年齢を重ねてなお、理由もわからないまま

胃の奥底に溜まり続けるドス黒い重り・・。

思えば、小学生の頃からの付き合いだ。



昨年の熟年離婚から、

激しく自分責めを続けた。

止めたくても止められなかった。

当然、身体に不調が出た。



今まで無縁だった目眩。

気が遠くなる感覚と共に・・。


そして胃の底には、

べっとりと重りが張り付く。



救いを求めるのは、ごく自然なことだ。

メンターから得られた答えは、

昔からよく聞く言葉。



うさぎ自分の内側を見ること。

思い込みや抑え込んだ感情に気づき、

それを許して手放す。



だが、自分のことなのに、

これほど難しいことはない。


すぐに、「わからない・・。」と

諦めたくなる。



思い込みに気づき許す事で、

目の前に繰り返し現れていた状況や

他人からのセリフは綺麗になくなる。

いや、正確には気にならなくなる・・。


だから、同じ状況はもう体験しなくなるのだ。

気にしない、認識しなくなるから、

目の前から消えてなくなるのだ。



現実は鏡。

断片的ではあるが、

その証拠はもう何度も見たし実感した。



完全には腑に落ちないままだが、

まぁ、ロジックはあっているのだろう。

そう思いながら、

自分に問いかける事に取り組んできた。



しかし、それで答えが帰ってきて、

気づけるようなものは表層に過ぎなかった。


初めのうちは、気づきが得られて

内観が進んだ・・などと浮かれる。

胃も少し軽くなった?



だがそのうち、次の段階の深さへ突入する。

問うても答えが返ってこなくなる。


内観もう終わった?

そんな訳はない。



胃の奥底にはヘドロが溜まったままだ。

いつも気づくと胃が重い。

子供の頃からずっとだ。

このヘドロのような重さはなんなんだ?



ここからはなかなか気付けない、

自覚できていないことへ進む。



やはり他人からの視点に助けられながら

解決するのが近道なのだろう。

自分もメンターとのセッションで色々と

炙り出しに成功した。



・お金がないのは格好悪い。

・離婚は格好悪い、

・離婚は悪い事だと思っていた自分。

・元妻への年金分割を嫌がる自分。

・そんな事を思っている自分を

 「悪い」と責める自分=エゴ。



書き出してしまえば、

どこかで読んだことがある、

よくありそうな思い込みだ。

しかし、自覚はできてはいなかった。



比較的すぐ自覚できたコレらの

信念や決めつけを許そうとした。


もちろん許すのは簡単ではない。

許すことは、現在もまだ進行中だ。


腑に落ちないまま、

メンターの示した視点も「あり」だと

仮定する事で、じわじわと自分の内面が

「許し」へ変化する様も体験してきた。



しかしそれらは、表層的で断片的な

ものだという自覚がある。

それらを許せたと思っても、

心のモヤモヤは消えないからだ。

明らかにわかっていない事がある。



いくら自分に問うても、

反応がいつまでも帰ってこない、

そうした「思い」へ届くまで探し続ける。

辿り着くことなど出来ないのでは?

そう思いながら・・。



本質的な何かが立ちはだかり、

内観は行き詰まる。

進まないとつまらないよね。

自分の内側を見ることすら、

やめたくなってくる。



それでも何とか、日々の出来事と

それに付随して湧いた感情を記録してきた。


そうして、断片的な記録を残したはいいが、

時間をとって振り返る気にもなれずにいた。



だが、大金をはたいてお願いした

メンターとのセッションを前に

取り組まざるを得なかった。



最近は自分を褒め称える、好きになるための

ワークを勧められていた。

自分を褒める。

そうだよな、俺ってすげぇ!

書いてみたり、鏡に映る自分に語りかけたりした。



そんな中、数ヶ月レベルで

出来事と感情の記録を振り返ると、

やっと見えてきたことがあった。



全然、勝てていない・・。


肯定 << 否定 だ。


心の中は「否定」が横たわっていた。

しかも、「否定」はくつろいでやがる・・。




自分を賞賛する。

(明らかに賞賛ごっこレベルだが。)


その一方で、

無意識に「ない」を確認し

数え続けているのだ。


なんだ?コレ??


気づいていない、

言葉にすらすることのない

当たり前にくつろぎ、横たわる否定・・。



凝視

・家を、家族との暮らしをなくした。

・金も誇りもなくした。

・仕事の完成度が、部下への対応が、

 充分ではない。

・脱サラへの行動が進まない。

・自分を満たす食事も衣服もキチンと選べない。

・寝てばかり、動画を見てばかりで、

 未来の自分の幸福へ向かう行動が、

 また何も出来ないまま休日が終わった。

・このまま、何も成さないまま、年老いて

 動けなくなるのだろう。

凝視



どうやらコレも俺のエゴの一部だ。

否定まみれだ。


あまりにも当たり前に目の前にあったんだ。

だから、意識すらできないままの当然の

前提として日々を重ねていった。



まるで、空気が当たり前に自分の周りに

あったことに気づいたような・・。


見方をちょっと変えると、グラスになったり、

女性の顔になったらする絵で、

ああ、グラスだよねと思っていたのに、

実は女性の横顔がそこにあったような・・。



いた・・!

コイツだ。



今度は間違いない。

辿り着きたかった内面の深度へ届いた!



なぜなら、心がそうだと言っているから。

見つけられた「否定」の自分も

「ついに見つかった!」凝視とざわついている。



そう書いたけど、でも違った。


ソイツは深く潜っていたのではない。

俺の背中側のマイナス深度にいたのだ!

何ということだ・・。


表層で捉えていた

コレが自分だ・・

という意識の更に表層にいて、

気づかないまま、

無意識のまま、

べったりと自分にまとわりついていた!


妖怪かよ(笑)


内面の深度ばかり追いかけてきたから、

下にいるとばかり思い込んでいたから、

だから見つからなかったんだ。

もう40年もの間・・!



ついに見つけたソイツとの対話は

また次回に。