完全にネタバレ記事ですので


ぜひ映画を観てからお読みくださいませ


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映画ジュリー&ジュリアが面白かったのでブログを書こうとしていたのだけど

震災にまぎれてその動機が

私の中に埋もれていきました。


ようやく書く気になったら


引用しようと思っていた

映画評(個人ブログ)を見失ってしまった!叫び



私は映画を観終わると公式サイトやいくつかの映画評を読む。

自分がうっかり見落としている部分や

意味がわからなかったところ

他の人の評価などを総合して

自分の感想が「書きたい」ものかどうか検証しながら

思考をまとめていく作業をする。



今回見失ったブログ、(仮にA氏のブログとする)の記述で私が反応した部分は、


「ジュリアというオリジナルと、ジュリーという後発」についての言及だった。


ジュリア(元の料理人)は

ジュリー(そのレシピを作る挑戦をブログに綴った人)の本については

「ふまじめだ」っていう短い一言のコメントしか映画では描かれていなくて

それをめぐっていろんな映画評が書かれている。


私はこの映画の、含みはあるけど詳細不明な描き方は

心憎いと思ったよ。


え?と観たあとに残る欲求不満な感じは、観る人の考察をかきたてる仕掛けとして機能してて、

むしろカッコイイ。

(実際私も一緒に観た夫に「なんでジュリアはジュリーのことよく思わないの?」と

み終わった直後に訊いた。その後の対話でよりこの映画の味わいが深まったのだ)



話をオリジナルと後発ってことに戻すと


A氏は後発のジュリーが料理に挑戦はするけど

現代風にアレンジするなどのオリジナリティがない所が

二人の関係をより悪くしてるのでは?というようなことを書いていた。


アメリカ人のジュリアが、アメリカ人のために

わかりやすくフランス料理を解説していくにあたっては

工夫に工夫を重ねたに違いない。


それをその量の膨大さを逆手に(?)とって、

期限つきで再現するという「イベント」には

興味がない、というジュリアの態度は意味が解る。


でも、それはそれでいいんじゃないかな?

だからこの映画では、二人の関係はさらっとしか描かれないのだ。

リアルな平行線。


ジュリアが偏狭なわけでも、ジュリーがふまじめなわけでもない。

そして二人が仲良くしなければいけないわけでもない。

ちょっとさみしいけれど。


私はこの映画の監督・脚本のノラ・エフロンは素晴らしいと思う。


別の感想ブログでは、監督脚本を否定するものもあった。

「ジュリーの物語を大幅に削って、ジュリアの話にすればいいのに」

なんて私とは全然違う意見。


書き手は男性で、「善き夫たちなんて観てもしょうがない」、

「メリルストリープの名演を中心に」、、、という主張だった。


それはそれで映画にすれば、また面白い作品になるのかもしれないけど


ノラ・エフロンの作ろうとした世界はこの二人の女性の交錯する(ようなしないような)人生。


主たる主人公(へんな書き方だけど)は、私は現代のジュリーのほうだと思う。

削れないでしょ。


(善き夫たちも大変魅力的な、この映画の要素だ。

 ブログにかかりきりの妻に辟易するジュリーの夫が、

 ピザ屋の2階になんて住まなくて済む、という

 妻の失言に切れるのがリアル。

 

 ジュリアの夫の上品なセクシーさも素敵。


 ここは女性監督ならではラブラブ


で、料理人からみたら

「ふまじめ」なブロガ―でも、

ブロガ―にとっては

料理家になりたいわけじゃなくて


料理に挑戦するひとりの、無名の・普遍的な・でもオンリーワンのある女性、

の経緯を綴る

至って「まじめ」な表現活動なのだ。


そう、ジュリーは後発だしジュリアの本を素材として利用しているけど

弟子でもフォロワーでもない。


出版されて商品として独立しているジュリアの本を

リスペクトをもって活用してるのであって

ジュリアの苦労を軽んじてるわけでもない。


そのずれは、実はジュリアも経験していた出来事だった。

アメリカ人のジュリアが

本家フランス人に料理を習う時点では後発だった時代。

その頃のやっかまれ具合や動きづらさ、

本人も「認められたい」という中にいたところが

ちゃんと描かれている!


フランスの有名料理教室で修業しているジュリアは

教室の権力者に良く思われず、資格試験になかなかパスできない。


アメリカ人の友人たちに

「あなたは、資格なんてなくてももう教えればいいじゃない。

あなたならできるわよ」と言われた時に、


ジュリアはこう言うのだ。


私も、資格が欲しいふつうの女なのよ


私が今回この映画を観て刺さった台詞はまさにここ。


私が現実の世界で、普段接している


無名の・普遍的な・でもオンリーワンの、魅力的な女性たち


への愛とともに言いたい。




資格があってもなくても

本家に認められようと認められまいと



あなたは自分を生きていればすでに本物なのだ


と。