兵どもが夢の跡、とは良く言ったモノで、朝からしみじみ眺めてきたんだ。

3-2に住んでいた期間は…数えてみたらたったの5年ぽっち。んでも幼少期を思い出してみると、多くはここ「3-2」での話だったなと気付かされる。子供の頃は時間て永遠だったからね。

3-2は、既に更地でペンペン草が生えていた。やたらな青空と、ちょっと離れた所に建っている高層建築物と、造成された更地の対比は、イメージするところのまるで高度成長期の日本の縮図だった。

3-2が更地になった様に、母親もまた雲散霧消の状態になってしまった。幾つかの記憶をこの胸に遺すのみ。それは仕方の無い事。

今日、令和6年6月8日でちょうど5年になる。でも今年は、言うほど悲しくないんだ。それは少しづつ消化出来てきてるのか、それともただ悲しみが薄れてきてるのか…まぁそれでも、特別な日には変わらないんだケドね。