【本当に欲しいのは自由なのか?】
子供の頃から、ずっと自由を求めていた。
自由の意味さえわからなかったくせにね。
ただ好き勝手に出来るのが、
最高なのだと考えていた。
だが大人になるにつれ、
自由には必要不可欠な構成要素があることに気づく。
時間
お金
円滑な人間関係
これらが、結果的に「束縛のない人生」
を作り上げるのだと。
離婚して、ほぼ一人になり
過剰な自己嫌悪から時間をかけて這い出してきた。
結果的にではあるが、
その必要不可欠な構成要素が増え出した。
そして、実際の自由に近づいてみると、
妙なことに気付く。
自由は目的地ではなかったのか?…と。
自由は、ただのスタート地点だった。
牢獄から出たその先に、
「では、その自由を使って何をしたいのか?」
「どこへ辿り着きたいのか?」
そんな本質的な「問い」が現れただけだった。
だから、よくわからないまま …
・時間が欲しい
・お金が欲しい
・自由が欲しい
・仲間が欲しい
そう答える人を、自分は否定できない。
かつての自分も、全く同じだったからだ。
【フワフワのままでは何も叶わない?】
「制限を外そう!」
「できるとしたら何を描く?」
そう聞かれるたびに困っていた。
目の前の現実を良くしたいなら …
・夢を描こう
・ゴールを設定しよう
・未来を具体化しよう
・5W1Hです!
いつ、どこで、誰と、何をしているのか、
写真の一コマになるくらい具体的に描くべし!
…そう言われるよね。
その考え方で救われる人もいる。
それを否定するつもりはない。
だが、ずっと引っ掛かったままなのだ。
その話は、やりたいことが既にある …
または、あったけど気づかなかった。
そんな人の話ではないのか?
ということだ。
もちろん、単純な欲求とは別な話だ。
マズローの5段階欲求の中の原初寄りのやつ。
食う、寝る、ムフフ…的なヤツね。![]()
それとは別の話だ。
【やりたいことが描けない人はいる】
いや、正確には違う。
・やりたいことが見つかっていない人
・ただ分かりたくてもわからない人
・見つかってしまったら、本当は困ることに
気づいていない人
タイプは違えど、そう言う人たちはいる。
そしてその人達は、怠け者ではないし、
怖がりでもないだろう。
むしろ真面目に自分を掘ってるのではないか?
・本屋へ行く
・動画を見る
・講座へ課金する
・価値観を掘る
・自己分析もする
そうして、やりたいことを見つけようとしている。
だが、それでも容易には出てこない。
そんな人は確かにいるのだ。
そんな人達は、
「理想の未来を描いてください」
「先ずは思いつきで良いですよ」
そう言われるたびに、胸が苦しくなるのでは?
【なぜ未来を具体化したがらないのか?】
なぜ5W1Hを書けないのか。
それは覚悟が足りないからではない。
⸻嘘を書きたくないからだ。
本当はピンと来ていないのだ。——
それなのに …
・ 3年後に独立します。
・ 月商100万円です。
・ 海の見える家に住みます。
ステレオタイプな
そんな思いつきを書いたところで、
当の本人が一番しらけているんだ。
だから書けない。
いや、書けないのではない。
書きたくないのだ。
未来が見えないのではない。
未来を捏造したくないのである。
実際、捏造された現実創造は可能だ!
自分も含め多くの勤め人は、
与えられたミッションを引き受け
本来、自分のものではないゴールに向かって
成果を出し続けている。
だから問題は、現実化へ向けて
行動できるかどうかではない。
それが本当に自分の望みなのかどうかだ。
だが、自分が本当に欲しいゴールとは?
