√John-Hoon ルート・ジョンフン(その5) | orchidのブログ

√John-Hoon ルート・ジョンフン(その5)



 「誰かに敷かれたレールは走れない」

 せっかく韓国最高学府である「ソウル大学、医学部」に入学できたが、本当は数学や物理の勉強をしたかったのに当時の受験指導で自分の希望と違う学部に入ってしまったジョンフンは医学の勉強には身が入らず、好きな音楽やビリヤード、そして友達と飲み歩く日々が多くなった。

 「一流大学を出て一流企業に勤めれば一生安定した生活が得られる」と云う考え方は、韓国でも日本でもあるのだが、果たしてどんなものでしょう?
 もちろん勉強はしないよりしたほうが良いに決まっているし、二流より一流のほうが良いに決まっている。だが「ひとが幸せと感じることはいったい何なのだろう?」「人生に敷かれたレールなんかあるのでしょうか?」

 orchidは○○年生きてきましたが、自分の下にレールが敷かれているなんて考えたことはなかったですね。だから「レールを踏み外した」という経験もないし、第一元々レールなんてないから、4輪駆動車で勝手に野原を走っているという感じですね。
 でも、もし僕が一流大学に合格していて、一流企業へちょっとの間でも就職していたら、ジョンフンのように悩んでいたかもしれません。そのとき次の選択肢は右へ行くのか、それとも左へ進むのか?ハムレットのように迷うでしょうねしょぼん

 「UNの誕生」

 2000年7月、ジョンフンとジョンウォンのヴォーカルデュオ「UN」が誕生します。
2人は違ったカラーの持ち主ですが、歌を聴く側からみると、とても良いハーモニーでずっと続けてほしかった。
 しかし当人達にとっては「次のステップへ進む課程の5年間」だったのだろう。

 「変化と進化」

 1年は365日、今日はもう師走なので2008年もあとわずか。
どんな仕事でも一見、毎年同じことが繰り返されているように見えるのだが、じつはそうではない。
僕は「人生は螺旋階段(らせんかいだん)」にたとえられると思う。
去年と今年、同じようでも少し変化し進化していると。またそうでなくてはいけないと思う。

 orchidが大学を卒業してから今の仕事に付くきっかけは、もともと園芸が好きだったのと環境がやりやすかったからです。ただ花卉生産といってもいろんな分野がある。卒業した当時は施設園芸ブームで大きな農家でも稲作より大規模な温室を立てて、バラやカーネーションを栽培することが流行った時代でした。オーキッドも何か新しい花を栽培したかったのだが、学生時代は特に思い当たることもなく、夏休みにバラ園へアルバイトに行ったり(バイトと云っても温室のペンキ塗りばかりさせられていた)、サークルで山歩きをしながら高山植物の写真を撮ったりしていた。

 あるとき、車で三重県へドライブしていたら、偶然ランを栽培している温室を見つけた。ちょっと立ち寄ってみたらシンビジウムと云うランをたくさん栽培していた。それを1鉢購入して帰ったのがきっかけで、
「そうだ洋らんを作ろう!」「ランは高価だから小面積でも旨く行けば高収入になる」
と簡単に思いこんで始めたわけです。

 学校を卒業するとすぐ、友達に手伝ってもらって簡単なビニールハウス(最初は約50坪/150㎡)を建ててもらった。さて次は苗を仕入れないといけないが、どこに売っているのだろう?さっぱり解らないはてなマーク
 そこで種苗のカタログや園芸関係の雑誌を片っ端から調べてみると岡山県でデンドロビウムと云うランを作っている有名な育種家が見つかった。自分の開発したランを英国まで持っていって審査してもらい賞をもらったとか書いてあった。「そうだここへゆけばランの苗を譲ってもらえるかも知れない。」
 そう思い、さっそく岡山県まで出かけてゆくことにした。
 ~つづく~

 【今日の曲はジョンフン、日本でのデビューミニアルバムの中からorchidが一番好きな「Still Believe」です】


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