川上弘美著「光ってみえるもの、あれは」読了。

ものすごい久しぶりに小説を読んだ。

娘(18)の所有本。

光ってみえるもの、あれは

「ふつう」という性質を生きる、

「ふつうではない」家庭に育つ少年・翠

を中心とした、大人を含めた青春小説。

「ふつう」を生きられないことや

「ふつうではない」家庭には

私はなみなみならぬシンパシーを感じて

そんな本を次から次へと読んでいた頃を思い出した。

絵國香織や吉本ばなな、北原リエ、、、

そこに

村上春樹的な世界とうまく親和しない少年、

という要素が組み合わさった本でした。

って

既存の作家名をあげて混ぜる評し方は

書いた人に失礼っぽいけど

書きたいのは肯定的な感想です。

私がかつて読書で得ていた好きな感覚をたくさんちりばめた本でした。

ふつうの母親、をはみだしている愛子さん

それを許容している母と精神的父役を果たす祖母・匡子さん

には親しみが持てるけど

マドンナ的存在の平山水絵や菊島に感情移入できないのは

私の僻みだろうか?あせる

なんかね、男子からみた「女ってムズカシイのな、でも好きなんだ」的な女子の描かれ方が

なじまない。

苛立つ。

「ノルウェイの森」の緑にも同じ感想を持ったなあ。

なじまなくてイライラする。

(映画で緑役を演じた水原希子は好き)

きっと、平山水絵にイライラしてるのではなく

男から見える平山水絵像というアングルにイライラするのだ。

ディズニーやハリウッド映画で描かれるヒロインにイライラするように。。。。

天真爛漫(にみえる)部分に光をあて、

闇をみようとしない主人公

「とにかく丸くおさめたい、きげんよくいてほしい」という不理解の姿勢。。。。。。

ふむ。イライラの感情をたどると

私のニーズが「理解」だとわかってくるなあ。

私がこの小説で一番秀逸だと思う部分は

主人公・翠の感じている

僕の前で自動ドアが閉まる、それはよくあることだという感覚


だ。



この世との分離感

受け入れられていない感じ

厭世感

無力感

不全感

友人・花田への羨望(揺るがなさ、芯のようなもの)

私の中の少年に響いてくる。

恋人・平山水絵が実はすごく翠に理解を示しているのも

関心を持ってつきあってくれているのも

受け取れない少年。

大人のほうの卑小でl巨大な落伍感、もまた切ない。

遺伝子上の父親、大鳥さんの

だめな俺とだめじゃない愛子

こちら側とあちら側

たちうちできない感覚。

これも痛いほどわかる。

さっき「大人も含めた青春小説」

と書いたのは

だめさや

過去の失敗

を少しだけ引き受けようとする

大人の変化もまたこの小説のテーマであるのよね。

主人公の少年の変化を取り巻く、大人たちの変化。

光ってみえるもの、それは

「自分は選ばれていない」と感じている人への

希望の光。