…と、なった途端にわからなくなる。
だから、既にわかりきった
「自由のための必要不可欠な構成要素」
そのことばかり語ることになる。
それらを手に入れることこそが
自分のやりたいことなのだと勘違いしたまま …。
離婚後は特に、そんな自分を責めていた。
もう失うものはない …くらいに思っているのに、
それでもなお、嘘のない回答などやってこなかった。
自分の人生は完全に混乱していた。
何が起きたのかすら、整理する気にもなれなかった。
「人生詰んだ …。」
その思いだけを抱えながら。
何を失ったのか
何が自由だったのか
何が牢獄だったのか
何を望んでいたのか
未来を描けないのは …
覚悟が足りないのか?
本気度が足りないのか?
恐怖を超えられていないのか?
それすら、
⸻分からなかった。
【抵抗は自分への誠実さだと思った】
だが今は、少し違う見方をしている。
あの抵抗は、怠慢ではなかったはずだ。
自分自身への誠実さだったと思いたい。
本当に欲しいと思っていない未来を、
欲しいことにしたくはなかった。
本当に望んでいない人生を、
理想の人生として掲げたくはなかった。
だから未来を描くことは半分諦めた。
代わりにできることを探してみた。
…残ったのは、自分を観測することだった。
・何に心が動くのか
・何に嫉妬するのか
・何が嫌だったのか
・何がムカつくのか
まずは、それらを集めた。
ただ集めた。
そして「問い」を置いた。
・なぜ絶望したのか
・なぜ黄昏が好きなのか
・なぜ自由という言葉に惹かれるのか
・なぜ牢獄のような感覚を抱えていたのか
・どんな空を見上げて立ち止まったのか
すると少しずつ、構造が見えてきた。
単純に離婚という出来事だけではない、
自分が抱えてきた、その奥にある
・思考
・価値観
・執着
・理想
・自由への憧れ
そんなものをノートに書き記すうちに
自分の内側が、少しずつ整理されていった。
そうした内側の探究を続けるうち
ちょっとだけ人に優しくなれた気がする。
同じ出来事も、
その人が内側にどんな前提を抱えているかで、
見え方が全く変わる。
そう思えるようになったからだ。
【やりたいことがなかったのではない?】
そして最近、気付いたことがある。
自分は長い間、
やりたいことなどないのだと思っていたが、
そうではなかったのかもしれない …と。
自分は、
問い続けたかっただけなのではないか?
自由とは何なのか?
忌み嫌う「退屈」の正体とは?
なぜ牢獄にいると思うのか?
黄昏るのが趣味って、どうしてなのか?
曖昧な境界線の無さに惹かれるのはなぜ?
全くもって、フワフワしたままなのだが
そうした「問い」の数々は、
何かを達成するためにやってきたものではない。
問いそのものが現れてしまうのだ。
そして、それらを眺め続けた結果、
一つの線で繋ぐことができることに気づいた。
それは、初めて意識することができた、
自分の方向性らしきものだ。
⸻混乱したものの構造を見抜き、
再構築することで、
人生の主導権を回収していく。⸻
仕事でも
競馬でも
人間関係でも
果ては離婚後の人生においても …
自分はずっと同じことをやっていた。
ふんわりしていると言われるだろう。
何を現実化したいのか不明だ。
確かに …それはそうだ。
なぜなら、そこには
月商もない
期限もない
5W1Hもない
⸻だが、少なくともこれは嘘ではない。
海の見える家よりも、
自分にはこちらの方が本物なのだ。
だから今は、焦って未来を設定したいとは思わない。
まずは、自分という生き物の
目には見えない内側の輪郭をなぞっていく。
何に心が動くのか。
何に違和感を覚えるのか。
何に怒るのか。
何に救われるのか。
何を美しいと思うのか。
その輪郭を少しずつ確かめながら、
今日も観測を続けていく。
新たな「問い」を置きながら …。
その先でいつの日か、これだ!と
素直に認められる「やりたいこと」
が降りてきたなら、
その時は喜んで飛びつけるはずだと思う。
もちろん、降りてこないままかもしれない。
だが焦って、捏造するな …。
まずは、自分自身を知ることからだ。
そんな遠回りを、案外気に入っている
今日この頃である。
