づかみで詰め、
プチトマトは入りきらなくて食べちゃいました
手でつかんで詰めて、食べて。。。。
それ、食べ残しを持ち歩くのと一緒ですから。。。。。
顔弁に。
料理には、遊び心があると楽しいのだ。
nikoは。。。。
え~とこれ何?
「お墓と火の玉!」だそうです。
子育てとは。。。
自分とは別人の成長を見守ることでありました。。。。