12/4、5に参加したNVCのワークショップ
「平和の文化を教室に」
では、大きなギフトを受け取ることができました。
それは、父が私にくれたものを
しっかりと感じられたこと。
ワークショップでは宿題が出ていました。
「あなたにとって平和を考えるきっかけとなった人は誰ですか?
その人物について写真と説明を書いた紙を持ってきてください」
というような内容で
私はそのメールを見落としており
1日目に参加者の話でそんな宿題が出てたことを知りました。
知ったものの、どうにもやる気が起こらず
2日目も手ぶらで参加しました。
なぜやる気がでないんだろう。
ピンとこないのです。
平和ってなんだろう。
「平和を考えるきっかけ」って、、、
私は平和について考えたことがあるんだろうか?
NVCに参加している方々の中には
平和運動に参加している人もいるし
なんだかそういうものに疎いことでうっすら罪悪感もある私。
以前たまちゃんの「ピースフルコミュニケーションプログラム」の名前を初めて耳にした時も
私は自分には関係ないものになってしまったような
寂しい感じがしたのだ。
そう、
自分は平和には貢献できない。
そんな資格がない。
そんな柄でもない。
そんな立派な人間ではない。
むしろ好戦的ですらある。
自分は正しくもなければ善でもない。
etc.
そんな風に自分を規定していたので
締め出されてしまったように感じていたのです。
(注・これはあくまでも私の内側で起こっていることで
ピースフルコミュニケーションプログラムについて語っているわけではありません)
NVCでは、人類に普遍的なニーズについて学びますが
そのニーズには「平和」が入っています。
自分の奥深く、ハラの中、丹田の宇宙とつながれば
私自身も強い確かな平和へのニーズとつながることができる。
なのに
胸にある感情とつながると
ざわざわとしていて
頭の中のマインドは
「お前にはそんな資格はない」
と言っている。
ワークショップでは、それぞれが持ってきた人物について発表が始まっています。
宿題をやってきてない人もいます。
やってきた人はその人物について順番に説明をします。
歴史上の有名な人物たち
与謝野晶子、アンネフランク、イエスキリスト、平塚らいてう、ガンジーなどなど。。。
あるいは、家族、ペットなども出てきます。
私も順番が回ってきたら、宿題はやってないけど発表はしようと思う。
皆の発表を「すごいなあ」と聞きながら(私にはそんなに思い入れがないことをうっすら恥じながら)
ぼんやり考える。
私にとって平和を考えるきっかけになった人?
子どもを持って、世界情勢は気になるようにはなった。
ということは娘かな。
子どもを持って、自分の中からあふれ出る愛というのを実感できた。
そのことは、母が私に愛を注ぎながら育ててくれたからだ、と思ったんだった。
ということは母かな。
なんとなくぴんとこない。。。
そこで思い浮かんだのは父だったのだ。
(続きます)