目の前の現実は

コントロールできない。


しかしその解釈・感想

コントロールできる。



この現実は意識の反映。

意識だけの反映。



頭の中をお花畑にする事が、

現実を好転させる効果的な方法。



そんな考えは、否定して生きてきた。


現実もきっとコントロールできる。

そう思っていたが、違った。


その俺より結果を出している方々が、

繰り返しそのように仰せになる。


ならば、俺はこの事を採用する。

丸呑みする。


そんなの無理だよ。

そんな声が聞こえてくる。


しかし、この方法が効果的である。

そう仮定したとしたら


無理だよ。

なーんて言っている場合ではない。



人生変えるのだろう?



だったら、その仮定を受け入れ、

自分の考えにタガをはめる。

コレはやって然るべき事となる。


クセになるまで、

やらなければならない。


今まで真逆のタガ嵌めをやってきたのだよ。


そんなの無理だよ。

それ自体が、俺が長年にわたり

採用しているタガなのだ。


ずーっと「無理だよ」ばかり

やってきたのだから、

すっかり無意識のクセになっている。


すぐに元通りの解釈をしてしまう事は

想像に難くない。


コレは訓練だ。

そう割り切って

「ある」を前提に解釈を変える。


何度も何度も変える。


たとえ、そのように解釈出来ない事柄すら、

なんとか、ポジティブな意味を見つけ出す。


屁理屈をこねてでも、

そんな解釈を導くのは、

得意だっただろう?


あまりに得意だったので、

中学の時にイジメを受けるほどだった。


当時は

・友達少ない。

・体格小さく、体力もない。

・性格暗く、おとなしい。

そんな自分の自然な性格・性質を

引け目に思っていた。


そんな中で唯一、

屁理屈で相手を論破できる事に、

自分にも勝てる事があることに興奮した。


武器を手にしたと思えた。

自己肯定感が上がった。


まぁ、その後にイジメを受けた事で

すっかり、「それは良くない事」

と言うレッテルを貼り、

屁理屈を封印する事になったのだが・・。


今は思う。

屁理屈などと定義するな。

一つの立派なものの見方、解釈である。

・・と。


もう、イジメを受けたり、

批判をされる程度では戻さない。



お花畑マインドが、目の前の現実を

変えてゆく実感を得られるかどうかの

実験を楽しむのだ。



いきなりは上手くは出来ない。

練習あるのみ。


自分の直近事例でいくと・・


・競馬で借金

→跳ね返せる力があったからこそ、

 その額の借金を負ったのだ。

 実際、今の月収より稼いだ期間は、

 結構あった。

 そして、そこまで借金できる信用も

 あったと言う事。

 すげぇ!俺。



・持ち家だったマンション売却

→資産になる持ち家を持っていた事はすごい。

 ローンを支払ってきた事もすごい。

 購入時の1.5倍で売却できたからこそ、

 借金返済のための現金を手にする事ができた。

 元妻にも分与できる額を提供できた。

 そう、すげぇ!


・熟年離婚

→まだ元気なうちに一人で生活していく

 心構え、スキルを手に入れられる。

 自分らしく人生を終えるための準備に

 意識を向ける事ができた。

 お金も時間も自分の自由に使える幅が広がった。

 全く違う人生に歩み出す事ができた。

 うんうん、すごいよ〜。



すぐに「それは違うだろ・・」と

突っ込む自分がいる。



とはいえ・・○○だよね。

と、いくらでも卑下できる。

ホント、クセになってるよ。


イヤイヤ、そんなんだから目に映るのは

今の目の前の現実なのだろう?


もっと上手い解釈もできるはず。

しっかり練習しよう。


繰り返し、繰り返し・・


しっかりタガをはめてゆこう。


できるよ、俺なら。