私の強烈な思い込みにいつも巻き添いを喰らっていたが、いつの間にか楽しむようになっていた優しい母 | 中国語上達への道トレーナーのブログ

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大家好!

 

中国語上達への道トレーナーの鈴木律子です。

 

 

今でこそ随分人並みに落ち着きましたが、

幼い頃から関東の片田舎で自由奔放に

育ってきたせいか、自分のやりたいことに

なんの迷いもなく突き進んできたように思います。

 

 

私が良いと思うものは、私が信頼する人なら

その人も良いと思うであろうという変な思い込みまで

あったがゆえに犠牲(とまでいうことはないかもしれないが)、

いやいや巻き添いを食らった人も数名いる。

 

 

両親は1番の被害者で、特に母は私の自由奔放にいつもよく

付き合ってくれた。今では感謝してもしきれないくらいだ。

 

 

だって、中国に母を連れて行った時に、

二人だけの中国国内の旅を強行し、

24時間だか36時間だかの長距離寝台列車に

乗せてしまったのだから。

 

 

この長距離寝台バス、何がすごいって、

まずは2階建ての寝台バスであること。

バス内部の両脇は寝台ベットが

2段建てとなっていて、真ん中は座席なのだけど、

あまりの混雑で、座席に座れない人が何人も

しかも何時間もずっとバスの中で立っているのだ。

 

 

その姿を横目に私たち親子はなかなか落ち着いて

休むこともできない。

 

 

はたまた、真夜中のトイレ休憩では、私は荷物を見張らなくては

いけないので、母一人を同車していた女性の人にお願いして

暗い暗い田舎の仕切りも何もないトイレに連れて行ってもらったり。

 

 

何もわからない母にとっては

大変この上ない旅であったのは間違いない。

 

 

時は、1995年。

戦後50周年ということで、母子二人で中国の東北部を

訪ね歩いた旅だった。

 

 

長距離寝台バスは北京発の遼寧省鞍山行きのバスだった。

 

 

実は、この旅以外にも私は何度も母を北京に招いては

私の趣味の旅についてきてもらった。

 

 

後に、結婚し北京で生活している時、

毎週末母と必ずスカイプで

顔を見ながら話をした。

そんな時、決まってあの長距離寝台バスの話が飛び出す。

あんなに大変なことをしいたにもかかわらず、

母はいつも楽しそうに思い出話をするのだった。

 

 

今は母とそういう会話をすることも難しいが、

それでもあのスカイプの画面越しに笑顔で

あの頃の話をする母を思い出しては

このようなすざましい旅を母と一緒にできたこと、

それは本当に良かったことだったんだと思えてくる。

 

 

 

 

 

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