昨日 、ブログについて「研究発表」をしてきた、そして今もしているのだと書いて
今朝起きて、亜莉さんのブログ を読んで
湧いてきたのは
「研究発表のその次」
最初は
「こうこうこうなのでは?」「こう実感した!」
「こんどこれやります!」
それから
活動している中で
実際に喜んでくれる人たちや
関わる人びとの変化をみていると
もっと届けたい対象がみえてくる。
「こうこうこうな人へ」「こんなのありますよ~」
そうすると、日常の気づきも
ひとりごとではなくなり
「ラブレター」として
書くようになる。
「これを『みんな』にシェアしたい」
みんな、とはすでに頭の中にぎっしり浮かぶ、知ってる人知らない人。
研究発表の次はラブレターだな。
ここまで書いて、考えてみれば最初からラブレターでもあったことに気づく。
ぎっしり浮かぶ対象が、最初は「顔がみえてなかった」だけで。
そうか、パワーブロガーのブログ指南で
「あなたの『日記』を誰が読むんですか」とよく書いてあるけれど
(そして「私の日記」を読んでもらっている身としては
意味分かるようなどこか違うような気がいつもしていた)
「愛があるかどうか」
を言ってたのだ。
対象に向けられたものなのか。
自分の内側に向けられたものなのか。
内側が発酵して外に漏れ出たオナラみたいなものなのか。
(「あなたのオナラを、誰が聞きたいですか?」ということだったのね。
オナラで引っ張るけれども、芸人が笑いをとるためにひりだすオナラは
意図があり愛がある、対象に向けられたパフォーマンスだと思う)
そうなんだ
いくら「役に立ちそうな情報」でも
愛がないブログはつまらん。
それを発信することに喜びのないブログはつまらん。
内側に向けてつぶやいている日記もつまらん。
日常を書いていても心に響くものは繰り返し訪れて読んでしまう。
それを読むことで自分の日常に変化の風がおこるようなブログ。
私は意図して対象に向かって、
愛ある研究発表をしていきます。
あなたの日常に風が吹いて、少し景色が変わるといいなと思って。
そして私の日常にも、常に新しい風を受けて
循環が起きるのが心地よいのです。
これからタイカレー作ります。