商標登録【魅せる防災備蓄収納】のミハママです。
自宅近くの図書館の一角の、パンフレットコーナーにありましたこちら
谷崎潤一郎も住んだ文学ゆかりの邸宅
地図を見ると、自宅から10分以内で行ける場所でした。
こりゃ行ってみるべしと、水曜日に行ってみました。こちらは水曜日と日曜日のみ開館しています。
まず東京にいた谷崎潤一郎が、関東大震災をきっかけに、関西に引っ越してきたのですが、1934年3月から1936年11月まで、この芦屋の場所に住んでいたそうです。
芦屋や神戸などの地域に谷崎潤一郎は13回も引っ越しを繰り返したということで、
谷崎潤一郎の記念館などが、あちこちにあるのは、その理由だったことがわかりました。
その後、昭和14年5月からこの場所に詩人の富田砕花という方が住み始めた
昭和20年8/5深夜から8/6未明の阪神大空襲で、門の側の門屋以外の建物は焼失
そのまま狭い狭い門屋で暮らしいたが、昭和29年に、友人達の援助で、焼失した母屋の後を建て替えたものが、現在も残っているのです。
1984年10/17に93歳で亡くなるまで住んでいた家です
ちなみに、私は1979年10月まで近くに住んでいましたので、当時は1実際に富田砕花氏は生きていて、暮らしていたという事ですね
今回中を見学させてもらって、当時のままの家具や建具や、使いこんだフローリングやおしゃれなタイルのキッチン
食器棚も可愛い
キッチンの真っ白な板壁など、古くて新しい
床には、床下収納もついてます
天井も壁も板張り
天井の照明も当時のままだそうです
アンティークな家
ビンテージな家を見ることが出来ました
管理の方が詳しく説明をして下さいました
思わずお写真を撮らせて頂きました
縁側は使い込んだフローリングがいいですね
そして、天井も飴色の木の色もいいですよ
富田砕花は詩人でもあり、短歌も作っています。
そして、高校野球でも有名な報徳学園の校歌などを作られている方です
場所は芦屋市宮川町4-12です
今回は久しぶりの投稿でした
災害を乗り越えた昭和の家のレポートでした
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