手記「少年A この子を生んで」 | 2010年02月25日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「少年A この子を生んで」が流通していたので読みました。
「アイシテル」上下巻
もそうですが、ヴァーチャル文庫で誰かが興味持って読んで それをシェアしてくれなかったら読まなかったものですが
何か確実に
子育てのしんどさを表した本だと思います。
だから勧められる機会でもないと読まないのか。
「言い訳本」という声のあるとおり
「私は一生懸命やりました」 「気づきませんでした」 「やれることはやりました」 「死んでお詫びをするしかないのか」 「それでも生を受けている意義を」
と続く訴え(に思える)に
確かにしんどくなってくる。
正面から向き合えない
でも、なんとかしなくてはというあがき
そこに嫌悪と共感があって
読む私はしんどくなる。
こんな考え(行動)は間違っている。 こんな気持ちはよくわかる。
先日、あまりに子どものマネジメントも 自分の仕事も 家事も 作業がいっぱいあって
さらに自分はもともと 緻密でもなんでもなく ざっくりおおざっぱで 興味の対象を追いかけて車に轢かれるような不注意なニンゲンで
という中でいくつかの山を乗り越えたときに
「私がここまでやれてるなんて偉いと思わない?」と 夫に訊いた(というより、同意を求めた)とき
「母親なんだからあたりまえでしょ」
と悪気なく言われて
前後の脈絡とはあまり関係なく
社会における母親に負わされている重圧を 体感してしまった気分になりました。
間違いがなくなることは、ないのだとしても 重圧がなくなったら 子育てが本当に社会のものになったとしたら
いろんな問題が解決するのでは、と思った本。 |