本日3記事目。

二万分の一の物語

311を書く気になる(1)



続きです。


夫は、友人がなんとバイクで会社まで迎えに行ってくれたのでした。

全員一緒にいるだけで、なんて心強いのだろう。

本当に友人にも幸運にも感謝。。。



刺身やら豆腐やらビールやらを買い込んで

興奮状態を発散するように飲む大人たち。


落ち着いてから、

はたと気づいて釘をさす私。


「ちょっと、飲みすぎたら、私はあなたを運べないし

子どもたち二人逃がすので精いっぱいだからね!」


。。。。ドクロ


マルチーズと土佐犬の話 でも扱っていますが


「私はあなたを運べない」ていうシチュエーションは

私をとても苛立たせるのです。

「守りたいのに、見捨てる」というシチュエーションが

本当にストレスなんですよね。

これは私の「見捨てたと規定した経験と罪悪感」に直結しています。

繰り返したくない経験なので

過剰反応します。


まあこの話は長くなるのでまたいつか。。。


男2人は

「そうだよなあ」とお茶に切り替えたあと

割と早い時間に眠りにつき。

家具の少ないリビングに布団敷きつめて全員就寝。


TVつけたまま、ichikoと私は

携帯で情報収集して起きていました。


夜にも大きな揺れがあって、

今度は内陸部が震源で。

私の郷里新潟が震源に近かったので

母や姉夫婦のことも心配でした。


「まず風呂に水をためろ」の言葉が

さとなおさんのブログにもあって

ツイッターでもたくさんRTされていて

夜中に浴槽に水を張りました。

水?お湯?もう判断できずに無駄にお湯を張りました。あせる


その日は入浴する気分はなれず、もしも水が止まったときのために。


ご飯も炊きました。

ガスや電気が止まったときのために。


ここから、もしもに備える日々が始まるのでした。

もしもって思うことも備えることもストレスが高かった。

今思うことだけど。



ichikoは友人の安否確認に数日を費やし

(心配していた人たちが無事でよかった)



行くはずだった新潟への受験は取りやめ


いろんなことが非日常、予定と違う進行を見せた。



その中でichikoが一緒にいたこと、

nikoがいつもどおりだったり

いつもと違って久々におねしょしたり

I氏がその時々にI氏らしかったりすることで


私の精神安定にとても大きな助けになった。


私は本当に無事に心を保ってこれたなあ。



その後ichikoは晴れて引っ越ししてきて

予備校の手続きも終わり


nikoは学童で新入生が入ってきて

ichikoの存在にまだまだ興奮しながら



新しい日常を創り出している。


私は、心が大きく揺れた後の


もとに戻る軸、を再確認している。



何が大切?


これでいいの?


こっちでいいの?


今までより大きな声で訊かれたあとの選択。



今ハッキリ思うのは「嘘のない自分」であろうということ。

ライチ100%・・・


一貫性、


真実。




そして昨日、4/4朝

3/11の朝と同じような

強い幸福感を感じたのだ。


I氏がいてichikoがいてnikoがいて

家があって仕事がある。

仲間がいる。


ほんとうに、ここに全部ある。

すべてあるんだ、ということ。


このオチのない物語を書いてよくて


私はまた先へ進める。