「内部」に突き動かされて生まれた作品でなければ、その注ぎ込まれた魂を感じることはめったになく、結果他人の魂を揺さぶることもめったにないのだ。
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とすれば、ある魂を揺さぶるに足るゲームの制作者がさらなる成功のために資金を集め次作を出せば、それが魂をまた揺さぶる力を持つ可能性は明らかに低くなる。超えることなどめったにないのだ。

だから、Diablo3とはDiablo2と比べることも許されないほどのゴミのようなもので、腐乱した匂いを放つ肉欲の塊のようなものだということも仕方がないのだ。
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思えば「外部」を見るとは、投資家に動かされる企業体などにとっては必定である。資本を入れれば入れるほど創業の血は「外部」に希薄化されていき、アウトプットには魂が根付かなくなっていく。
魂を喰い金を吸う――魂と金が両立しがたいという、一例にはなるのだろうか。